月: 2010年9月

コンタクト探査プロジェクト

 それはNHKの番組『追跡AtoZ小惑星探査プロジェクト“はやぶさ”』の放送翌日のことでした。「ああ、またやっちゃった」という連れ合いの洗面所の大きな声から始まりました。「もうレンズ流れてしまったと思う。気がつく前にだいぶ水を流してしまったから。」というよく聞いたせりふ、10ヶ月ぶりです。いつものように洗面台下の流しの排水パイプをモンキースパナで開け、風呂場の洗い桶にパイプに溜まった水をそっと落とし、その中にレンズがないか丁寧に見ました。ありません。やはり流れてしまったか、と思い、パイプを繋ぎ戻しましたが、はやぶさの探査プロジェクトを見た翌日です。諦めるのはやるべきことをすべてやってからでいい、1%でも可能性があるなら試みなくてはいけない。
 流しの落とし口からもう一度見直してみました。排水口のゴミ受けの下辺りの暗がりに、水滴とも、レンズとも思しき光るものが見えました。ピンセットのようなものがあれば確かめられると思い、探しましたがありません。連れ合いに尋ねても「どっかあったような気がするけどない?」と本人はお出かけの身仕度で忙しく、このプロジェクトはもうとっくに諦めたのか、自分の仕事ではないと思ってしまったのか、気のない返事です。そのうちさっさと出かけて行ってしまいました。
 残された探査員はピンセットが無いので、編み物棒を二本探し出して、それで取り出そうとしました。そおっと排水パイプ口奥の中に差込み、レンズと思しき光るものを挟み取ろうとしました。しかし触った瞬間、水滴が弾けるように一瞬で消えてしまいました。やっぱり水滴だったのかとがっかりしました。
もう諦め、道具類をしまおうと思いましたが、惑星探査はやぶさの総責任者川口教授の、すべての可能性が消えたかと思われた時も諦めず、僅かばかりの可能性がある限り、それを探っていたという話を思い出しました。先ほどの弾けたかも知れない水滴がもしレンズだったら落ちた可能性のあるパイプの経路を、改めて洗い落とし、確認してから止めてもいいのではと思い直し、パイプの中の洗浄を始めました。
 一通り洗浄を終えて、すべての水が流れ落ちた洗い桶を丹念に水とゴミとを区分けしていたら、汚れた水の中にたまねぎの皮らしき小片のようなものがありました。もしやと思いてに取り出しましたがやはり植物の破片でした。はやぶさは大宇宙の60億km先かなたの真っ暗闇に浮かぶ小惑星イトカワから持ち帰って来たのだから、60cmのパイプの先の黒い水から探し出すミッションぐらいできなくてどうすると、己を奮い立たせ、さらにゴミと汚れ水を掻き分けているうちに、桶の底にビニールの丸い破片のようなものが見えました。もしやと手にとって見たら、紛れも無いイトカワ、もといレンズです。
 やったー、探査プロジェクト成功です。ミッション達成です。諦めず続けてやったからこそ探し当てたレンズでです。
 連れ合いが帰って来たら自慢しようと思いながら片付けていましたが、はやぶさのカプセルに物質が入っているかが気がかりのように、ふと気がついたのですが、このレンズは果たして今日無くしたものなのか不安にもなりました。連れ合いはなくすことがよくあり、これまでもその7割ぐらいは私が探し出し、日頃の行いに悪さと稼ぎの少なさをそれで体面を保っていたようなところがあります。もしかして数年前に無くしたものの可能性もなくはない。と不安になりましたが、はやぶさだって数年前のものを持ち帰っているんだし、このプロジェクトも数年前のレンズだとしてもそれはそれでやはり成功だ、と自分に言い聞かせました。
 夕方、帰ってきた連れ合いに見せて確認したら、驚きながらレンズを目に嵌めてみて、今日無くしたのものだということが確認できました。短時間ながら久々に優位性をもたらした探査プロジェクトでした。


上棟式

北上尾の住宅で上棟式を迎えました。
はじめて訪れたときは、この場所には、立派な蔵が建ちその裏は完全な竹林で、あまり利用されていませんでした。
蔵と竹林を取り払い、既存の母屋に圧迫感を与えないように配置や屋根の形状を、新しい世帯の家を計画しました。
都心の住宅地では、隣地の建物の形状をお互いに考慮した計画はなかなか難しく、法律の制限でそれぞれが配慮せざるを得ないのが実情です。
まだ骨組みが立ち上がっただけではありますが、こちらのように大きな敷地ですと、建物の配置や形状、導線のつくり方、建物間の植栽計画などを工夫することで、単体の建物だけでは生み出せない、敷地全体としての豊かさが生まれるだろうなと感じられ、とても楽しみです。

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会話が気持ちよく転がる時とそうでない時

何気ない会話で話が新鮮な方向に展開していく時と、話が続かない時とがあります。

うまく転がって行く時は話題提示した人の意図や感覚に呼応して、話を深く理解するために問いかけるとか、その話から刺激されて想像したその先の話を返し合う場合です。話し出した人に好意や興味を抱いている場合は自然にそのようになりやすいようです。

逆に話題提示した人の意図や感覚を理解しようとせず、話の是非や言葉尻に囚われ、その是非を吟味するかのような話を返し合うと、話は展開しません。話の腰を折ることになり、せいぜい論争になるのが落ちです。それはそれで話を理解しようとすることですから、大事なことですが、すぐ袋小路に陥って発展的な話にはなりません。

感覚や考えがはっきりした人や年齢がいったような人はすでに自分の感覚が定まっていて、相手の話の先が見えているように思い、話の是非や言葉使いが気になるようです。相手に関心や好意を抱けないと、新たな展開に進む話にはなりにくいようです。何気ない会話なら、話の中身の吟味は自分の何かに影響する段階になってからでも遅くはありません。考えが固まっている人や、話の先に興味を抱けない場合、仮に問いかけたとしても、おざなりな関心から生じていることが見え見えで、話が転がっていかないようです。

また何事に付けても自説を展開したがる人との会話も発展しないものです。こちらからの話題もすぐその人の話にされてしまいます。そのような人と会話を続けるには、じっと聞いてあげて相手の話の展開にこちらの話す糸口が見つかるまで忍耐が必要になります。相手に多少でも好意を持てていないとなかなか耐えられないものです。

設計者の能力の一つに、依頼者を無理なく好きになるということが上げられそうな気がします。それがないと依頼者の話の背景まで理解しようとしないからです。背景の理解なく期待の本質に応えつつ、自分なりの固有の提案はできませんし、理解もしてもらえないからです。そのせいか不特定多数の方に自分を売り込む話はにがてです。誰にも価値ある話は不得手で、あくまで個別の話しなら、状況を深く理解することで、これまで考えた量の多さから適切な推察が可能になります。ホームページ等を見て、好意を持って依頼してくれたと思えるから、その方に好意を覚え、理解し合える会話になれる気がします。

自分の場合、他の能力はいざ知らず、依頼者に好意を覚える能力は他の設計者より高いかもしれません。というのは他の設計者仲間との会話でも8割は聞き役をしてあげていることが多いからです。もっとも話すことに夢中になりがちな設計者仲間との会話が続くのは、好きになる能力というより、忍耐力が殆どのような気もします。