月: 2009年7月

工事契約+地鎮祭

090725

横浜のY邸は、先日現場で建物の位置などを確認後、無事工事契約。
その後、地鎮祭となりました。今回は神式で神主さんにお願いしました。
Y邸は、玄関共有の1階と2階で世帯が分かれた2世帯住宅になります。
(結設計は、結構2世帯住宅を設計することが多いです。)

施工者は、泰進建設。東京の町田市の工務店です。
いい現場、いい住宅になるようにがんばりましょう!


上棟式に参加して

s1s3s2

上棟式を迎えました。
まだまだ完成までは道のりは長いのですが、外形が現れると、毎回ある種の感慨を感じます。

建主さんを中心に所長とああでもないこうでもないと時間をかけて図面上でやりとりしていたものが、監督さんや職人さんなどいろんな人の手と材料を経て、数日でリアルに形となってあらわれる感覚、上手く表現できないのですが、「産まれた」とでも表現したらいいのでしょうか・・。
今回はそんな感慨以外にもワクワクさせてもらえることがありました。モチマキが行われたのです!棟上げが終わりに近づくと続々と近所の方々が集まりはじめました。細長い敷地ということもあり、庭づたいに弊の隙間から入って来る方がいらしたり・・・。夏休みを迎えた子供達やおばあちゃま方の歓声と笑顔が印象的でした。

家をつくる行為は、建物だけでなく建て主さんのご家族が、地域のなかにより深く根付いて広がっていくことなんだなあと改めて教えて頂き、その行為の一端に関わることができることをとても嬉しく思います。


大きいものに憧れる性質

鎌倉の大仏
先日、20年以上ぶりに鎌倉の大仏を見てきました。当時中学生だったと思いますが、その大きさには感銘を受けた記憶があります。見るのも2回目だし、あれからいろいろ大きなものも見てきたので前回ほどのインパクトはありませんでしたが、やはり大仏は大きい。しかしながら若干違和感を感じるのは、その背後に回れることと(背中に窓がある)、中にまで入れてしまうことです。こうも身近になってくると、崇め奉るものというよりは自由の女神的な記念碑として作られたように思えてきます。調べてみると、大仏内に盗賊が巣くって住職が逃げたとか、大仏内で賭け事が行われていたとか、大仏内で密会が行われていたとか俗っぽい話がいろいろ出てきます。仏として作られながらも何百年もの間人々と身近に接しながら過ごしてきた鎌倉の大仏を見ていると、宗教観とは別のところでの畏敬の念を覚えました。

そして日は変わるのですが、でかいもの繋がりということで横浜開港150周年記念イベントで来日中のラ・マシンのパフォーマンスも遠巻きに見てきました。
口から噴射お尻から噴射近寄ってきたり最後に威嚇
一見、それほどでもなさそうですが、近くにいる人と比べると結構でかいことがわかります。実際に歩くわけではない(下の車で移動)ものの、脚を動かしながら口とお尻から水蒸気を噴射したり、高々と持ち上げられたりする様は思った以上に表情があり、迫力もありそうでした。金銭的余裕のある方は是非入場してみてください。ちなみにパンフレット等で見るとお腹の部分に座ってる人がいて、私はこれを観覧席だと勘違いし、是非乗ってみたいと切望していたのですが、残念ながらここは操縦席でした。動いていない時に抽選で記念撮影として乗れるようですが、子供のみとのことです。


夏の夕暮れ

e5a48fe381aee5a495e69aaee3828c

先日激しい夕立ちがやんだあとに外に出てみると、道ゆく人らがこぞってデジカメや携帯電話を西の空にかざしていました。

子供の頃には一日が終わるつまらなさばかり感じていた夏の夕暮れは、ここ数年では一年のうちでもかなり好きな方の時間に入るかもなと感じるようになっています。その日も力の抜けたリラックスした空気に身を委ねながら、わたしもポケットから携帯電話を取り出してパシャパシャとやってしまうのでした。


現場が楽しい5

p1010955p1010958

今日は地鎮祭でした。
最近の地鎮祭はシステム化していて執り行う神主も手馴れた感があります。しかし今日は仏式でした。過去数回しか経験ありません。

経典(?)には地鎮祭という字ではなく地神際と書かれてありました。仏式も宗派で違ってくるようですが、今日珍しかったのは土公神です。しめ縄で囲まれた聖域の隣にある小さな五色の札が地面に刺してあるところです。

メインの祭壇とは別に専用の仏具(?)あるいは祭壇(?)もあります。お坊さんの話では、地の諸々の神様を御呼びするところだそうです。
祭事の流れは、祝詞奏上や四方払い、鍬入れと、言葉は違っても大体分かりました。神式での玉串(たまぐし)奉奠(ほうてん)はお焼香でした。鯛もお添なえされていました。このようないつもと異なるやり方の地鎮祭を見ると、根っこは風水から来ているのかな、などと思われ、新鮮な体験でした。

だから現場は楽しい。


現場が楽しい4

p1010848

下職さん同士が殆ど顔なじみの現場と、メンバーが代わってばかりいる現場とでは和やかさ違う気がします。
顔なじみ同士ですと会話と笑顔が多く、作業も自分のことだけでなく、前後に関連する下職さんへの配慮もしながらしているようです。メンバーが代わってばかりいる現場はお互いよく知らないために何となくよそよそしく、会話も少なく、余計なことをせず、作業も歯車的で虚しい作業になり、楽しくなくさせている気がします。

顔なじみの職人さんの多いところは関係する職種の人と会話をすることで自分の作業の意味づけや緊張感が生じ、やりがいに通じ、システムに縛られることなく、楽しさに発展していくようです。

ただ最近会話が少なくなって来ているのはシステムのせいばかりでもなく、個々人が人と関与したがらなくなっているせいもあります。
気心知れた仲間との会話ならいざしらず、よく知らない人と話をしていても時間の無駄と考える傾向があります。他に関心が多く、やりたいことがたくさん抱えています。
また、下手に関与を深めると先々自分を拘束しがちなので、自分のフリーハンドをいつでも確保していたいため関わりを薄くしておこうという利己的傾向から生じている気がします。
システムの怖さはそのような人をさらに人とのコミュニュケーションを不要にさせる作用があることです。
メールの便利さはそれを物語っているような気がします。

写真は屋根の隠し樋の導き樋が軒裏を通過する部分には結露の可能性があるから、断熱材を巻いておいた方がいいと、現場の会話の中でアドバイス受けて処置をしたものです。


現場が楽しい3

 現場がどんどんシステムに置き換えられています。このような状況でのものづくりは単なる作業になってしまい、楽しくなる高揚感は期待できなくなりつつあります。これは建築現場だけでなく、教育現場、職場、居住環境などあらゆる現場で多かれ少なかれその傾向はありそうです。
 世の中がグローバル化されていく限り社会のシステム化の度合いは抗し難く、いずこもそのまま放置しておくとシステムにがんじがらめにされ、内実が空洞化していくようで怖い気がしています。かといってノスタルジックに昔に戻そうというのもひ弱な発想で非現実的な気がします。システムを避けたり、あるいは主導権を握られるのではなく、システムを活用しつつ制御できないかぎり現場に明日はないのかもしれません。
 木材のプレカットも加工機で出来ないからと予算上建築の構成を変えざるを得ない時があります。でもその建築の内容によっては他で予算をひねり出してでも、また手加工が生じてでも意図を実現させるべきと感じる時がよくあります。システムは末端を現実に適応させる時に、個々の人間の感覚抜きに無造作に反映させてしまうと道を誤ってしまい、楽しくなくなってしまうようです。
 写真上は屋根の熱気抜き換気棟の既製品を取り付けた他所の住宅屋根です。分かりにくいかも知れませんのでクリックすると大きくして見ることができます。今回、既製品では屋根の野地板を腐らせにくくする効果はあっても、夏の熱気は抜けそうにありません。状況判断で別に木工事で換気棟を作りました。次の写真がその吹き出し口で、板金をかぶせる前の下地写真です。その下が、煙幕花火で軒下の吸気口から煙を入れて換気棟から出てきた煙の実験写真です。煙が出てきたとき思わず歓声が上がりました。
p1010932

p1010607p1010603

p1010916p1010923


現場が楽しい2

 何でいまさら現場が楽しく感じられるのだろうと考えてみました。
 最近の建築現場はいろいろなことがシステム化されています。その際たるものがプレカットです。つい10年ほど前までは大工さんが柱、梁の噛み合わせ部分(仕口)を数ヶ月かけて1本1本、手で刻んでいました。今は事前にコンピューターに記憶させ機械で加工して現場に持ち込まれます。棟上も写真のようなクレーンで1日で全体の骨組みを組み上げてしまいます。足場もかつては単管や丸太を現場状況に合わせて組み立てていましたが、今はピケ足場といって規格サイズの足場を継ぎ足して構成します。大工さんの手鋸(のこ)も殆ど電動になり、金槌もコンプレサー(圧縮空気)を使用したガンタイプになりました。製作道具だけでなく、建物も窓はアルミなどの規格サッシになり、浴室は規格のユニットに、壁下地も規格サイズの石膏ボードを貼り付けることですみます。建築作業の大概が規格に建物を合わせることのようになってきました。誰がやっても同じように出来るかのようです。このような度合いが進んでくると創り上げるというより、工場のパーツ製作取り付け作業になってきています。
 メーカーや工務店ならいざ知らず、専門の住宅設計者の住宅はそんな中でも手作りの要素が多く残り、単なるパーツの取り付け作業でないはずです。しかしいつの間にか少しでも建築費を少なくしようとして、設計も監理も現場の状況に合わせて進めていたのかも知れません。経験が多くなってきますと、確実な住宅を求めているうちに、以前と似たような仕様になり、手馴れた内容の住宅になってきます。気が付いたらより良い納まりを模索するというような会話を必要としなくなっていたのかもしれません。かといって民家や数奇屋等の伝統的建築手法や工法、あるいは職人さんの手仕事に頼った設計は、今日では確かに数が少なく、いやでも現場でのものづくり的会話は多くなります。でも個々の状況と時代に即した提案をしたい設計者としてはそれに安易に寄りかかりたくはない気がしています。
ということで最近の現場で模索する会話があるということは、自分の設計が少しは新たな領域に踏み込んだ部分が増えてきたのかも知れないと一人合点して楽しくなっているだけかもしれません。
001


現場は楽しい

現場の設計監理にはこれまで数千回は行っているはずです。なのに最近さらに楽しい気がしています。特に意欲的現場監督や職人さんと直に話しながらどう納めるかの話が楽しいのです。
お互いの立場からだけの会話ですと何となく仕事という感じになってしまい発展しません。でも直の話ですと、最初は型どおりの反応ですが、こちらの立場を越えて建築する者どおしとしての話がしたいという気持ちが分かってもらえると、純粋の技術論になってきます。納まりのきれいさ、材料使いや歩留まり、設計意図、作業性、費用、構造的合理性、機能、性能、耐候性、等々、あるべき姿を純粋に建築技術者としての話になってきます。若い頃、自分も工務店の監督を数年やっていたせいか現場で考えることが好きなのかも知れません。
お互い未体験で、新たなより良い納まりを一緒に模索しようとしている時、本当に今ここで創っているという気がして楽しくなります。お互い経験が豊富な場合、常識的な納め方はわかったうえで、この場合もうちょっと違ういい納め方がありそうだと双方が感じています。それを会話の中で編み出せたとき、思わずお互い顔がほころんできます。
間に工務店の社長とか事務所のスタッフなど、誰かが入っての会話ですと伝言になってしまい、なぜか、聞く人、答える人、という関係になってしまいます。それですとお互いの立場からの要求になってしまいキャッチボールになりません。今ひとつ気持ちの高揚が少ない気がします。
写真は先日軒を1.5m出したいが、単純に垂木を太いものにするのでは芸がない。ケチっては将来先端が波打ったようになる。吹き上げにも耐えられなければならない。壁際の断熱材やサッシとの取り合いもスマートにしたい。手間と材をかければどんなこともできなくはないがうまいやり方ではない。軒裏の下地の野縁や間柱を活用しよう。等々やり合ってできた下地のひとつです。クリックしますと大きくなり、角材の先端がどうかみ合っているか見えます。

p1010646p1010650


写真撮影

今月アップした「みどりのの家」の写真撮影はちょうど梅雨入りが発表された時期でした。
天気予報では撮影当日は午前中雨で次第に天気が回復するということで、前日にどうしようか悩みながらカメラマンに撮影するか相談をしたところ、萩原さんが決めてくださいとあっさり。
延期となるともう一度スケジュールを組み直さなければいけないし、本格的な梅雨に入ればさらに条件は厳しくなるので思い切って翌日に決行することにしました。写真撮影は建主、カメラマンの予定とさらに天気が絡んでくるので、予定日と予備日も確保しておかなければならず日にちの調整が意外と大変です。撮影当日は雨が止んで曇りの天気でしたが、つくばEXでみどりの駅に着く頃には運良く西の空から晴れてきていました。

 今回の住宅は説明にも書いてあるのですが、敷地に余裕があり庭にも同じ規模の家がもう1軒建つほどです。
計画では道路境界沿いには最初から植栽を植えるものの、庭は建主さんの自主施工ということで1月末の引渡しから約3ヶ月間、土曜日曜は庭仕事をされて建物の周りには砂利を敷き、家庭菜園コナーが出来、南側の庭には芝が敷きつめられた状態になっていました。これからも少しずつ手を入れて建主さんなりの庭に成長して変化していくので楽しみです。

 撮影の際、写真に入らないよう置いてあるものを移動することがあります。
外観を撮る時に、デッキ脇に置いてあった直系1m以上あるプラスチックの亀の形をした子供用の砂場があったので庭の角に移動しました。たまたま移動した位置が2方向道路の角にあたる場所で、撮影の休憩中に近所の仲の良い友達が集まってきて道路からそのまま庭に入ってきてその砂場で遊んでいました。
庭も広いのでちょっとした公園のようになっていて、撮影が終わった後もなかなか良いということで亀の砂場はそのままの位置になっているそうです。