月: 2009年1月


横浜中華街「春節」

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横浜の中華街で中国のお正月「春節」を覗いてきました。聞こえてくる言葉は日本語よりも中国語ばかり。日本語をペラペラ話しテキパキ働くコンビニの店員さんにも毎回感じることなのですが、あらゆる意味において、本当にエネルギッシュな国民性です。中国獅子舞のカラフルでひょうきんな表情も象徴的でした。中華街の喧騒を離れ少し足をのばしたところにあるアンティークショップの外壁デザインは、店の雰囲気をうまく醸してました。素敵な照明器具が豊富に揃っています。


レオナール・フジタ展

絵皿

上野の森美術館で開催されたレオナール・フジタ展を見てきました。
今回の展覧会は、初期の作品から晩年までを追った形式になっており、絵のみならず自身が作成した衝立や模型、アトリエの再現、肉声(オーディオガイドのみ)などかなりボリュームのあるものでした。中でも目玉は初公開となった群像大作で、これはやはりあの大きさで見ると言葉には現し難い迫力のあるものでした。作品を作る準備段階としてのデッサンも多数展示されており、様々な作品においてかなり綿密な準備を行っていたことも意外な発見でした。また、自画像などの印象から気難しい人だというイメージを抱いていたのですが、肉声を聞いてみると割と気さくな印象でした(録音時80歳という年齢もあるのかもしれませんが)。おまけというと失礼ですが、群像画の修復ドキュメンタリーも流されていて、これもなかなか見応えのあるものでした。写真はミュージアムショップで衝動買いした絵皿のレプリカ(実物とはかなり違いますが)で、このような絵皿や小箱なども多数製作していたようです。残念ながら東京展は終わってしまいましたが、今後福岡仙台と続きます。機会があれば是非。

余談ですが、彼の日本名「藤田嗣治」の「嗣」の字が私の名前にも使われているのですが、電話で漢字を伝える時にいつも苦労します。「藤田嗣治の嗣です」で誰もが理解してくれるようになると良いのですが、現状ではまだ難しいようで、「つくりが司で…」と延々説明する日々です。「嗣」の字の簡単な伝達方法をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂けると助かります。


半吉ってしってますか


おみくじは毎年引いています。何故かと言えば何となくです。今年も成田山新勝寺で初おみくじを引いてみました。[半吉]…って微妙な結果。そう言えば何だろうこの半吉って見た事無いですね。特にお正月は大吉増量中との噂の中、生涯初めての半吉を引いたのはかなり意味深そうです。でも各項目毎に細々書いてあるほぼ嬉しくないお言葉に恐れをなして境内に括り付けて来てしまいました。とにかく今年は堅実に着実に慎重に事を運んでいくのが良いようです。

そして何となく奈良漬を買って、

鰻を食べて年明けの恒例行事終了です。
最近こういう季節を感じる行事が重要だと気が付いてきました。年のせいです、きっと。


そしてたまに海を見る事も良いようです。気分がリフレッシュしますね。泳げないけれど…。


今年の抱負

大体、年初めの抱負とか意気込みの言葉というのは、言った本人も聞いた人も数週間もすれば殆ど忘れているもので、話す方も安易に述べ、聞くほうも聞き流すようにして聞くものです。その程度のこととして聞き(見)流してください。
賀状にも記したように今年は社会状況のせいではなく、何となく個人的にこれまでの半世紀してきたことが集約して成果を問われるかのような1年になる気がしています。あまり具体的なことは後で失笑をかうことになるかもしれませんので言いたくないのですが、今やろうとしている通常の設計監理業務はもちろんのこと、設計という職能のこと、建築という業態のこと、社会全体への関与のこと、林業のこと、地球環境のこと、全てに通じる筋目が自分なりに明快になってきています。それが自分に何をなすべきかを指示するかのように、露にする機会と具体的行動を促すきっかけや要請が小さいながら次々生じてきているように感じています。一つ一つが全てに関連しているように思え、ぶれないように成果を出して提示できるようにしていきたいと考えています。具体的話でなく叱られそうですが今日のところはここまでにして、結果で報告していくようにしたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。


悩む力

年明けに『悩む力』という本を読みました。書店の店頭に平積されていて、そのストレートなタイトルに魅かれて手にとりました。

内容は、全体に渡って著者の姜尚中(カンサンジュン)氏の人柄が表れているようで、ストレートなタイトル通りの実直さを感じる内容でした。文中では夏目漱石と社会学者のマックス・ウェーバーの言葉が引き合いに出されており、悩みが増えざるえない近代以降の社会構造についても触れられています。

印象的だったのは、夏目漱石の「まじめたれ」という言葉に触れながら述べている、『「まじめ」というのは、「中途半端」の対極にある言葉ではないでしょうか。』という言葉でした。今ではあまり良い意味で使われないですが、この「まじめ」という言葉の捉え方に著者の姿勢が表れているような気がしました。

著者は世代もかなり上で、わたしよりも非常に激しい環境の中で生きてきた人ですが、共感する魅力のある言葉が多く綴られた本でした。


正月休み

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
正月休みは旅行に出かけたり、家でゆっくりしたり、実家に帰ったりと人によって過ごし方が違うかと思います。私の場合は実家に帰って酒ばかり飲んでごろごろしているのが通例でしたが、子供が出来てからはそうもいきません。妻の仕事は年末年始が稼ぎ時で忙しいため、私と子供で実家に帰る予定にしました。タイミング良く年末の30日に子供が水疱そうにかかり、実家でおとなしく療養です。忙しいときに子供がこういう病気にかかってしまうと保育園にしばらく預けられないので、なかなか空気の読める親孝行な子供です。子供は病気のわりに元気で、1日中一緒にいるとどうもエネルギーを吸われている感じで、自分でも日に日に弱っていくのが分かります。案の定、最後は風邪を引いて自宅に帰ってきました。さらに帰る途中で携帯電話を落とすというおまけつきです。1年の厄があまり影響のないこの時期に集中してくれたということでめでたい正月だったと思うようにします。この1週間トイレもお風呂も寝る時も起きる時もずっと子供と一緒だったので、昨日保育園に行った時には何かとても重いものが取れて軽くなったような感覚でした。世の中のお母さん方はこれが休み無しで何年もぶっ続けということを考えると本当に偉いと思います。今年はおかげで正月太りはあまりしませんでした。