釜石鵜住居ラグビー復興スタジアムの持つ意味1

木質諸室が鉄骨やぐらに装着される前の木製ルーバーのみのやぐらの写真

写真は釜石鵜住居復興ラクビースタジアムの木造諸室が鉄骨のやぐらの中に建築される前のものです。仮設の観覧席もまだできていません。上の写真の手前のエントランスの公衆トイレ棟は私たちの設計です。このスタジアム建設の前に、これまで三陸沿岸の宮古や山田町、大槌町の応急仮設住宅や集会場、KDDIの災害支援の一環のバス停の待合室やベンチの建築、数件の個人の再建住宅、森林組合事務所等々、復興のお手伝いをさせていただく機会をいただきました。

再建された個人住宅
釜石の町中のバス停の待合所

これらの建築に関わっていた時被災の跡がどんどん変わっていく途中で、ある意味何もないところに何かあるところにしていく作業でした。それがどこに行くのか分らず通っていたような気がします。まさに復興途中でした。

鵜住居復興ラクビースタジアム

ラクビーワールドカップの盛り上がりがすごい。日本代表の3連勝が大きい。釜石鵜住居復興スタジアムでも10月13日にナミビアとカナダ戦が行われます。正直、このスタジアムの建設に関わることになったとき、申し訳ないですがこれほど盛り上がるとは思っていませんでした。木質諸室やトイレ棟の設計に関わり始めたとき、サンウルフズは連戦連敗状態だったから、まして日本戦がない釜石まで客は来てくれのだろうか、と不安に思ったほどでした。過去のブログでも取り上げている鉄骨のやぐら棟だけのころは、このスタジアムにどのような意味が託されていたのか、自分にはまだよく分っていなかったようです。下の写真にある「やませ」という、スタジアムでも時々見られる、この三陸地方の夏特有の冷たい風がもたらす霧が自分の目の前にも立ちこめていたのかもしれません。上の写真のようにスタジアムの鉄骨のやぐら棟に木質諸室がまだ建築されていなかったようなものでした。次回からスタジアムに託されていたものがなんであったのか木質諸室が出来上がっていく過程を紹介しながら、数回に分けて説明しようかと思います。

海と山との間に生じる「やませ」という霧が漂っている鵜住居の海です。

10/1秋のセミナー「木と太陽の設計術」で講師をします

10月1日(火)に建築会館ホールで開催される、手の物語(有)主催のセミナーで結設計の藤原が講師をします。
Aブロックの「中規模木造がおもしろい」の中でFSU工法についてお話しします。ご興味がありましたら、ぜひご参加ください。

詳細は、下記リンクよりご確認ください。
参加申し込みも下記リンクからできます。

三ツ沢の家 内覧会のお知らせ

来る2019年8月31日(土)に建主様のご厚意により、「三ツ沢の家」をご案内する機会を頂きましたのでご案内いたします。

建物は、ロの字型の平屋建てです。建物の中心にある中庭を囲むように各部屋が配置されています。
構造は、耐震等級3を実現しています。

外壁の断熱を通気工法の外断熱とし、屋根は外断熱の上に通気層を設け、夏場の壁・屋根内の熱を逃がすようにしています。また、基礎蓄熱式暖冷房を入れており、家全体がほぼ同じ室温になるので、ヒートショックになりにくい家になっています。

なお、見学は予約制でご案内する人数は数組のみとさせていただきます。 ご興味のある方は、お問い合わせフォーム、またはメールにて、お名前・ご住所・ご連絡先・参加人数をご記入の上お申し込みください。
お申し込みをしていただいた方には追って詳細をご連絡致します。

■住所 :神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢南町
■日時 :2019年8月31日(土) 午前(11:00~12:00)
■最寄駅:横浜市営地下鉄ブルーライン「三ツ沢上町駅」 から徒歩5分程
■申し込み先
 お問い合わせフォーム
 e-mail: office@yui-sekkei.co.jp

FSU工法 日刊木材新聞掲載

FSU工法について日刊木材新聞(令和元年8月1日号)に掲載されました。
第一面の見出しにFSU工法について掲載されていました。

FSU工法の概要、60分準耐火構造認定、構造評定、これまでの実績、大径木の活用等について取り上げていただきました。

FSU工法は、たくさんの方に使っていただきたいので、オープン化していきます。品質管理と施工管理・部材管理の為ルールを設けています。そのルールを守っていただければ、自分の裁量でこの工法を使っていただくことが出来ます。

FSU工法について気になった方は、当サイトのページ「FSU工法について」もご覧ください。
8月24日(土)には、現場(工事中)見学会や説明会も開催しますので、そちらにも是非ご参加ください。詳しくはこちら

三ツ沢の家 竣工引渡し

横浜市で工事していた三ツ沢の家が先日無事竣工し、引渡しになりました。
この後、中庭などの植栽工事がありますので、まだまだ楽しみが続きます。

上の写真は、リビングから中庭を見たところです。
この住宅は、ロの字型の平面をした平屋建て。
キッチンから、リビング・ダイニング、玄関まで、天井は結設計オリジナルでおなじみの小幅板吸音天井にしました。角の合わせ目部分は、特に大工さんの腕の見せ所で、きれいに仕上がりました。小幅板は、大工さんが一枚一枚張っていきました。

中庭にビニルシートが見えますが、これから中庭の植栽工事があるので、泥除けのためにまだ貼ってあります。植栽工事完了時に外すことにしています。

正面には、奥様こだわりの大谷石を壁に貼っています。大谷石を四角く切り取った窓からは植栽が見えています。大谷石と木の緑が良い感じです。

リビングから和室
正面右側の壁にTVを掛けます。そのためコンセントを壁の真ん中に設置しています。このコンセントはTVで隠れます。
壁は、珪藻土クロスで角を丸くしているので、塗り壁のように見えます。

和室の壁と天井は、和紙を貼っています。

和室の照明は、いつもはペンダントライトかシーリングライトを使っていますが、今回はダウンライトと間接照明の組み合わせとしました。落ち着いた雰囲気になっています。

キッチン
奥に見えるのは浴室で、キッチン ⇔ パントリー ⇔ 洗面室 ⇔ 浴室とつながっていて、家事動線になっています。
家族の生活動線とは別になっているので、動線の交差が緩和されて動きやすくなり、水回りが使いやすくなっています。

食器棚カウンターは、そのままダイニングへ伸ばして、本を読んだり勉強したりする机としています。

キッチン前からリビングダイニング
キッチンの後ろの食器棚の一部がガラリになっていますが、その中にエアコンが入っています。

家具が入って植栽工事が完成した時点で、竣工写真を撮らせていただこうと思いますのでお楽しみに。

一足早い墓参り

上の写真は実家の菩提寺の山門です。7月は父、母、長兄の命日が重なり、お盆には行けそうにないから5日にまとめて墓参りをしてきました。

本堂は300年以上古いお寺とのことです。

実家のお墓は並んでるお墓の左端の奥にあります。鬱蒼としている杉林に隠れて見えませんが、その林の中に段状にお墓が並んでいて、実は林全体が墓地になっています。

実家のお墓に行く道の左に、法事用の大広間のある会館を含んだ庫裏が、本堂との間にあります。実はこの庫裏を25年ほど前に設計監理をさせて頂きました。(設計事例参照)以前あった庫裏の床下は、山からの伏流水が染み出るところで、予算も厳しく、大きな空間も必要でしたので、鉄筋コンクリート造で設計しました。正面の鏡のように反射しているガラスの向こうは住職さんの部屋で、外から中は見えませんが、中からは外が見えるようにしています。

本堂と会館の間は半階ずれるため、庫裏から本堂には中二階に行くようになっていて、法事広間は二階にあります。本堂と会館との間の落雪の処理が難しく、間に融雪ヒーターを仕込みました。父はこの寺の檀家総代を二十年ほど勤めていたとかで、山門を寄贈したり、以前の庫裏にも先祖が関わっていたと聞き、自分が会館の設計をすることになった時、縁のようなものを感じました。本堂の柱の床下部分は取り換え、ケヤキで接ぎ木して修復もしています。 本堂が300年前ということで、 デザイン的にも耐用年数的にもそれぐらい長期的なスパンで考えて 設計したことは始めてだったことを覚えています。二十数年後に訪れても、きれいにされていて、何となく安堵しました。

子供のころ、寺の後ろの杉林はまだ細くまばらでしたので、段状に並んでいるお墓が木越に見え、墓参りの後、振り返ると、暗くなりかけた夕闇に、各家のお墓のろうそくが点々と横に連なり、それが何段にも山の端まで見え、浴衣姿で墓参りにきた多くの老若男女の様々なシルエットが映え、とても美しかったことを子供心にも覚えています。

清祓いと地鎮祭

先日、清祓いというものに立ち会いました。

本来土地の神様と建物の神様は違うらしく、別々に行うものを建築関係者は安全祈願で地鎮祭として行ってきました。

今回解体する家に愛着があって、清祓いがメインで地鎮祭を兼ねて頂きました。娘さんの愛着が強かったのか、家中にその思いが描かれていました。

言葉や下の絵や

写真がうすくて見にくいところがありますが至るところに描かれていました。

慣れ親しんだ家と別れるのは何とも言い様のない気持ちがあるものです。

私も先々月、二十代に独身仲間と西伊豆の山林の中に、DIY的に建てた別荘(峠の我が家)を、管理しきれないと言うことで手放しました。道路からそのまま屋根に登れて、そこに寝転んでよく満点の星を皆で見たものです。この写真は屋根からの風景です。

こちらはその別荘(峠の我が家)がサンデー毎日に掲載された時の記事です。
子供達がまだ素直について来てくれた頃の仲間達の写真です。