投稿者別: 藤原

伊丹の家ストーリー4

「伊丹の家」エピソード4
伊丹の家の事例紹介のため、植栽の葉が芽吹いた頃、写真撮影することになっていました。最近居間食堂の床を畳にしたいという若い建て主さんが3人連続していましたので、畳の住み心地を改めて伺いたいと思っていました。

そのお願いをしようとしていたら、建て主さんから、海外勤務になるという連絡がはいりました。またびっくりして、よくある、家を建てると転勤を命じられる、というやつですかと聞いたら、そうではなく、関西で家を建てようと決める前から、海外勤務を希望されていたとのことでした。
ゴロゴロできる畳の生活にとても満足していたので、それが出来なくなることだけが残念だとのことでした。新居はどうされます?と伺ったところご両親が時々住んで頂けるということでした。

とにかく家づくり物語のエピソードの多い方でしたので、今度は海外でも家を建てるぞ、と言われても驚きませんのでと、海外に行く前の挨拶をさせて頂きました。
家づくりストーリーは未だ未だ続きそうで、海外からの報告写真がエピソード5になるかもしれません。


伊丹の家ストーリー3

伊丹の家・エピソード3
 「伊丹の家」は私たちが開発して来たFSU工法で創られています。この工法はプレカットと壁パネルの製作が妥当な価格と品質で出来るかということと、始めての工法に意欲的に妥当な見積価格で取り組んでくれるいい施工者がいるかどうかがポイントになります。下が今回のプレカット工場。

関東では毎回それに苦労していて、思った程普及が進まず、数棟にとどまっています。実は伊丹の家の建て主さんが設計依頼の時、今やられている工法でやっても構いませんよ、と言って頂きました。関西でもやってみたいと思っていた時でもあり、その壁パネルを製作してくれるところと、いい工務店に巡り会えるかが鍵で、初めての地、そう簡単に見つからず苦労すると思っていました。それがたまたま、関東で屋根パネルの製作を専門としている会社の方が、プレカット会社を紹介して頂き、そこにたまたまSE工法という新しい木造ラーメン工法を開発した会社にいた方が転職して来ていて、私どもの工法に関心を持ち、渋る会社に強く推してくれたので、請けて頂くことが出来ました。建て始めと一階北側壁が終わった時点の写真。


そこが紹介した施工者がこれまた優秀で、パネル製作に、自社の大工をプレカット工場に派遣して壁パネルの製作までしてくれました。その工務店の社長が遠方の設計者だから簡単には来てもらえないと、先々を読みながら仕事をしてくれたので、私共の足りない部分も事前にカバーされ、うまく出来たと言っても過言でないところがあります。二階壁完了し屋根垂木が乗った段階。

なぜかうまく運ばないときは、次々と障害が生じます。うまく運ぶときは多少の問題があってもトントンと進みます。出会いの重要なところです。今回の施工は新しい地にもかかわらず予想以上にうまく運んだ例ではないかと思われます。
工事途中に、塞ぐはずの妻側の桁上の三角の欄間を、建て主さんから明り取りにしませんかと提案され、それにも工務店さんは快く応じてくれました。

工事中も遅くまで頑張ってくれました。デッキから中を見た夜景写真


家づくりストーリー「伊丹の家」2

「伊丹の家」エピソード2
関西に引っ越し、しばらくは賃貸のマンション暮らしでいいと考えていたところ、千葉の家がすぐ売れてしまいました。戸建ての家の方が性に合うということで、土地を探し、手頃なところが見つかり、誰とつくるか、設計者をどうするか、と考えている時でした。その土地近くを歩いていると、何となく見たことがあるような家があり、結設計の家に似ているけどまさかこんなところにある訳ないと思いつつ、私どもを思い出し、関西まで来て設計してくれるか聞こうとなったそうです。
 設計者にしてみたら、二度も依頼される、しかも遠方であっても、ということは、設計者冥利に尽きるというもので、喜んで引き受け、敷地を一緒に見にいきました。色々見た帰り道、歩いている方向とは異なる左の折れ曲った道路の向こうを何気なく見たら、どうも見覚えある住宅の玄関付近と外壁や屋根の一部が眼に入ってきました。
確かに18年程前に関西に転勤を余儀なくされたTさんが、関東在住の時に転勤先の地に住宅を建てたいということで、2000年頃設計させて頂きました。伊丹市であることは覚えてましたが、だいぶ前で、場所までは確認して来ませんでした。建て主さんともその話はしておらず、又、らしい家を見たという話も聞いてませんでした。当時と付近の状況は様変わりしていて、街の様子も忘れてました。

驚いてそっちに勝手に歩き出していました。じつは建て主さんもそれらしいと感じた家だったということを後で知りました。表札を見たらやはりTさん宅でした。
ドアホンを押しましたが、その日は留守でした。もちろんその後、工事監理中に、ご主人が玄関から出ておられる時があり、一緒にお尋ねし、双方の家と人柄を紹介させて頂きました。ホームページで事例紹介始める前の家でしたので、建て主さんも事前知識なく、あり得ないと思われる地方で、私達が設計した家ではないかと、感じて頂けるということは嬉しい驚きでした。
その家の建築当時の南側外観です。今では周りが建て込み撮影不能です。

そっとお見せいたしますが、その家の建築当時の居間の写真です。


家づくりストーリー 「伊丹の家」 1

「伊丹の家」エピソード・1
 伊丹の家の建て主さんは、二度目の家づくりで、私共は二度も設計させて頂いた貴重な方です。最初の家は、下の写真の千葉県で建てられ、私共の事例にある「戸神台の家」です。

その時の敷地は県が開発した分譲地内にあり、南側道路を隔てた向かいは市街化調整区域の畑で、そこには建物が建つことはなく、年中陽が入る住まいです。二階に在来工法で手作りした風呂があり、家の中心が階段と吹き抜けになっていて、外からは想像しにくい空間を持った家です。そこの分譲地内にはその建て主さん始め、住まいをとても慈しんでいる方が多く、各家の建物だけでなく、庭づくりにも趣向を凝らしていて、歩いていて楽しくなる街です。詳しくは事例紹介か関連ブログをご覧下さい。

 その建て主さんが、仕事の関係で関西に引っ越すことになり、慈しんでいたその家を手放さざるを得なくなり、売りに出しました。最初1年ぐらいで買い手が付けばいいと思い、不動産屋さんが建物価格を安くしないと売れないと言われたのに、家を手放したくない想いもあり、自分なりの値付けで出したところ、一ヶ月もしないうちに買い手が付いてしまったとのことです。
 さらにその方とは別にまた、私どもの事務所に相談にみえた方がいて、私どもの所に来られた理由を伺ったところ、中古物件を探していて、「戸神台の家」をこれだと思って申し込んだところ既に買い手が付いていて購入出来ず、気になり、その家の設計者を尋ねてきたとのことでした。


外装の色使い

いつも通勤で通っている道のそばのマンションの外階段です。改修時に階段を塗装し直し、鉄骨階段を濃い焦げ茶色に、柱の色をアクセントカラーの赤にしていて、なかなか大胆な色使いですが、決して軽薄ではなく、結構目を引きます。

東日本大震災の応急仮設住宅では予算が厳しく、素材感を前面に出すと安っぽい感じが露わになりがちですので、内壁は木造躯体の自然な木の素材を露わにし、外壁は角波鋼板程度しか使えなかったので、下の写真のような濃いブルーにして素材感が気にならないようにしてみました。

色の扱いは難しくいつも悩みます。たとえばよく使う木の下見板一つでも色によってだいぶ感じが違ってきます。岩手の復興住宅で最初使っていた色は素直に木の色を強調してこんな感じでした。

その後下のような濃いグレーの色も使うようになってきました。同じ濃いグレーでも、日が良く当たるところや、建物の規模が大きいとさほど濃く見えない場合もあります。

下の写真は上の写真よりかなり薄いグレーを使っていますが、光の当たり具合や面の大きさの影響で似た色に見えます。

下見板でなければ、同じ木ですが、下のような色使いもあります。

いずれにしても色の道は奥が深くて、なかなか手ごわいです。


桃の花と芝桜

桜だけが花ではない。桃の花が美しい。後ろに青空があればなお美しい。

美しいのはほんの一瞬の時期かもしれませんが、それだけに美しいです。いや一瞬ゆえに美しいのかも。

花は上だけに咲いているわけではない。このように足元にも咲いています。

赤と白の芝桜です。

説明不要、眩いばかりの美しさです。連休前の写真です。時は残酷で、今はもうありません。

 

 


伊豆の桜

先日久しぶりに修善寺の駅に降り立った。改札を過ぎ、駅舎をまっすぐくぐり出ると正面にこの桜が出迎えてくれた。

仕掛けられたものだが、何となく桜の満開の花は、歓迎してくれるようだった。

 

 


子供の勉強場所

子供の勉強をどこでさせるか,というテーマは家を建てる時の設計の重大関心事です。何度か試みて、子供が小学低学年の頃は親の目の届くところで出来るようにしてあげるのは一つの回答のようです。以前安孫子の家などでは二階の階段室に設けた例もありました。

先日一年点検で伺った家では、小さな吹き抜けに面して、子供室に行く二階廊下に設けたところ、とてもいい雰囲気で活用されていて、思わず、お願いしてブログ用に写真を撮らせていただきました。

脇には本棚、その奥には洗濯機置き場と物干し場、それをたたむ家事机を配しています。

その手前には、パソコンコーナーもあります。

そこの机からは、小さな吹き抜けを通して一階の居間食堂も見えます。

最近はパソコンコーナーは必須で、それに付随して子供の勉強スペースを設ける例が多くなってきています。階段室はよく活用させていただいています。相模原の家でも階段室の途中にパソコンスペースを設けています。

尚、その「相模原の家」の屋根などが、今月発行されたエクスナレッジ出版の「最もくわしい屋根・小屋組図鑑」という専門家向けの技術書の中で、他のたくさんの設計者たちの事例の中に、私共設計した4件も一緒に取り上げられています。


しばらくぶり!

12年ぶりの再会でした。子供室に計画時予定していた間仕切りを設けたいという相談で、はるひのの家を久しぶりに訪れました。多少北側の壁面が汚れた部分もありましたが、元気な姿で建っていました。当初構造的無理をさせたかな、と思っていたところも問題なく健気に迎えてくれました。間仕切りの相談はその方法を話し合い決めてすぐ終わり、その後一通り当時の監督さんと内外を見て回り、気にされているところの症状についても説明して、その家を後にしました。

昼時だったのので、多摩センターで環境計画という造園事務所を営んでいる、友人を尋ねました。やはり15年ぶりぐらいの再会でした。永山や聖蹟桜ヶ丘の現場に時々来ていたので、その内寄るといっておきながら、友人も予定があったりとかで、結局寄らずじまいでしたので、今回は朝電話して午後行くと予約しての訪問でした。事務所でしばらく話をして、帰り、送っていくということで、多摩センターの団地内の公園を歩きながら駅まで送ってくれました。

多摩の団地は日本の団地の環境計画で成功した数少ない例だ、と言う説明を彼から聞きながら気持ちよい公園内を散歩出来ました。

建築的にも、下のアングルの写真は大高正人という建築家の設計で、当時私にも強く印象が残っていて、改めてシャッターを押しました。

土曜だからと、駅前のパブで3時頃からビールを飲みながら6時近くまで昔話に花を咲かせてきました。


陸前高田市森林組合事務所の引き渡し完了

陸前高田市の森林組合の新しい事務所が完成しました。引き渡しの翌日、引っ越しは未だとのことでゆっくり建物を撮影して廻り、帰る時、照明を一つ一つ消していく中、喜ばしいのに、寂しいような、複雑な感傷に浸りました。引き渡しの時はいつも複雑な心情になります。何となく手塩にかけた子供が、うまくやっていけるだろうかという不安も入り混じった気持ちで、巣立っていくのを見送るかのような心境です。通常は建て主さんだったり、工事屋さんだったり関係者が大勢いて、その感情が紛れるのですが、今回はカメラマン以外、自分だけだったので、建物とゆっくり対話しながら回っていたせいかもしれません。

特に今回は、開所式にも呼ばれ、その祝賀会で、設計者と工事者に感謝状まで頂きました。1月20日にも岩手県の知事から、以前設計した本設の釜石地方森林組合事務所の建物で、木材利用優良施設優秀賞ということで組合長さんや工務店の部長さんと一緒に表彰式に呼ばれました。これまでも、以前の首都整備公団等から感謝状を頂いたり、いくつかの県で建築賞等も頂きましたが、その時とは違う感慨がありました。

今回の森林組合からの感謝状はなぜか素直に嬉しい気持ちになりました。組合の事務所ということで、岩手の林業事情に則り、合板工場向けの4mのB材丸太を歩留まりよく活用する凡例を示すつもりで、華美に走るのではなく、質素でありつつ花もあるような、組合事務所らしい建物となるよう心がけて設計したつもりです。冒頭に掲載した写真の天井は森の中の木々の枝が錯綜する様を表現し、その枝に照明を仕込みました。

これまで二十数年間、林業の活性化が地域の再生に繋がり、木造建築の新しい有り様を切り開く可能性を秘めていると思い、木材を大量に使用しつつ廉価で環境負荷削減に貢献する工法の開発をし続けてきただけに、その開発目的の対象現場の、森林組合からいただく感謝状には格別の灌漑がありました。

林業の中に入ってボランティア等で活性化のお手伝いをするのではなく、その外部に居つつ、、ちゃんと報酬を頂き、出来が悪ければ文句をいわれる、厳しさのある設計の仕事を通して関わり、その結果を認めて頂き、これまで開発してきたことがそれなりに意味があったと思われ、活性化に貢献する量としては全くゼロに等しいものですが、林業に少しは役立てらえると思え、嬉しかったのです。

今後このFSU工法を、興味ある各地域の木材や建築関係者に開放し、広めていこうと考え、関係者と「(一社)FSU工法普及協会」を設立したところでしたので励みになりました。