月: 2010年6月

必要なものはLove

サッカー日本代表が、先月まではちょっと想像できなかった快挙を果たしました。

ターニングポイントは5月24日の韓国戦、ワールドカップ前最後の国内試合だったのではないでしょうか。メンバーが固まった後であるあの試合で岡田監督への批判はピークに達しましたが、選手への批判というのは非常に少なかったように感じられました。今思うと、岡田監督の記者会見なども批判は自分に集中させようとする意図があったのかもしれません。結果論ですが、選手たちとしてはピッチに立っているのは自分たちであり、監督に対して申し訳ないという気持ちが強まるのはある種必然だったのではないでしょうか。元より岡田監督はとても頑固で負けず嫌いの人情派らしいので、選手側と強い結びつきを得られれば非常に固い「チーム」を作ることはそれほど難しいことではなかったのかもしれません。恐らくメンバーが固まるまでは本当にチームとしてまとまるのは難しいでしょうから、韓国戦後に監督批判がピークを迎えたというのはチーム内の結束を固めるのにこれ以上ないタイミングだったのでしょう。

その後、イングランドやコートジボワールといった本当に強いチームとの練習試合で「あのレベル」での出来ること、出来ないことが見え、先発メンバーも変わってきました。本番のカメルーン戦ではベンチまで肩を組んでの国歌斉唱という結束感を持って挑み、とにかく得がたい勝利をつかみました。その後、長谷部選手の「監督を男にしたい」などという発言も飛び出し、映像などを見ていても先発から控えに回された選手の表情も何となく晴々して見え、チームの雰囲気のよさが伝わってきました。オランダ戦では敗れこそしたものの、初戦では見られなかった攻撃への形が現れはじめました。これは初戦、及び当試合の前半戦で、ある程度守れるという自信を持てたからこそ生まれた動きだったのでしょう。そしてデンマーク戦はさらに一段仕上がった状態で迎えることが出来て、3戦同じ先発という疲労も上手くコントロールし、勝つために必死の格上の相手に3点取って勝つという結構すごいことをやってくれました。私は開催前、日本人監督でワールドカップに挑むのは無理があるのではないかと思っていましたが、今回の日本の躍進は日本人監督でなければ難しかったでしょう。

奇しくも決勝トーナメント進出を決めた6月25日はマイケルジャクソンの命日で再び「This is it」を鑑賞しましたが、彼がリハーサル中に何か問題を指摘するときに「with love」を強調し、ダンサー、スタッフ、バンドが一体となる雰囲気作りに努め、その上で「観客に日常を超えた経験をさせよう」と全体を盛り上げていく姿に日本代表が重なり、これは恐らくどんな人間関係にも共通して必要な姿勢なんだろうと改めて感じ入りました。非常にシンプルながらも簡単ではないことですが、自身にも反映させて行きたいところです。

まさに日常を超えた高揚感を与えてくれている岡田ジャパンには出来れば現地で声ある限りエールを送りたいところですが、ちょっと無理なのでせめて最後までしっかり楽しませて貰おうと思います。そして、いつか日本が消えたとしても、残ったチームがどのような基盤の元で戦っているか調べてみるのも興味深いと思います。

蛇足ですが、私の愛するオランダのロッベンが最終戦でちょっと出て来て良い動きをしていたようです。しっかり休んだし決勝まで日本とは会わないので最高の活躍を期待してます。

2006のユニフォーム


しぼり.com住宅設計者をしぼりこむ

最近色々な住宅設計者を紹介するサイトが出来ています。
私達もそういった設計者紹介サイトをいくつか見ていて、すこし不満に思うことがありました。それは、人生の中で何回もない大きなお金と生活がかかったことなのに、事務所の所在地ぐらいでしか探せないサイトが多いということでした。

そんなこともあって、(有)グルーラムウォールが「しぼり.com 住宅設計者をしぼりこむ」という設計者を探すサイトを立ち上げる際に、お手伝いをしました。
自分の条件にあった設計者・建築家を探せるように、質問が多く細かい条件から探せます。
建物の実例についても条件を選んで、探せるようになっているので、色々な条件で探してみると面白いですよ。


北上尾地鎮祭

100_6569100_7537100_7530

埼玉県上尾市で平屋の住宅の地鎮祭を迎えました。ご両親様の敷地の一角に建てます。

当初敷地は、幹の太さが3メートル近くになる欅が数本あり、竹林に覆われていました。立派な欅を残す方針で建物を配置していましたが、

広大な庭を管理し続けて、今後の管理と維持の大変さを懸念されたお祖父様のアドバイスで、伐採することになりました。伐採してみるとすでに内部が腐っており事なきを得ました。欅を伐採しても北側には、かぐや姫がでてきそうな立派な竹林と雑木林が向こうの道路が見えないほど残っています。

建物は南側の母屋と北側の半屋外の多目的スペースからなり、その間のアプローチを通って玄関に向かいます。大きな特徴である屋根は、模型で検討した上で、建物中央の廊下への採光や通風を確保できる入母屋としています。敷地の一角に放置?された立派な石を発見し、外構計画で利用させて頂くことにもなっています。

打ち合わせはいつもご実家にお邪魔するのですが、その最中まだ小さいお子さんは、ひいおじい様、ひいおばあ様、おじい様、おばあ様のどなたかにいつも相手をしてもらっています。4世代が集うことはなかなかない昨今でうらやましい限りです。私は幼稚園に通うまではおじいちゃんが一番の遊び友達だったので、懐かしい気持ちをいつも思い出しています。
l10503271l1050319l1050321l1050330


フランスの建築 10 etc.

quaibranly

さて、フランス建築シリーズも今回で最後、つまりネタが切れたということで、写真が少なく単独での展開に無理を感じた建築たちの紹介とします。終わりの始まりを飾るのはケ・ブランリー美術館の垂直庭園です。美術館自体はJean Nouvelですが、このグロテスクなまでの壁面緑化は植物学アーティスト(?)のPatrick Blancによる作品です。日本では金沢21世紀美術館の緑の橋などを手がけた髪の色まで緑な方です。(髪の色は今は違うかもしれません。)実は今回の旅で一番強烈な印象を持ったのがこの壁で、全く知らなかったからという些細な側面もあるのですが、何が凄いってこれだけ豊かな植物群を育んでおきながら全く土を使っていないらしいのです。つまり軽いわけですね。建築的にはとても有利です。絵的には不自然極まりないのですが、これも自然ということでしょうか。

Palais Royal

さて、次はパレ・ロワイヤルです。ルイ14世が住んだことでこう呼ばれるようになったらしいです。中庭に円柱が並んでいるのが有名ですが、工事中で見れなかったので周囲の回廊を歩きました。回廊沿いは比較的高級な店舗が並んでおり、それぞれのウィンドウも趣向が凝らされていて面白いです。ここまで誰もいないのは深夜に訪れたからで、多分昼間は賑わっていると思います。

louvre1

louvre2

続きましてはパレ・ロワイヤルの目の前にあるルーブルです。ガラスのピラミッドが有名ですが、建物はでかすぎて印象が薄いです。ただ、中庭は非常に気持ちがよく、時間があればのんびり過ごしたい空間でした。開園の頃に行ったので人もまばらで美術鑑賞としては今回の一番の目的だったラ・トゥールの大工ヨセフを誰もいない状態で鑑賞できました。例のモナリザの部屋も人はまばらでしたが、ロープで遠くからしか見れず、しかもガラスが反射するのでちゃんと見たい方は双眼鏡必須です。2枚目はロビーですが、ここを眺めているのも意外と面白かったです。

tokyo

Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris

美術館続きで、市立近代美術館です。フランス語だとMusée d’Art Moderne de la Ville de Parisととても長い名前です。無料のためか管理状態はとても良いとは言えませんが、デュフィーのばかでかい絵の部屋とマティスのばかでかい絵の部屋があり、これだけでも見に行く価値はあると思います。エッフェル塔からも近いです。中庭を挟んで西側がパレ・ド・トーキョーで、こちらでは現代美術が見れるはずです。シリーズ第二回のマイケルジャクソンへのオマージュのようなものはここのエントランスにありました。東西合わせた建物としての名前はパレ・ド・トーキョーで通っているようです。

metro

建築と呼べるかはさておき、パリといえばメトロです。映画「パリ・ジュ・テーム」でスティーブ・ブシェミ演じるアメリカ人観光客がぼこぼこにされる場所です。滞在中、かようなシチュエーションにはなりませんでしたが、人が少ないときにはあまり他の人を見ないようにしました。混雑した駅などに行くと、多分そこが一番現地の人との距離が縮まる(物理的に)場所なので、現地人観察には最適です。幸いスリにも会わず、ドアを開けるボタンを押すタイミングもしっかり盗みました。座席は当然のように汚いですが、汚いといえば実はパリ全体が汚いのであまり気にならなかったようです。

airport2

airport

最後の最後になるのはシャルル・ド・ゴール空港です。映画「パリ空港の人々」をご覧になった方なら憶えているかもしれませんが、乗り場に行くまでの動く歩道のある通路が洞窟のようで非常に印象的です。また、中央部のエスカレーターホールのような場所もアミダクジ的面白さがあります。空港というのは多くの場合旅の始まりと終わりに位置するためか、結構記憶に残りやすい場所だと思いますが、過去に訪れた空港の中ではダントツに陰のある空港でした。フランスの空港としてはとても合っていると思います。ただ、お土産を買うにはあまり向いてません。

早いものでこの旅から既に半年以上がたってしまい、細かい記憶はだいぶ薄れてしまいました。しかしながら初めてのヨーロッパということもあり、アメリカやイギリスではあまり感じたことの無い「異国」感は今でも鮮明に思い出されます。また、不便さや不潔さといった、現代社会では負の要素となるものをある程度許容することから生まれる美しさや趣深さというものが、結局は豊かさにも通じるのではないかとも思えました。日本でも「フランス風」なインテリアなどをよく見かけますが、あの特有の居心地の悪さは結局のところ清潔で便利な造りになっているためなのかもしれません。

*****************

metheny

全くの余談ですが、パットメセニーの「オーケストリオン ツアー」に行ってまいりました。今回は全ての楽器を彼がギターでコントロールしてプログラミングした信号で多くの楽器の生演奏を行い、それに合わせてメセニーも演奏するという、一歩引いてみるとちょっとおかしな内容です。生演奏とはいえやはりバンドではないし、実はそれほど期待していなかったのですが、蓋を開けてみると今まで観た中でも2番目くらいに感動的な内容でした。何が凄かったかといえば、その場で演奏しながら様々な楽器に対してプログラミング(=ギターによる信号入力)を行い、それをループさせてその上に即興でメロディーを作っていくのですが、この一連の作業から生み出された高揚感が宗教的というか、何か雲の切れ目から光が降りてくるような錯覚を覚えるほどでした。この音楽手法というのは、非常に構築的であり、詩的であり、ある意味一人だからこそ到達し得た完成度というのを見せ付けられました。建築の世界でいえば、設計者が自ら施工を行うか、鉄筋の折り曲げ方やカンナのかけ方まで指示を出すくらいの細かい管理を行ったようなものではないでしょうか。ただ、決定的に違うのは音は出た瞬間に消えているという点で、この刹那的感動には形として残るものはどれとして敵わないのではないかと思います。すばらしい経験をさせてもらいました。


日本の森林の危機

ブログでは時事に関する話題になるたけ近寄らないようにしていましたが、5月30日毎日新聞連載のニッポン密着「ヒノキ中国人が大量買付け打診」はとても気になり、取り上げることにしました。その記事の前に「奪われる日本の森」と言う本を購入して読み出していたところでしたので、なおさらでした。 詳しくはネット等で調べていただきたいのですが、ここでは自分の感じたことを要約します。

 今、日本の林業はCO2削減ということで話題になることは多いのですが、現実は安い外材に押され採算がとれないため、林業事業者は激減していて、従事者も少なく、かなりの面積の森林は放置されているようです。せいぜいところどころ補助金で伐採や手入れをしているところが多少ある程度のようです。

それは去年三陸木材高次加工協同組合さんの伐採現場を見学した時あらためて感じさせられました。住宅設計の際でも、自分の山の木を使ったら建築費を安くできるのではと言われることがよくあります。しかし実際は、山の木を無料で手に入れることができても、それを伐採し、製材し、乾燥させ、住宅に使用しようとすると、量をふんだんに使用できると言うことはあっても、全体の工事費が安くなると言うことにはなりません。むしろ割高になることさえあります。半世紀ほど前から日本中が孫の代のためにと、こぞって植林した森林が、手入れもされず放置され、その子孫がむしろ固定資産税や相続税の支払いに困っている状態なのです。

 日本の檜、杉、松などの森林は、最近こそ手入れはされていないとはいえ、建築用材としては世界的にみてもかなりの価値のあ材であることは確かです。世界的にもまれなことに、なぜか日本では山林の売買は農地と違って制限はありません。だれでも購入できます。そんな状況に、森林が伐採しつくされ、経済成長が著しい中国の木材関連企業が放っておくとは思えません。固定資産税程度の、ただ同然で手に入る山林を購入し、中国人労働者を連れてきて、伐採し、丸太ごと中国に持ち込み、本国で製材し、商品化して利益を上げるということは十分考えられるのです。中国人が直接購入しようとすると売る人が抵抗覚える場合は、日本人の名義を借りて行うのはお手のものではないかと思われます。伐採後売却してもいいのです。いずれにしても発展途上国の者には日本の森林はチャンスなのです。しかも放置されている山林は過疎地であることが多く、そのような伐採が行われていても目立たず、気がついたら故郷の山々が丸裸になっていて、崩落や洪水の多発地帯になっていたと言うことは当然の成り行きのようにありえるのです。

 日本の森林は単に建築用材としてだけでなく、製薬会社の新薬開発用の多様な遺伝子の宝庫としても注目を浴びているようです。製薬会社にしてみればただで遺伝子の宝庫を手に入れられるわけですから、これもおいしい話です。木が伐採されてないからと、気がつかないまま日本の要所要所の殆どの山林が海外企業の所有になっていたと言うこともありえます。

そうなるともしかしたら、世界中で起こっている水争奪戦の真っ只中に引き込まれ、水資源としての山林が海外企業に押さえ込まれ、ただだった水が数十年後の日本では高額の配給水として飲んでいたと言う恐ろしいこともありえます。