月: 2010年3月

フランスの建築 8 Musée d’Orsay

メインホール

オルセー美術館は、1900年の万博にあわせて駅兼ホテルとして、Victor Lalouxの設計により建設されました。収蔵されている作品は、2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までとはっきりしていて、ルーブル及びポンピドーと役割分担がなされています。この建物の特徴は、なんと言っても元駅ですので、(見も蓋もない言い方ですが)長いということでしょうか。この長いメインホールに、大胆に取られたガラスのアーチ天井が、他の美術館とは一線を画す方向性のある開放感を生み出していると思います。メインホールには多分彫刻しかないのですが、ここの彫刻を鑑賞するときには嫌でも背景となるガラスアーチが目に入り、背景の奥行き感が彫刻の迫力を増す役割を担っているようにも思えます。

食堂

メインホールの両脇は、それぞれ地上3階地下1階の展示室があるのですが、3階には食堂もあり、この食堂が非常に魅力的でした。住宅では朝日の差す食堂と言うのが良しとされていますが、この食堂のように日は差し込まずに明るく広々とした場所というのが実は朝食にはベストのように思えます。普通の住宅では無理な話です。

食堂

食堂を抜けると祝典の間という豪華な展示室があります。舞踏会でも行われそうな空間で、スケール感も大きく、何となくアリスの世界にでももぐりこんだような気分になります。朝一番で乗り込んだおかげか、誰もいない祝典の間を堪能できました。

大時計

実は今回、個人的には世界一なまめかしい水が描かれていると思っているアングルの『泉』を是非見てみたかったのですが何故か見忘れてしまいました。より有名な作品たちに気を取られてしまったようです。この美術館のシンボルでもあるのでしょうが、この大時計がいつも目に入るため、どうしても時間が気になってしまったのも一つの原因だったかもしれません。訪れる際には時間を気にしないで良いくらいの余裕を持って行動されることをお勧めします。


安全性の確認は何の安全性?

最近、増改築の確認申請で役所と二件続けてやり合うことになってしまいました。
既存の建物が完了検査済み証を取っていなかったために、増築する部分の安全性だけでなく、既存部分の安全性を証明しないといけません。両方とも、役所公認の他の設計者が耐震診断をして、耐震補強の内容を指摘し、それに基づいて工事をする予定です。
それなのに一方の建物は、既存部分の安全性を増築部分の設計者が保障しないと増築部分の確認申請は認可できない、ということでした。

もう一方ではこれまで35年間構造的に何の不安も感じさせる兆候はなかった、30坪ほどの二階建ての木造住宅で、以前に役所公認の設計者が耐震診断をしていて、それに基づいて私どもが増改築の設計をするのに、既存の基礎が安全であることを現設計者が証明して欲しいといわれ、ついやり合ってしまいました。現実的に基礎をすべてを壊さないと中にどのように鉄筋が入っているのか、結局分からないのにどう証明しろというのでしょうか。

また一階は増改築せず、外に1畳程の物置を取り付けようとしたら、その物置が与える一階部分への影響と安全性を証明しろときました。さらに既存サッシも建築当時は法的に問題なかったものなのに、現在は防火設備の認定を取得していないと防火上の安全性を確認できないので、認定番号を明記しなさいと来ました。既存サッシは確かに当時認定制度がなかったので、取得はしていません。しかし防火上、それが実際に問題を有しているかどうかは判明できないだけなのです。ガラスを網いりのものにしなさいというのなら、納得できます。法律が後から出来ているのに、それまでのものもそれに従えということです。

これまで日本では新築がメインで増改築については法整備をきちんとしてこなかったつけが、最近景気対策もあり、このような釈然としない問題を多く噴出させているのかもしれません。民間の審査機関も増改築は厄介なものですから、自分たちが審査せず、役所に行くことを薦め、自分たちが審査しようとしません。

このように確認申請の審査官は安全性を高く謳いながら色々注文を付け、それでいて最後は設計者が責任を負いなさいとなります。設計者は言われなくても自分の設計したものには責任あることを自覚しています。だけどこのような確認制度の審査では、何のための安全性なのか、単に役所や審査官の安全性のための確認制度でしかないのではと思ってしまいます。


「住まいの耐震博覧会」出展のお知らせ

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今週末になりますが、3月27日28日の2日間開催されるNICE主宰の「住まいの耐震博覧会」に、山長建設工務、グルーラムウォールと共同でDEWS工法による住宅「ヒュッグリー」を出展することとなりました。こういった大きな展覧会に出展するのは初めてなので、まわりに呑まれてしまうかもしれませんが何とかうまくアピールして来たいと思います。


耐震補強・改修・増築工事 引き渡し間近

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犬走りのコンクリートが打設完了。既存部分と増築の間のエキスパンションジョイントも施工完了。来週には、足場が取れます。
建物全体的に、増築・改修前と色調が変わりました。外部はグレー系で、内部は茶系の暖かい感じになりました。気づいたら、以前とは内部と外部の色調が逆ですね。
いよいよ、引き渡し間近。


引き渡し前

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写真は階段室から2階の居間とデッキを見たところ。居間の大きい開口部には、LOW-Eの複層ガラスが入っています。
壁の左官も綺麗に仕上がりました。


旧家

滋賀県近江市の遠縁のところへお墓参りに行きました。商人として得た冨で建てた小学校やお寺の見学、資料館になっている生家の見学もするというので、連れられるままに参加しました。築70年以上の日本家屋を補修し増築して住んでいるご自宅にもお邪魔しました。はじめは社会科見学のような気分でいましたが、お話を伺っていくうちに、旧家を維持していくということは、ハードとしての「家」の維持管理が大変だということのみならず、「いえ」というソフトなもの(それをなんと呼ぶのかサラリーマン家庭に育った私には想像しかできないのですが)、それを代々引き継いでいくことなんだと感じました。

旧家を守っていくという感覚は、ひとつの「いえ」だけでおわることはなく地域と密接につながっているようでした。見学したお寺は、檀家が少なく住職さんを迎えられず、数少ない檀家で持ちまわりで、責任を持って維持管理しているとこと。とても美しく整ったお寺で住職さんがいないとは思えませんでした。ただ各檀家とも高齢化がすすんで子世代がいないのでこれからは大変だと聞きました。

都会に育って代々引き継ぐべきものなんて何にももたない自分の存在と、ふらっと遊びにきた私達への親切で暖かい田舎で受けたもてなし・・・。今回の旅は、ハードとしての家のひとつの形を見学するつもりだったのですが、「いえ」やアイデンティティについてとても考えさせられて、まだまだ消化不良です。

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フランスの建築 7 Le Mont Saint-Michel

要塞のような通路

フランスの文化遺産として最も早くから指定されているうちの一つであるモン・サン・ミッシェルは聖堂、修道院、要塞、監獄と様々な用途で使われ続け、その形態自体も変遷を続けた非常に特異な建築物です。非常に荘厳な造りですが、そもそも建てられたきっかけは、オベールと言う司教が神様(すなわちミッシェル)のお告げを2度にわたって無視(というか信じなかった)し、いい加減にしろと頭を小突かれて慌てて造ったということです。実際のところ誰が設計して誰が作業したかはわかりません。遠くから見た幻想的な写真はよく見ていたのですが、実際に入ってみると、まずは江ノ島のような商店街に人だかりという光景に出くわします。ちょっと思っていたのとは違う風情ですが、ここにはレストランも多く、有名なオムレツやシードルの他にも羊料理や牡蠣なども楽しめます。もちろんワインとチーズもあります。有名どころではないレストランに入りましたが、それなり美味しかったです。で、商店街を抜けてどんどん登っていくといよいよ修道院入り口となります。タイミングもあるのでしょうが、この辺に来ると何故か人がぐっと減り、急に厳かな雰囲気になってきます。要塞として使われていたと言うのも納得の、両側に建物が屹立した通路を登り、一気に高い位置にある広場に出ます。ここからは周囲が一望できて非常に気持ちよさそうなのですが、何故か猫のトイレのような臭いが(外なのに)立ち込め、小さな虫もぶんぶん飛んでいるので思い切り深呼吸と言う気持ちにはなれません。

遠くまでが見渡せる広場

さらに進んでいくと、礼拝堂や食堂など、修道院らしき部屋が続きますが、意外な雰囲気の中庭もあったりします。まさかこの建物内で植物に遭遇するとは思いませんでした。

ちょっとロマンチックでさえある中庭

部屋ごとに表情が様々で、かなり暗い部屋もあれば広々として清々しい部屋もあり、でかいだけあって飽きさせない造りになっています。なかでも気に入ったのが下の写真の太柱の礼拝堂と呼ばれる部屋で、微妙な暗さと所々の明るさ、ベンチの配置などが丁度良く、近所にこんなところが合ったら骨休めに良さそうです。

座りたいことこの上ない感じのベンチ

昔、満潮時でも渡れるようにと造られた一本の道の周りに砂が堆積し、今や満潮時でも道路以外も陸続きとなってしまっているようです。この砂を除去してかつての島の姿を取り戻そうというプロジェクトが進行中です。