私たちがお手伝い(設計支援)する意味

住宅が余っている今日、新たにつくる意味はあるのか、とよく問われます。確かに床面積だけを確保したい家なら、私たちの出る幕はないでしょう。しかしこれまで建てられ家の多くが、面積確保が主であったため、人口減少と相まって、余ったら、空き家にしかならないところがあります。しかしだからこそ、建てるだけでは、大量生産時代の消費財倉庫のような家にしかならず、幸せを伴ってくる家にはならないと、誰もが気付き、同じ建てるなら、誰もがそこに住み続けたくなるよう家を求めるべきだと気付くようになったと思われます。

予算と条件だけを述べ、どうだ、できるか、と問う方がいます。それはまさに面積確保の家で、私たちを必要としない、空き家になる最たるものです。私たちが関わる意味は、諸条件や希望の吟味にあります。通常の建築関係者の判断からすれば、不可能としか言いようのない条件でも、私たちの経験と感性ゆえに、見落とされてある状況の中に微かな可能性を見出し、要望の洗い直しや状況に合った真の改善内容の検討をするからこそ、提案を見出せるのに、条件の吟味なく是非だけ問われては、その力を発揮できないのです。

自分の家を考えている方に、置かれた状況でどんな満足が得られるのか、想像できないでいると思える方を、案外多く見受けます。それは自分の状況の可能性が見えてなく、真に欲しているものが何かをよく考えない方や、最初から考えもせず、満足する家を諦めているとか、あるいは何でもできるかのような幻想を追いかけている方など様々です。そのような方々に、置かれた状況の条件の可能性とリスクと、真に望むものが何であるかを、優先順位を含んで共に考え、想像力を働かせ、希望と共に、現実を開示して思い直して頂くことも含め、一つ一つ、検討していくことに私たちが関わる意味があると考えています。

 条件の検討作業は、作る方の満足のためだけでなく、作り上げる建物をどこにでもある物から、自分の大事なものにするための行為にもなります。そして一緒に検討するが故にその建物の価値が、独りよがりから客観性を獲得し、普遍的価値に転化させ、仮に自分にとっての役割を終えた時にも、第三者にもその良さが伝わり、転売を考える時、継続して使われていくものになります。そのような例はいくつもあげることができます。(戸神台に家、棚楼居、他)

建てるからには、作る方自身が大事にしたくなるほど満足でき、それが独りよがりでなく、普遍的で美しくあることを望む方のお手伝いに、私たちは意味を見出しています。それは、広さだけでも、天井が高いからでもなく、はたまた収納があるからとか、高価な機材を使用しているからというものでもありません。その置かれた環境を自分なりに上手に活かし、自分らしさに誇りが持て、そこにいて心地よいと思える空間であり、それでいて見えずとも、建築中も後も、環境負荷が少なく省エネで融通性がありつつ堅固な建築です。そしてその空間のゆったり流れる時間を味わえるのは、他人の価値観に流されず、これでよしとする住み手の見識と覚悟が生み出す心の余裕のためと理解しています。