月: 2010年7月

続、住まいづくり、うまく転がる家、転がらない家

うまく転がっていく家は何が違うのか考えてみました。

まず、うまく転がって行く方は、うまく転がそうという思考は微塵もありません。
むしろ、すごく優秀な方なのに驚くほど謙虚で何事にも丁寧です。作為はなく、心底、慎み深い方のようです。
基本的な考え方や判断にぶれがなく、私どもに設計依頼に来た時も他所と比較することは眼中にない様子で、引き受けてくれるかどうかだけを気にしていました。

本来建築行為は経済行為で、ビジネスです。対価を支払う以上それに見合った成果をします。
それは双方の意識に権利義務の感覚を発生させます。
当然ながら建築費を支払う方はそれに見合った成果を少しでもより高く権利として要求し、作る方には義務感が生れます。

その関係をうまく転がる方の場合、決して権利義務の関係から相手に要求している様子はなく、あくまでお願いするスタンスで相手に要望する感じです。その証拠にその要望にこたえ切れなかった場合も、努力した上での結果なら、自分にも何らかの足りない何かがあったのかもと考え、運命として引き受ける用意が感じられます。しかも何も問題がないからそうしているのではなく、現場でも、個人的状況でも簡単ではない問題や事態が生じているにもかかわらずにそうです。

建築のうち、商業建築やメーカー等の販売型規格住宅の場合は誰がやっても同じ経済行為としてなされる請け負い行為です。
請負とは建築関係者は、請けたら負けと自嘲気味に言い合っています。請けたら言いなりにならざるを得ないので、通常ですと感情を押し殺して必要なことはちゃんとやろうとはしますが、余計なことは疑問を感じても、色々な人がいるので、でしゃばらないようにと黙って割り切ってやろうとします。依頼者に作業の間違い探しやシビアな作業精度など権利としての要求が過大なっていったら益々萎縮し、その度合いは増していきます。

それが謙虚にお願いされ、また多少の不具合や間違いの修正をおおらかに許容し、一挙手一挙手に感心されたり、作業結果に喜びや感動を見出し、感謝されたりすると、それは誰でもいい関係の仕事からその時点で、個別的関係に変化することになり、作業の一つ一つも個別性を際立たせることになります。
そうなると個人的感情や職業観が露になり、その時の建築関係者がものづくりに誇りや情熱がある場合、より積極的な方向に変化を促すことになり、必要以上の行為を引き出します。それぞれが勝手な方向にやり出したら収拾がつかなくなりますが、作ろうとしている方向に共感を覚えてまとまっている集団であれば、一足す一がニではなく、三にも四にもなっていくことになります。

これは、近代教育で養成された資質と真逆の方向です。近代教育では騙されないように、より知識を増やし、対象を批判的視点でより細かく観察し、少しでもおかしいと思えるところがあれば、権利義務の観点から厳しく指摘し、少しでもより良いものを求めていかなければならない。何事でもそれが一生懸命やるということだと教育されます。うまく転がらない家の方の相談事ではなぜかこのような背景が見受けられます。

しかし、うまく転がる家の方ならどんな建築関係者でもうまく転がるのかと詰め寄られると、業界の平均や実態を知っていると、確かに、そうだとは言えず、むしろ殆どの場合騙されないまでも後で後悔するような事態になるかもしれません、といわざるを得ない気がします。最初の選択がおかしなものであったら悲劇になる可能性があります。

しかしうまく転がる方の場合、それまでの生き方で、適切な建築関係者を選択できる直感や考えにたどり着ける能力が身についているような気もします。また周囲にもより良いアドバイスしてくれる方がいるなど、結果として適切な道を選んで行くような気もします。

いずれにしろうまく転がって、関わったみんなが喜べる建築をしていきたいものです。


住まいづくり、うまく転がっていく家、転がらない家

先週、木造の増改築工事で単世帯住宅を二世帯住宅にした建物の完成引渡しがありました。とても喜んでいただけて、設計者にとってはうれしい一日でした。

新築の場合はどういう経過でどういう家になるか、ある程度読めるところがあります。しかし増改築は始まってみて何が起こるかわかりません。まず無事着工できるかどうかもわかりません。増改築は依頼者の意向や要望も最初からは絶対的根拠に乏しく状況次第で変わることがあり、予算も低めに予定していたり、既存建物が建築基準法上不適格で確認が下りなくて途中挫折したり、無事着工しても、あけたら中が図面と違っていたということで問題を抱えることが多いのです。それもあって通常は望んでは受けないようにしています。
 現に、つい最近増改築の相談があり、その既存家屋はかなり複雑な形態をしていて、耐震補強も必要で、引き受ける前に希望に応えられことが可能か、予算通りやるべきことができるか、吟味し、工事屋さんに見積もりまでしていただき、何とか希望に応えられそうでしたが、予定工費費を1割弱オーバーしているということで中止になりました。

 
 今回も一階で生活しながら下屋部分に二階を増築し、残りの二階部分は全面改装して子世帯用にするというものです。建築確認が絶対必要な工事です。以前に一度増築していてそれの検査済み書は取得していませんでした。途中どっかで暗礁に乗り上げてもおかしくないようなケースです。
 設計者の責任で挫折させるわけにはいきませんので、確認申請の事前検討で役所に何度か通い、法的道筋をつけ、工事費の予測のため、普段付き合いのある工務店さんに無理言って概算設計で工事費を出してもらい、少なくとも設計者の技量のせいでの挫折はないようにしてから、正式に依頼をうけてそっとスタートしました。
 ところが、依頼者の依頼の仕方で、まず自分が何とかやってみようという気にさせられ、工事やさんも下見の段階で建て主さんにあってその気になったようです。なかったはずの図面も建て主さんのご尽力とこちらの粘りで何とかクリアーできました。 工事中も二階で騒音が激しく、生活がつらかったはずなのに、苦情を言うどころか“職人さんが暑い中本当によくやってくれてすごい”と喜んでほめてくれるので、職人さんも気をよくして力が入り丁寧な作業になりました。

 確かに既存住宅との違いに目を見張る部分はあるかもしれないのですが、それでも人によっては工期のかなりの遅れや、騒音、仕上げの不具合など、何らかの不満を言ったとしても仕方がないところです。既存の傷つき柱の仕上げなどは難しく、きれいにはいきません。不満を言って当然のところを、慣れたら増改築ならではの味でこのままでもいいかも、と言ってくれました。
 このように建て主さん家族一人一人の言動が状況をいい方向に、いい方向にと転がしていくのです。いつかどっかで何かの問題に突き当たるだろうと覚悟していましたが、誰もが喜べるこんな結果に導かれ、正直感心させられました。


写真撮影

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先日、白井Y邸の写真撮影をしてきました。この写真は、担当だった石井さんにお借りしました。
撮影した写真が出来てきたら、このブログでも紹介しますので、お楽しみに。

竣工から半年経ったので、庭の植木も大分馴染んできました。1年も経ったら、良い庭になりそうです。

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撮影後はお茶をご馳走になりながら、奥様と担当だった石井さんとおしゃべりをしてきました。
引っ越し後は、概ね快適に過ごして頂けている様子でうれしかったです。
オール電化の家ですが、光熱費がかなり安くすんでいるということでホッとされたようです。これは、良い光熱費データが頂けそうですね。1年点検時に4シーズンの光熱費と室内温環境の様子をお聞きすることにしましょう。


パウル(タコ)

ワールドカップの残すところ後2試合となりました。
オランダが決勝まで残り、横浜ベイスターズがセリーグ制覇したとき以来のドキドキ感を味わっています。
しかしながら決勝直前で暗雲が。
その原因はパウル(タコ)
彼は2008年のユーロからドイツ代表の試合の予測をさせられてきたのですが、予測正解率が83%超えで、しかも本大会において100%の好成績を収めています。
で、ドイツの試合だけやっててくれれば良かったのですが、なんとワールドカップ決勝の予測までやらされてしまいました。
予測結果は残念ながらスペインの勝利。
もちろん過去の正解率が83%ですから、予想を外すというのは十分考えられます。
ただ、ドイツが戦う3位決定戦の予測も行っており、ドイツの試合の方が彼にとって本流なので外すとしたらこちらではないかと思ってしまうのです。

対抗してインコのマニというのがいるようで、こちらはオランダ勝利を予測しているようですが、後から出てきたしタコに比べると神秘性が薄いのでなんとも心もとないです。
日曜の夕食でタコを食って万全の体制で決勝挑みたいと思います。


久々ですが現在進行中

東久留米の増築現場は現在塗装工事中です。

既存の構造材の梁や柱を、ほぼ黒に近いエボニー(黒檀)色の浸透性のオイルで仕上げています。家具はチークの床材にあわせて濃い目の茶色としました。まだ一度塗りの状態ではありますが、柱や梁を塗装して空間がぐっと大きく変化したように感じました。左官の壁の仕上がりが楽しみです。

元は壁の中に隠れていた柱や梁ですので、ホゾ穴等がところどころにあります。それらをひとつひとつ大工さんが丁寧に補修されている最中でした。埋め木しやすいよう穴の余分な部分をノミで削り、少し大きめの材をきつめに埋めて表面を綺麗に鉋で削り、最後に塗装します。

埋め木をする形は単純な形ばかりではないので、腕の見せ所でもあります。昔の柱は現在のものと寸法が違ったり、多少歪んでいたりと、壁を張る前の下地調整が結構大変だったとのこと。綺麗に整えられた出来上がりの状態ほど、ぱっと見てまったくひっかかるところがないので、そういった工事過程での職人さんの苦労になかなか思いが及ばないものなのですが、この仕事に限ってはそうではないなあと思いました。

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閑散としたクリニック

パラグアイ戦の延長戦で引導を渡されました。デンマーク戦の夜中3時の戦いは、それなりの事前睡眠の準備をして見たので、勝利したこともあり体調は何とか保てました。パラグアイ戦も90分で決めてくれていたら、風邪を引くことはなかったと思います。観戦後体調が弱っていたせいか、興奮していたせいか、よく眠れませんでした。翌日疲れて、のどが痛くてだるい。風邪です。期限のある作業を済ませようと少し無理したのもいけませんでした。これはまずいと、周りから言われる前に医者に行こうと翌日事務所近くで、1月に健康診断を受けたクリニックに行きました。ついでに他に悪いところないか調べてもらおうと受付けでお願いしました。閑散としていました。問診表を記入して、呼び出しを受け、内科医の若い先生の前に座りました。問診表を見ながら、どうしました?と顔も見ずに聞き、状況を話したのに、殆ど聞き返しもせず、今年でなく去年の健康診断表を見ながらぶつぶつ話しています。聴診器を胸と背中に当てはしましたが、会話になりません。「風邪のくすりに抗生物質、のどと、気管支拡張の薬を出しておきます。」最後に「それでは血液検査をしましょう。」というので、お願いします。と、でもその後、こんなかぜのときでも、ちゃんとしたデータ取れるんですか?と聞くと、「少し違う可能性もあります。」それじゃ直ってからの方がいいのでは?「ではそうしましょう。」
その間一度も目を合わせようとしません。深く状況を聞こうともしません。
設計者にしたら考えられない専門家の対応です。相手の状況を知らずに対処できるわけないからです。
かえり際、それとなく受けつで聞いたら、5月に赴任したばかりの先生だそうです。
これも医療の現場のひとつなのかも知れません。
閑散としていたわけが良くわかりました。