
木材の性能と経年変化を知るための暴露試験報告3です。雨ざらしのタイプの写真ですが曇り空であったせいか写真が少しくらいですが勘弁してください。

軒下暴露試験で、左が水浸し無しで右が水浸しありの二タイプです。

雨ざらしの近景写真です。変化はあまり感じられません。

軒下の水浸しタイプですが、左端の柿渋塗りタイプの鋸肌と隣のプレーナかけ肌の木表木裏下地では色の褪め方がかなり違ってきました。これは鋸肌板に柿渋を塗った時、塗料の吸い込みがプレーナ掛けより多く吸い込むことで、経年変化での褪め方も遅く色の濃さが残るためと思われます。水浸しタイプも浸さないタイプも同じことから、雨掛かりは影響なさそうです。

どことなく分って来たことに、軒下の水浸しタイプの鋸肌が汚れた感じになった気がします。これは浸したときに水の汚れが吸着されやすく、雨等で流されないためかなとも思っています。それと柿渋塗った板の上の化学薬品入りのキシラディコールのやすらぎ(透明)は、水を弾き木肌を保護している感じです。[ブログ] きづかい運動 始動 その2
きづかい運動の「き」について説明するために、木の肌の経年変化の視点から、同じ時期に木材を大量に使うコンセプトで、オープンした大阪万博の木造大型リンクの構造体や他の国のパビリオンをちょっと見てみたいと思います。

大屋根リング構造体、確かに現地でみると、その大きさに迫力があります。外側の木材の横に掛かる梁材は2か月ほどしか経ってなくても、よく見るともう少しずつ汚れてきているようです。この木材は集成材なので表面はプレーナ掛けのはずです。水は鋸肌より吸い込みにくいはずです。

内部から構造体を見てみると途方もない量の木材が使われていることが見て取れます。内部の柱材はそれほど汚れは目立ちませんが、横架材の上は埃による汚れが目立ちます。表面には塗装はしていないように見えました。

海の傍であることとと、地盤が弱いところなので、構造体は錆とコストを考えると木材が最適であったかもしれません。柱と横架材の接合は集成材構造なので、金物にせざるを得なく、防錆のため、全ての金物をどぶ付け亜鉛メッキの金物を使っていて、構造的にはそれなりの気を遣っていました。しかし殆どが集成材なので、接着剤は外部表しのためレゾルシノールという接着剤を使用してあるはずで、解体後に常温で他の廃棄物と一緒に燃焼させると、ダイオキシンを発生する可能性がある、と言われています。使用後のこれだけの木材量どうするのかとても気になりが、それを気にする声が少ないことの方がもっと気になります。

木はリングの上の遊歩道のデッキ材にも使われていますが、これは万博の期間内であるなら、汚れはともかく、使用後に再利用され、CO2の固定延長が計られるのであれば、選択肢としてありかと思われました。もし単純に廃棄されるのであれば、疑問が残ります。大屋根リングの構造体は使用後の再使用の方法がまだ決まってないようです。確かにこの途方もない量の木材がこれまでの数十年かかって蓄積してきた二酸化炭素を、今後木材が蓄積してきた生長期間程度は使用し続ける必要があり、使用後すぐに廃棄して大気中に戻してしまうのは、温暖化の今日、問題ではないのでしょうか。

架構を見ると解体は可能と思われますが、容易ではなく、かなりの費用を要すると思われます。さらに違う形態の建築に再使用するには、日本の貫構造を採用しているため、柱も梁もいたるところにほぞ穴加工や金物加工が施してあり、木材を再使用するには、一本一本に再加工が必要になり、新たな集成材で建築した方が安上りだという、現場からの声が聞こえて来そうです。

大リングの遊歩道から見える屋根が木材剥き出しに使われているパビリオンもありましたが、何とか万博が終わるまできれいでいてくれるといいのですが。このような木材の使われ方だと再使用は小物品やデッキ材以外殆ど無理と思われます。少なくとも壁体がモディール寸法である程度の面積を有したソリッドのパネル部材として使われてあったら、私たちが東日本大震災の時に開発したFSU工法のように、ピンを抜を抜けば容易に解体でき、そのまま壁パネルのまま、他の一般的建築物や住宅の構造躯体として、再使用が可能で、二酸化炭素もさらにもう数十年固定し続けることが出来た思われます。FSU工法について | (株)結設計|東京・建築家|住宅・建築設計事務所 しかしこれまで普及に努めても、新築時に再使用を気にする方は少ないのが現実です。せめてSDGsが叫ばれているこの時代、国家的プロジェクトで「再使用」を免罪符的に付け足すように唱えるだけでなく、その再使用技術を容易に実践してみせる紹介が見当たらなかったのは、コツコツ手探りしながら開発・普及している者としては、寂しい想いにかられました。

他にも木材が使われているパビリオンはたくさんありました。お祭りなので、一年程もてばよいから色んなことができます。面白ければよいでしょうか、木材を一年間のきやびらかな空間包装紙として使ったかのようなももあり、設計者としては技術的には興味深く見学できました。

パビリオンはその国や組織の表現ですから、それでいいのでしょうが、やはり気になるのは万博の象徴でもある大リングの構造体に写真のような汚れが散見されるのは気になりました。横架材の汚れは一年以内なら誰も気にならないのかもしれませんが、太い部材が使われているのですから、庇を大きく出すなど容易な手法はいくらであり、もう少し気遣いのある木の使い方ならここまでにはならないのにと思われました。参考に再使用可能なFSU工法で軒を大きく出した事例を上げます。那須の家 | (株)結設計|東京・建築家|住宅・建築設計事務所 | 別荘のような終の棲家

梁の木口や雨掛かり側の梁上だけでも、雨だれや埃除けの塗装や水切りアングル又はテープ等、ほんの少しの気遣いで、1年程度のための処置なら費用は微々たるもので済んだのではないかと思われます。今本当に注目すべきは、珍しい或いは奇異な見世物や画像なのか、気になりました。それはもうSNSで、毎日見せつけられていて、万博でもそれなの?という疑問が湧きました。当たり前にあることの奥深い意味や、素材の知らなかった性能にどんな配慮で何が可能になるのか等、隠れているところの価値に光を当てて見せるのも、SDGsの時代には意味あることではないかと思われました。

万博会場の周りはこのように海なのであったら、もう少し海を活かすというか、溶け込むというか、もっと当たり前の気遣いをするだけでも、未来を暗示させる違った技術や有り様も見せられたのではないかという気もしました。それとも万博のコンセプト「いのち輝く未来社会のデザイン」ということで敢えて現代的に、未来はこのような事業で益々温暖化が進む未来になる、と警告したかったのでしょうか。そんなことを考えていたら、万博会場までの電車の途中の駅に、朝潮橋という駅があり、その近くに電車の中から見える、万博以上に紹介する意味と価値あると思える、公園のような丘というか施設を発見しました。すでに30年程経っていて当時では珍しい実践だったと思われます。

その丘には、駅から平らな公園の中を歩いていった向こうのようでした。

道は南欧風の石垣に囲まれた道になり、それをさらに奥に進んでいきます。

その道まだ続いていました。

石垣の壁の道の先はゆっくりした、螺旋状の坂道で、ジョギングをしている人もいます。

螺旋状の道だけでなく、階段も所々にあります。

丘の上まで続く道が幾重にも螺旋状に丘を取り巻くようにあります。

道の途中には雨が降った時は水が流れるように岩のある小川もありました。

小川には流れていく水を見ながら足をぶらぶらできるベンチもあります。

登っていく途中、サンクガーデンらしきものがところどころに見受けられました。

近くの園児でしょうか、階段を元気に上っていきます。

市中を見渡せる広場に来たら、園児たちが坂のある芝生の広場で転げまわりながら遊んでいました。ところどころに格子蓋の集水桝が見えます。

さらに上っていくと、丘の上の白い球状の形態が視界に入ってきました。

坂道の途中から駅前にある体育館の屋根も見えてきました。

頂上近くまで来てみると、建物の頂部らしきものが露わになってきて、この丘全体が建物の屋根というか、屋上ルーフガーデンであることがはっきりしてきました。

頂上部からは市内が遠くまで見渡せるようになっていました。下に下りて行く木道の先には、頂上の丸屋根の小型版のようなものが見えています。丘全体が建物の巨大な屋根(ルーフガーデン)であることが分かってきたので、入り口を探すべく下に降りて行きました。

一般道路レベルまで下りて行くと、アリーナ大阪という看板があり、そこは北の入り口になっていました。

南側には駐車場と正面エントランスがあり、建物らしく見えるのは、南北の入り口だけでした。

中に入っていくと、さっきのサンクガーデンのように見えたドライエリアが見えてきました。そのサンクガーデンの下にも採光を必要とする部屋があるらしく、床に丸いトップライトのガラス屋根が点在しています。

ドライエリアが大きいため、地下である閉塞感は全くなく広々とし、建物内にも必要な採光は十分確保できているようでした。

内部を歩いていたら建物の配置概要が分る案内図がありました。地下に埋まっているのは、メインアリーナとサブアリーナのようです。駅前に見えた体育館は、大阪プールだったようです。

サブアリーナらしいものがあり、そこに入って見ました。

そこでは卓球大会らしきものが行われていました。この天井の丸い白い部分が先ほどの木道の先に見えた丸屋根の小型版のトップライトのようです。この丘の入り口にあった石垣で囲まれた坂道を歩いていた時、40年以上前にスペインのトレドという街の丘の上の坂道を歩いていた時のことを思い出しました。
その中世の街並みの坂道を歩いていて、もしこの丘の道だけでなく、丘全体の下に駐車場や設備や発電用の機械室等を備え、集合住宅の一部も埋め込まれていて、ところどころに採光用のサンクガーデンがあって、地上の往来で見えるのは、この中世の街並みだけで、その広場の傍らで吟遊詩人でもあった、ジョルジュ・ムスタキが「私の孤独」ジョルジュ・ムスタキ Georges Moustaki/私の孤独 Ma Solitude(1966年)をギターの弾き語りで詩っていたら、極めて古くて新しい未来の理想的街の構成手法になるのではと、夢想したことがありました。

地面の下1m以上あれば年中温度は摂氏15~19度程度で安定し、地面の土は断熱効果も高く、地下室は暖冷房のランニングコストが少なくてすみます。但し地下室の結露による湿気や様々な漏水及び排水処理は原理的には単純ですが、実際に応用するのは大変です。南欧や中近東は乾燥気候のため、その対策は日本よりは有利かと思われますが、困難であるのは確かです。

電車から丘の上の屋根らしきものが見えた時に、真っ先にトレドの街で考えた構成法思い出し、丘の公園施設を尋ねていきました。それで、つい自らの浅学も顧みず設計屋の図々しさで、事務室に伺い、自分にはこの施設の方が、万博よりも未来のあるべきあり様を示していると思えるので、建物の資料があったら、いただけないかと尋ねました。すると30分ほど待ってくれと言われ、その間施設の色々なところを見てまわり、戻ったら、わざわざ館長さんが応対して頂き、色々親切に説明をしてくれました。

館長さんが言うには、確かにこの建物は竣工当時、色々な賞を頂いたが、運用していくにはなかなか大変なところもある、ということでした。確かにこれだけ先進的な施設なだけに、色々問題はあっただろうと予測はできました。とくに排水処理や地下室特有の結露からくる問題は大変だろうと思いました。それは建築の隠れた永遠のテーマで、技術的には難しくはないが、経済的で上手な適用や運用が容易ではなく、地道に各箇所を適切に処理していくしかないものです。うまくいっても、当たり前で業界からも社会からも殆ど評価されないので、その多様な術は個人的にしか蓄積できず、次代に伝わりにくいので、館長さんの悩みはよく理解できました。
つい最近、下の写真のように地下に埋め込みたいけど予算や結露等が気がかりで、庇を十分出した上で、正倉院の校倉造りの小型版のような、杉材を独自に工夫して創られた壁材を貼った別荘を、最近引き渡したばかりで、石や木などの素材と地下に関心が高いときでした。

館長さんに大阪アリーナような先進的で大胆な施設になった理由をお聞きしたら、当時公園の敷地面積が建蔽率的に足りず、建蔽率に換算されない苦肉の策として、地下に埋め込むことにしたそうです。それを聞き、納得いたしました。昨日見た万博のように、これ見よがしの表現欲丸出しの建物の数々をたくさん見てきたところで、30年前に設計者としてこのような、表現欲を抑制し、形態を土で覆い隠し、その上を公園として活用する、先進的な提案をしていたとすればすごい設計者だと思っていましたから得心しました。
これまで地形や自然現象への対応及び素材の扱い方、例えば結露での湿気対策や木材の経年変化など、頭で理解していることと、快適な制御ができていることには雲泥の差があり、木材や石もただ使えばよいということではなく、素材の性質や性能を熟知して、状況に合わせて適切に使えるということは別物だと、万博とこの公園施設を見て、再確認できました。まさに、「木を使うなら、気を遣いながら」です。当面、「き」は自分にとって、「木」でもあり、「気」でもあり両方の二刀流でいこうと思います。