6月25日山田町の仮設住宅26戸の完了検査たいした手直しもなく終え、加藤を残して自分だけ帰って来ました。施工をしてもらっている昭栄建設さんは工期通りきっちり仕上げていただきました。本当は25日引渡しのはずでしたが、他所の工事が終えそうにないところがあって、実質の引渡しは2週間ほど延期とのことです。それだけの期間があったら、最初からそうしてくれたらもう少しよくなるところがどんなにあったか、思わず不平が出てしまいます。工事屋さんはそういう意味でも優秀でした。検査で引っかかったのは、入り口の袖壁を合板で作った部分にかんなをかけたのですが、手でこすって、少しささくれ立っているから、かけ直してください、とか、湯沸かし器のアースが取れてないなど数点でした。提出書類など後出しジャンケン的な要求が多く、加藤君がぶうぶう言っています。
前日大雨が降り、いくつか敷地に水溜りができ、期せずして事前チェックになりました。入居予定の方などが数多く連日工事を見学していました。仮設住宅の値踏みが結構厳しいようで、節だらけの柱壁やラワン合板の内装で、そんな住宅はほかになく、他所はきれいな仕上げをしているだけに、入居後どう評価されるか気になります。とはいえ、まずは宮古の後二箇所の住宅も無事間に合ってくれればいいがと思っています。


(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 20:47 pm
一昨日、宮古、山田町の仮設現場見て戻ってきました。
いやあ、山田町の現場は6月25日の引き渡しに向けて、てんてこ舞いです。はっきり行って設計者監理者は邪魔者です。現場管理者は何人いても足りません。当事務所の加藤も監理者ならぬ、管理者です。自分が現場で余計な口を出そうものなら、クレーンからものを落とされそうです。
何か是正したいと思っても、1戸か2戸じゃありません。59戸やり直すんですか?と詰め寄られると何もいえなくなってしまいます。設計者の懸念や拘りは、とんでもない短工期、低予算、納期遅れ、作業者不足の前では、何言ってんの?です。現場での修正は殆ど不可です。現場の手違いで何か相談された時のみ多少の意見陳述が出来るぐらいですかね。それも施工性がよくないと不可です。
敷地を与えられて1週間で3箇所での敷地の配置計画と各棟毎の戸別の実施設計を済ませなければならない仮設住宅の場合、設計者としては出来上がっていく現場は、設計段階での検討不足、反省、後悔等の塊です。特に結設計のように必要以上に時間の掛かる遅筆の事務所では、設計期間の短縮は拙速以外の何ものでもありません。現場での即答も怖くなってきます。
でもよく考えてみたら、こんなどこでもやったこともない未完の工法の提案にのって、やろうとしてくれ、思慮不足の設計図書でも、とにもかくにも現場を納めてくれている現場の方々に、むしろ感謝こそしても、不平は言えるはずのものではなく、所詮身から出た錆、天につばするようなものです。
それに引き換え、つくし公園の現場は人が足りずこんな状況です。
端部の住戸は無垢の木がたっぷり現しになります。
それに引き換え、界壁のある住戸は遮音性能を必要とし、界壁の内壁に吸音材を充填し、両側に石膏ボードを貼り、その上に合板を貼る必要があり、こうなってしまいます。
夏の射熱対策に屋根の断熱材の上にルーフィングを敷き、その上に熱気逃がしに最も安価な小波鋼板を葺いて、通気層を兼ねさせています。でも先端に小波の断面が見えると貧相に見えますので、しっかりと板金できれいに処理しています。費用増と現場からは言われましたが。
ユニットバスが搬入されたら、サッシの大きさより、窓を設けられる範囲が小さいのです。他の仮設住宅では風呂に窓がないのが多いから、ここも止めよう、となりました。そこで踏ん張って、窓の取り付け位置を外側にフレームを設けてふかし、何とか取り付けました。そのため外壁側の内部に下がり壁が生じてしまいました。木部現しでもしょうがないと思ったら、現場の監督の意地で、しっかりとFRP板で包んで施工していました。ありがたい。
窓の大きさがこんなに小さい。その方が熱が逃げないからいいのかなあ。中に住む人は閉塞感が生じないかなあ。
セキスイさんの仮設住宅はいい意味で普通です。さすがに一日の長があり、仮設住宅としては一枚も二枚も上です。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 17:52 pm
以前ブログをまめに書けない言い訳を書きました。要領が悪いせいか日々の設計で些細なことまで、気になると自分が納得するのに時間がかかり過ぎてブログを書けなくなり、書いた下書きも吟味しているうちにタイミングがずれて、没にするということが多くあります。個人的に何かを言いたいということより、何を書けるのかに興味があるようです。今回は所属している家づくりの会講座担当の田中さんからから、連続講座のお知らせをしろというお達しがあり、どうしてもブログを書かざるを得なくなり書き始めました。それについてはリンクしてある家づくりの会のホームページを参照下さい。ブログを書こうと思ってしばらくぶりにパソコンの下書き集を開いたら次のような下書きを書いていたことが分かりました。忘れていました。3月17日頃のものです。
今回の地震のもたらした被害ははかり知れません。私どもの業務とも少なからずその影響は生じそうです。私たちがこれまで細々と開発してきた集成材の壁式工法の素材である唐松は岩手産であり、それを三陸木材加工協同組合が集成材として生産しています。工場は気仙郡住田町にあります。工場そのものは山の中腹にあり、津波の被害には遭わなかったようですが、従業員の中には被災地に住んでおられた方もいると思われます。その付近は気仙大工といって、船大工の伝統もあり、優秀な大工さんが多くいらっしゃいます。関東に出て色々な現場で働いておられる方も少なくないはずです。
何より、工法の要である、集成材の加工をこれまで8年程プレカットの大半をしていただいてきた、木材屋さんの工場は石巻市にあります。電話でやっと連絡とれた設計部の方からの話によると、会社の方々は何とか大丈夫だったようですが、工場は石巻港にあり、もろに津波に合われたようです。多分日本に十台ほどしかないフンディガーというドイツ製の加工機械を始め在来工法の多くのプレカット機械や製材機械もどうなったかわかりません。その工場の隣は大きな合板工場でした。そこも全滅しています。建築の建材機器の供給や輸送等で障害が生じることと思います。
原発事故で大変なことになっている福島県の浜通りの建て主さんもいて、今避難しておられます。千葉県の津波や液状化現象を始め、関東でも通常だったらトップニュースになっている現象が起こっているのにそれほど大きく報道されない災害が生じています。
これだけひどい災害の中で逆に、それゆえ善意の声も多く聞きます。あれだけばらばらで批判ばっかりしていた日本の国民感情が、努力をある一つの方向に向けてがんばっていこうとしているように見えます。節電や交通不便にも不平不満を発する声も少ないようです。海外からの激励や応援の声や、再建能力への高い評価も寄せられているようです。国民全体の一人一人が何かしてあげられることがないだろうかと思っているような気がします。自分も何ができるのか考えたいと思っています。
私たち設計者の場合、今は正直何もできそうにありません。でも復興や再建の段階では何か私たちにもできることがあるのではないかと思っています。集成材の壁式工法は、本来は建て主に環境の負荷削減の選択肢を提示しようと始めたものですが(グルーラムウォールの設立趣旨参照)この工法で住宅をつくることは、岩手の素材生産に協力し、宮城県の産業の復興、つまり、いずれ始めなければならない被災者の再建に少なからず協力することになるのではないかと感じています。
以上が3月20日時点の状況でした。具体的地名等を出していてもしかしたら迷惑をかけることにならないか気になって未掲載のままでした。
その後、引渡しの住宅が2件あって、震災で見合わせた計画が3件あって、事務所としては時間的には少し余裕も出来たせいもあり、今回の震災に対して自分にも何か出来ないかということが頭を占めるようになってきました。ブログを書くことには気が回りませんでした。住宅の設計者としてはできればその職能で何らかの役に立ちたいものです。となると被災地での仮設住宅や再建住宅に役立つことはないかと考えて見ました。それでこれまで細々開発してきた工法を改良して、大きい断面の集成材を使うのではなく、通常の柱材を連続させてパネルにし、その両脇をボルトで固定する工法を考えて見ました。それですと一階建てなら、うまくすれば多少練習した未経験者でも大半の部分を建築することが可能になります。しかも仮設住宅として使用後、解体し、同じ工法でなら本設の住宅部材としてそのまま活用ができます。これまで私たちが唱えてきた林業の活性化や廃棄物の削減、部材の再利用、間取り変更や建て替えの容易性、等々で環境の負荷削減に貢献することにもなります。
実は津波にあわれた石巻のプレカット工場で3月8日にそのようなパネルの開発について協議をしていて、あんがい角材が余りがちなので、それを使ったらというようなことを話し合っていました。3日遅れたら私も被災していました。そんなこともあって何とかそのアイディアをものにして彼らに応えたいとい気持ちが強くありました。
ある程度工法の目途が立ったので4月14日から関係者の見舞いを兼ねて、盛岡の森林組合、宮古の被災地、住田町の提案する木材を活用した仮設住宅(写真参照)や、陸前高田、山田町、大鎚町、プレカット工場のある石巻等を見て廻ってきました。
その様子はブログの要領悪い自分にはうまく表現出来ないので他に譲るとして、プレファブの仮設住宅だけは設計者としては歯がゆさを感じてしまいました。
視察のなかで、石巻の森林組合やその木材やさん等と仮設住宅の建設提案を宮城県に一緒に提案してみることになりました。岩手県は一緒になって提案してくれる建設やさんと検討中ですが、人材や物資の確保で難航しています。仮設住宅は建築工事者のランクと実績、戸数、スピード、建設費等色々な要素を含んでおりどうなるか分かりませんが、もし採択され建設のお手伝いができればいいなと思っています。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 19:49 pm
今、宮城沖地震で、十階の事務所が大きく揺れている。
その後も余震で揺れている。今日は六町の現場で上棟のため出ようとしたら大きく揺れて、思わず四方八方の棚を押さえてしまった。現場に行かなければと駅まで行ったが、電車はすべて止まってしまい、再開の目途が立たないという。携帯で連絡とろうとしても通じない。しょうがないから事務所に戻った。案の定エレベーターが二階で止まったままだ。階段で十階まで上り、事務所にたどり着いたら、建て主さんからも現場に行けないからよろしくとのメールがパソコンに入っていた。工事屋さんの事務所に固定電話が何とか通じ、状況を聞いたら、クレーンを使用しているから心配したが何とか上棟できたので、今日はきりのいいところで切り上げることにしたとのこと。
又余震で大きく揺れている。
今日は終電まで電車が動かないかもしれない。食料の確保が必要かも。コンビニは人が込んでいるみたい。どうも仕事にならない。今日のブログはこれで終わる。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (1) 17:56 pm
設計の技は状況設定力―臨床対応構想展開力―が問われる
前回に引き続き、矛盾することを矛盾のまま矛盾なく執り行って目的を適える、武術的設計はどう実践されるかについて考えて見ます。設計で知識やノウハウを運用する際、その知識やノウハウそのものが技ではなく、そこでの様々な条件をどう設定し、組み立てるかが設計の技ではないかという仮説の話です。条件選択と組み合わせの加減や順番、応用時期、依頼者や施工者への説明、法律の解釈、状況の読み、問題のしぼり込み、等々、それは現場(実践)対応力というようなものに近いのかもしれません。それならマニュアル化できそうですが、ところがそこにはマニュアル化できない大きな要素を含んでいてそのことについて考えて見ます。
臨床:実践される場はその現場の捉え方から違ってきます。現場というより臨床というべきものです。なぜなら依頼者の状況に対峙し、従来の手法で解決を図ろうとして、容易に解決できない部分が生じたとき、その状況を“仕方がない”と思ったらそこには矛盾は存在しません。設計者によって“しかたない”と割り切るか、“見えないけどなんか方法はあるのでは”と割り切れない違和感を覚えるかどうかで取るべき道は違ってきます。そこに何らかのもうちょっとなんとかし得る方法があるはずだと思えたら、そこは従来のノウハウを踏襲するだけの現場ではなく、最適な有り様に何かが欠けた状況と見る、“臨床”となります。この、もっといいあり様が可能ではと思う直感や臨床認識こそがまずは矛盾を感じさせる力ではないかと思われます。この矛盾を感じ取る能力が技に通じるのだと思われます。
対応:従来の技術や手法だけで単純に解決を図ろうとすれば、できることと,できないことが明快で、矛盾は存在しません。依頼者の提示した状況に従来の手法で十分な対応ができないとき、設計者に、より適切なもの(理想)を求める意識が強く、多様な技が身に付いて(内包して)いて、対象へのやさしいまなざしを持ち得ている場合は、何らかの違和感もしくはより良くなる可能性をかすかに感じさせます。そのような対峙の仕方をする対応をしてこそ臨床と捉えることが可能です。
構想:臨床と捉えられたとき、その臨床状態とそうでない健全状態を想像し、そうでない状態に持っていこうとして何が矛盾や障害となってくるのかを見極めます。その障害を取り除くとか、避けて通るとか、何とか矛盾なく取り扱おうとし、あるいは求めるあり様を実現しようとして、あらゆる方法と仮説の可能性を検討します。それが構想です。
展開:そして矛盾だらけの諸条件の中から糸を通す程度の針の穴のような極わずかな可能性の中からでも、理想に近い状態を適える状況設定と方法を展開していきます。そのもっといいあり様を求めて、それを可能にする状況(条件)設定の技量を、これまであまり技や力と意識せずにやっていたような気がします。でもこれこそが物事を前に進める推進力として最も重要な技量なのではないかと思い直しています。これが武術的設計手法の起承転結である“臨床対応構想展開力”ともいうべきものではないかと勝手に名づけています。
こんなことを小難しくわざわざブログで取り上げたのは、今日、このような力が、単に設計者の世界だけではなく、色んな分野に通じるものではないかと思ったからです。その技量が衰えてきているのに、その衰えを意識せず、十分な状況(条件)設定を考えずに、単なるノウハウや知識を集め、マニュアルや慣習化した従来のシステムだけで何とかしようとし、結果として個々の現場の本来の能力を十分に発揮できず、無駄に消耗させ、全体として社会そのものを脆弱にさせてきているのではないかと思われます。状況設定技量をもう少し意識して見る事も悪くはないのではと思ってのことです。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 15:26 pm
今回は設計における術について考えてみます。最近面白い対談集を読みました。
―「武術とは矛盾を矛盾のまま、矛盾なく取り扱うもの」というのが私の定義ですが、これは禅の影響でしょうね。普通は「こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず」なものですが、限定条件付きながら、あっちもこっちも同時に立つのが技の妙、術だろうと思っています。そういう世界を先に体験してしまえば、さまざまな矛盾をストレスと感じるより、自分の解くべきパズルとかんがえるでしょう。同じことでも立ち位置が違えば、全然違って感じられるしょう。―(甲野善紀、内田樹、『身体を通して時代を読む』文春文庫。)
この文章を読んで、まさに設計そのものだと叫んでしまいました。「武術とは矛盾を矛盾のまま、矛盾なく取り扱うもの」を私なりに解釈すると、例えば相撲では、対戦する関取の双方とも相手を何らかの技を用いて土俵の外に押し出すか、相手の足以外の体に土をつけさせようとし、その目的はお互い矛盾しています。その矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱って相手を押し出すか、土を付けさせます。結果として自分の技がかかりやすい状況に持ち込みえた方の技がかかり、片方にとっては矛盾なく取り扱って目的を達成し、もう一方にとっては矛盾のまま取り扱い目的を達成しえなかったことになります。
建築においてこれまで技術という言葉は、施工ならいかにも技術だと理解されやすいのですが、設計では技術というのにはどっか引っかかるものを感じていました。各部の適量を計算等で導き出す構造設計や設備設計では確かに技術といえる要素が大きくなります。しかし意匠計画という全体設計は、保存計画ならいざ知らず、再現行為ではない限り技術とはいえないのではないかと思っていました。
図面を手で描いていた時代なら描くという技術はありえるのかも知れませんが、キャドで描く今日ではなおさら図面の再現という意味では技術的ですが、それは設計というより、操作技術という方が正しくなってしまいます。でもそのせいか設計を単なる知識やノウハウ集の適用操作であるかのように考える傾向が強くなってきていて、それは設計ではないのではと疑問を感じていました。しかし実際に、建築の教育に関係するところでは、そのノウハウを知識として与えれば、それを適用操作するだけでいい設計者になれるかのように教えています。建築や住宅の雑誌も、そのように捉えてなのか、ノウハウ集が花盛りです。しかしある時期から、それはどうも違うのではないかと思い、それを人に説明できないまま、これまできました。
建築の全体を考える(意匠)設計こそまさに、あちらを立てればこちらが立たずで、矛盾する要求や条件を矛盾なく取り扱い実現させていく行為です。設計者の意識に、依頼者の状況に応じた最善(理想)を求める度合いが強ければ強いほど、その矛盾は大きく立ちはだかります。その矛盾する条件を的確な限定条件を設けたり、そこでの状況の特殊性の活用を考えてみたり、タイミングに気を使うなどして、そこでしかありえない形で様々な矛盾を矛盾なくどちらも成り立たせようとします。まさに武術です。特に住宅の設計はノウハウや情報をいかに集めても、むしろその情報が多ければ多いほどよけい選択や組み合わせが難しくなります。また様々な要因が多く、単純に運用しただけではどっかに成り立たないことや綻び、あるいは問題となる部分が多く潜んでくるものです。個々のノウハウの一つ一つはある仮定条件下では優れていても、それと全く同じ条件下で運用されることはありえなく、むしろノウハウが優れていればいるほど、ちょっと異なる条件下での運用は副作用が大きくなります。
相撲の技48手を全て知っていたからといって相撲で勝てるわけではありません。知識や情報はそれだけのものでしかなく、技がかかるときは技が優れているからかかるというより、相手と自分をその技がかかるような状況に、上手に持ち込めるかで決まります。むしろ強い力士は技の数は少なく、どんな場合も自分の得意技に持っていき、勝利を収めています。技がかかりやすい状況設定の技量こそが重要だということです。
設計も望ましい有り様の住宅を実現するためには、素晴らしいノウハウを数多く集めるより、矛盾の多い与条件下に過不足なく的確で効果的な手法を如何に選択し、どう優先順位をつけて組み合わせ、単純には適用できない状況下、適用できるように条件をうまく整え、従来の手法も新たな工夫をすることで、矛盾を矛盾なく取り扱い目的を実現します。
それら諸条件は予算であったり、敷地条件の誰もが見逃してしまいがちな小さなレベル差や近隣の窓であったり、必要と思う設計者の直感的こだわりや優先順位であったり、試行錯誤の中での発想や粘り強さであったり、考え方の転換であったり、建て主の何気ない一言や工務店の監督の意見であったり、メーカーの在庫であったりします。もちろんそれらの条件が矛盾を大きくかつ多くしてしまう事もあります。最初は何がどう相互に影響しあってそれらの条件が整うのか分かりません。最初からは計算できない要素が多く含んでいます。でも終わってみればどうって事のないことで、何で最初からそうしなかったのかと思われる、案外簡単なことの組み合わせが多いことも事実です。
この辺の技の運用の仕方は設計者によってもやり方が大きく異なり、同じ条件ということはありえないので、ある者のやり方は、別な者にもできるというものでもありません。それは設計者で大きな違いと差が出るもので、その設計者にしか出来ないやりようがあるということです。その辺は簡単に言葉で伝えられるものではなく、他の者が同じように真似ても、設定条件が少し違っただけで大火傷をしてしまいかねないものもあります。また同じ設計者でも、あるときにできた建築がいつでもできるというものでもありません。むしろ最良と思えた建築は、そのとき以外では状況が違ってしまい、二度と同じようにはできないことの方が多いものです。
相撲でも今場所10勝した者が来場所も10勝できるとは限らず、その時の体力、稽古量、立会いのタイミング、相手等々、要素が少しでも変われば同じような結果は生み出せないということと同じです。それが技は知識ではない証です。
そういう意味で、これまでつくってきた住宅は、今、同じものをつくれと言われても、殆どの住宅は二度と同じ条件では作れない気がしています。その時でしか出来ない条件をいかに有効に活用したかで可能となった住宅ばかりです。まさに胸張って設計という武術で建てた住宅だったと言えるような気がします。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 14:12 pm
それはNHKの番組『追跡AtoZ小惑星探査プロジェクト“はやぶさ”』の放送翌日のことでした。「ああ、またやっちゃった」という連れ合いの洗面所の大きな声から始まりました。「もうレンズ流れてしまったと思う。気がつく前にだいぶ水を流してしまったから。」というよく聞いたせりふ、10ヶ月ぶりです。いつものように洗面台下の流しの排水パイプをモンキースパナで開け、風呂場の洗い桶にパイプに溜まった水をそっと落とし、その中にレンズがないか丁寧に見ました。ありません。やはり流れてしまったか、と思い、パイプを繋ぎ戻しましたが、はやぶさの探査プロジェクトを見た翌日です。諦めるのはやるべきことをすべてやってからでいい、1%でも可能性があるなら試みなくてはいけない。
流しの落とし口からもう一度見直してみました。排水口のゴミ受けの下辺りの暗がりに、水滴とも、レンズとも思しき光るものが見えました。ピンセットのようなものがあれば確かめられると思い、探しましたがありません。連れ合いに尋ねても「どっかあったような気がするけどない?」と本人はお出かけの身仕度で忙しく、このプロジェクトはもうとっくに諦めたのか、自分の仕事ではないと思ってしまったのか、気のない返事です。そのうちさっさと出かけて行ってしまいました。
残された探査員はピンセットが無いので、編み物棒を二本探し出して、それで取り出そうとしました。そおっと排水パイプ口奥の中に差込み、レンズと思しき光るものを挟み取ろうとしました。しかし触った瞬間、水滴が弾けるように一瞬で消えてしまいました。やっぱり水滴だったのかとがっかりしました。
もう諦め、道具類をしまおうと思いましたが、惑星探査はやぶさの総責任者川口教授の、すべての可能性が消えたかと思われた時も諦めず、僅かばかりの可能性がある限り、それを探っていたという話を思い出しました。先ほどの弾けたかも知れない水滴がもしレンズだったら落ちた可能性のあるパイプの経路を、改めて洗い落とし、確認してから止めてもいいのではと思い直し、パイプの中の洗浄を始めました。
一通り洗浄を終えて、すべての水が流れ落ちた洗い桶を丹念に水とゴミとを区分けしていたら、汚れた水の中にたまねぎの皮らしき小片のようなものがありました。もしやと思いてに取り出しましたがやはり植物の破片でした。はやぶさは大宇宙の60億km先かなたの真っ暗闇に浮かぶ小惑星イトカワから持ち帰って来たのだから、60cmのパイプの先の黒い水から探し出すミッションぐらいできなくてどうすると、己を奮い立たせ、さらにゴミと汚れ水を掻き分けているうちに、桶の底にビニールの丸い破片のようなものが見えました。もしやと手にとって見たら、紛れも無いイトカワ、もといレンズです。
やったー、探査プロジェクト成功です。ミッション達成です。諦めず続けてやったからこそ探し当てたレンズでです。
連れ合いが帰って来たら自慢しようと思いながら片付けていましたが、はやぶさのカプセルに物質が入っているかが気がかりのように、ふと気がついたのですが、このレンズは果たして今日無くしたものなのか不安にもなりました。連れ合いはなくすことがよくあり、これまでもその7割ぐらいは私が探し出し、日頃の行いに悪さと稼ぎの少なさをそれで体面を保っていたようなところがあります。もしかして数年前に無くしたものの可能性もなくはない。と不安になりましたが、はやぶさだって数年前のものを持ち帰っているんだし、このプロジェクトも数年前のレンズだとしてもそれはそれでやはり成功だ、と自分に言い聞かせました。
夕方、帰ってきた連れ合いに見せて確認したら、驚きながらレンズを目に嵌めてみて、今日無くしたのものだということが確認できました。短時間ながら久々に優位性をもたらした探査プロジェクトでした。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 14:36 pm
何気ない会話で話が新鮮な方向に展開していく時と、話が続かない時とがあります。
うまく転がって行く時は話題提示した人の意図や感覚に呼応して、話を深く理解するために問いかけるとか、その話から刺激されて想像したその先の話を返し合う場合です。話し出した人に好意や興味を抱いている場合は自然にそのようになりやすいようです。
逆に話題提示した人の意図や感覚を理解しようとせず、話の是非や言葉尻に囚われ、その是非を吟味するかのような話を返し合うと、話は展開しません。話の腰を折ることになり、せいぜい論争になるのが落ちです。それはそれで話を理解しようとすることですから、大事なことですが、すぐ袋小路に陥って発展的な話にはなりません。
感覚や考えがはっきりした人や年齢がいったような人はすでに自分の感覚が定まっていて、相手の話の先が見えているように思い、話の是非や言葉使いが気になるようです。相手に関心や好意を抱けないと、新たな展開に進む話にはなりにくいようです。何気ない会話なら、話の中身の吟味は自分の何かに影響する段階になってからでも遅くはありません。考えが固まっている人や、話の先に興味を抱けない場合、仮に問いかけたとしても、おざなりな関心から生じていることが見え見えで、話が転がっていかないようです。
また何事に付けても自説を展開したがる人との会話も発展しないものです。こちらからの話題もすぐその人の話にされてしまいます。そのような人と会話を続けるには、じっと聞いてあげて相手の話の展開にこちらの話す糸口が見つかるまで忍耐が必要になります。相手に多少でも好意を持てていないとなかなか耐えられないものです。
設計者の能力の一つに、依頼者を無理なく好きになるということが上げられそうな気がします。それがないと依頼者の話の背景まで理解しようとしないからです。背景の理解なく期待の本質に応えつつ、自分なりの固有の提案はできませんし、理解もしてもらえないからです。そのせいか不特定多数の方に自分を売り込む話はにがてです。誰にも価値ある話は不得手で、あくまで個別の話しなら、状況を深く理解することで、これまで考えた量の多さから適切な推察が可能になります。ホームページ等を見て、好意を持って依頼してくれたと思えるから、その方に好意を覚え、理解し合える会話になれる気がします。
自分の場合、他の能力はいざ知らず、依頼者に好意を覚える能力は他の設計者より高いかもしれません。というのは他の設計者仲間との会話でも8割は聞き役をしてあげていることが多いからです。もっとも話すことに夢中になりがちな設計者仲間との会話が続くのは、好きになる能力というより、忍耐力が殆どのような気もします。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 19:35 pm
先週、木造の増改築工事で単世帯住宅を二世帯住宅にした建物の完成引渡しがありました。とても喜んでいただけて、設計者にとってはうれしい一日でした。
新築の場合はどういう経過でどういう家になるか、ある程度読めるところがあります。しかし増改築は始まってみて何が起こるかわかりません。まず無事着工できるかどうかもわかりません。増改築は依頼者の意向や要望も最初からは絶対的根拠に乏しく状況次第で変わることがあり、予算も低めに予定していたり、既存建物が建築基準法上不適格で確認が下りなくて途中挫折したり、無事着工しても、あけたら中が図面と違っていたということで問題を抱えることが多いのです。それもあって通常は望んでは受けないようにしています。
現に、つい最近増改築の相談があり、その既存家屋はかなり複雑な形態をしていて、耐震補強も必要で、引き受ける前に希望に応えられことが可能か、予算通りやるべきことができるか、吟味し、工事屋さんに見積もりまでしていただき、何とか希望に応えられそうでしたが、予定工費費を1割弱オーバーしているということで中止になりました。
今回も一階で生活しながら下屋部分に二階を増築し、残りの二階部分は全面改装して子世帯用にするというものです。建築確認が絶対必要な工事です。以前に一度増築していてそれの検査済み書は取得していませんでした。途中どっかで暗礁に乗り上げてもおかしくないようなケースです。
設計者の責任で挫折させるわけにはいきませんので、確認申請の事前検討で役所に何度か通い、法的道筋をつけ、工事費の予測のため、普段付き合いのある工務店さんに無理言って概算設計で工事費を出してもらい、少なくとも設計者の技量のせいでの挫折はないようにしてから、正式に依頼をうけてそっとスタートしました。
ところが、依頼者の依頼の仕方で、まず自分が何とかやってみようという気にさせられ、工事やさんも下見の段階で建て主さんにあってその気になったようです。なかったはずの図面も建て主さんのご尽力とこちらの粘りで何とかクリアーできました。 工事中も二階で騒音が激しく、生活がつらかったはずなのに、苦情を言うどころか“職人さんが暑い中本当によくやってくれてすごい”と喜んでほめてくれるので、職人さんも気をよくして力が入り丁寧な作業になりました。
確かに既存住宅との違いに目を見張る部分はあるかもしれないのですが、それでも人によっては工期のかなりの遅れや、騒音、仕上げの不具合など、何らかの不満を言ったとしても仕方がないところです。既存の傷つき柱の仕上げなどは難しく、きれいにはいきません。不満を言って当然のところを、慣れたら増改築ならではの味でこのままでもいいかも、と言ってくれました。
このように建て主さん家族一人一人の言動が状況をいい方向に、いい方向にと転がしていくのです。いつかどっかで何かの問題に突き当たるだろうと覚悟していましたが、誰もが喜べるこんな結果に導かれ、正直感心させられました。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 20:10 pm
パラグアイ戦の延長戦で引導を渡されました。デンマーク戦の夜中3時の戦いは、それなりの事前睡眠の準備をして見たので、勝利したこともあり体調は何とか保てました。パラグアイ戦も90分で決めてくれていたら、風邪を引くことはなかったと思います。観戦後体調が弱っていたせいか、興奮していたせいか、よく眠れませんでした。翌日疲れて、のどが痛くてだるい。風邪です。期限のある作業を済ませようと少し無理したのもいけませんでした。これはまずいと、周りから言われる前に医者に行こうと翌日事務所近くで、1月に健康診断を受けたクリニックに行きました。ついでに他に悪いところないか調べてもらおうと受付けでお願いしました。閑散としていました。問診表を記入して、呼び出しを受け、内科医の若い先生の前に座りました。問診表を見ながら、どうしました?と顔も見ずに聞き、状況を話したのに、殆ど聞き返しもせず、今年でなく去年の健康診断表を見ながらぶつぶつ話しています。聴診器を胸と背中に当てはしましたが、会話になりません。「風邪のくすりに抗生物質、のどと、気管支拡張の薬を出しておきます。」最後に「それでは血液検査をしましょう。」というので、お願いします。と、でもその後、こんなかぜのときでも、ちゃんとしたデータ取れるんですか?と聞くと、「少し違う可能性もあります。」それじゃ直ってからの方がいいのでは?「ではそうしましょう。」
その間一度も目を合わせようとしません。深く状況を聞こうともしません。
設計者にしたら考えられない専門家の対応です。相手の状況を知らずに対処できるわけないからです。
かえり際、それとなく受けつで聞いたら、5月に赴任したばかりの先生だそうです。
これも医療の現場のひとつなのかも知れません。
閑散としていたわけが良くわかりました。
(投稿者:藤原) コメント / トラックバック (0) 19:51 pm