設計は武術的格闘技?武術的設計論その2

設計の技は状況設定力―臨床対応構想展開力―が問われる

前回に引き続き、矛盾することを矛盾のまま矛盾なく執り行って目的を適える、武術的設計はどう実践されるかについて考えて見ます。設計で知識やノウハウを運用する際、その知識やノウハウそのものが技ではなく、そこでの様々な条件をどう設定し、組み立てるかが設計の技ではないかという仮説の話です。条件選択と組み合わせの加減や順番、応用時期、依頼者や施工者への説明、法律の解釈、状況の読み、問題のしぼり込み、等々、それは現場(実践)対応力というようなものに近いのかもしれません。それならマニュアル化できそうですが、ところがそこにはマニュアル化できない大きな要素を含んでいてそのことについて考えて見ます。

臨床:実践される場はその現場の捉え方から違ってきます。現場というより臨床というべきものです。なぜなら依頼者の状況に対峙し、従来の手法で解決を図ろうとして、容易に解決できない部分が生じたとき、その状況を“仕方がない”と思ったらそこには矛盾は存在しません。設計者によって“しかたない”と割り切るか、“見えないけどなんか方法はあるのでは”と割り切れない違和感を覚えるかどうかで取るべき道は違ってきます。そこに何らかのもうちょっとなんとかし得る方法があるはずだと思えたら、そこは従来のノウハウを踏襲するだけの現場ではなく、最適な有り様に何かが欠けた状況と見る、“臨床”となります。この、もっといいあり様が可能ではと思う直感や臨床認識こそがまずは矛盾を感じさせる力ではないかと思われます。この矛盾を感じ取る能力が技に通じるのだと思われます。

対応:従来の技術や手法だけで単純に解決を図ろうとすれば、できることと,できないことが明快で、矛盾は存在しません。依頼者の提示した状況に従来の手法で十分な対応ができないとき、設計者に、より適切なもの(理想)を求める意識が強く、多様な技が身に付いて(内包して)いて、対象へのやさしいまなざしを持ち得ている場合は、何らかの違和感もしくはより良くなる可能性をかすかに感じさせます。そのような対峙の仕方をする対応をしてこそ臨床と捉えることが可能です。

構想:臨床と捉えられたとき、その臨床状態とそうでない健全状態を想像し、そうでない状態に持っていこうとして何が矛盾や障害となってくるのかを見極めます。その障害を取り除くとか、避けて通るとか、何とか矛盾なく取り扱おうとし、あるいは求めるあり様を実現しようとして、あらゆる方法と仮説の可能性を検討します。それが構想です。

展開:そして矛盾だらけの諸条件の中から糸を通す程度の針の穴のような極わずかな可能性の中からでも、理想に近い状態を適える状況設定と方法を展開していきます。そのもっといいあり様を求めて、それを可能にする状況(条件)設定の技量を、これまであまり技や力と意識せずにやっていたような気がします。でもこれこそが物事を前に進める推進力として最も重要な技量なのではないかと思い直しています。これが武術的設計手法の起承転結である“臨床対応構想展開力”ともいうべきものではないかと勝手に名づけています。

こんなことを小難しくわざわざブログで取り上げたのは、今日、このような力が、単に設計者の世界だけではなく、色んな分野に通じるものではないかと思ったからです。その技量が衰えてきているのに、その衰えを意識せず、十分な状況(条件)設定を考えずに、単なるノウハウや知識を集め、マニュアルや慣習化した従来のシステムだけで何とかしようとし、結果として個々の現場の本来の能力を十分に発揮できず、無駄に消耗させ、全体として社会そのものを脆弱にさせてきているのではないかと思われます。状況設定技量をもう少し意識して見る事も悪くはないのではと思ってのことです。