投稿者別投稿者別: 藤原

広い二階デッキスペースのある家の周辺

今工事監理で名古屋通いをしています。その現場近くにある名門のスケートリンクです。正面に掲げている写真やコーチらしき後姿をみればどこかお分かりですよね。入場するだけで300円徴収されました。近くには大須観音があります。

直ぐ上の写真はまっ平に見えますが、スケートリンクではありません。手摺壁とデッキを敷設する前の防水工事終了後の現場写真です。見えている大開口には敷地境界から5メートル以内ですので、ワイヤー入りガラスににしないといけないところですが、デッキスペースの右に見える手すりを壁を軒迄立ち上げ、防火壁にして、開口までの類焼距離を5メートル以上確保することで、ワイヤー入りガラスを免れるようにしました。


清祓いと地鎮祭

先日、清祓いというものに立ち会いました。

本来土地の神様と建物の神様は違うらしく、別々に行うものを建築関係者は安全祈願で地鎮祭として行ってきました。

今回解体する家に愛着があって、清祓いがメインで地鎮祭を兼ねて頂きました。娘さんの愛着が強かったのか、家中にその思いが描かれていました。

言葉や下の絵や

写真がうすくて見にくいところがありますが至るところに描かれていました。

慣れ親しんだ家と別れるのは何とも言い様のない気持ちがあるものです。

私も先々月、二十代に独身仲間と西伊豆の山林の中に、DIY的に建てた別荘(峠の我が家)を、管理しきれないと言うことで手放しました。道路からそのまま屋根に登れて、そこに寝転んでよく満点の星を皆で見たものです。この写真は屋根からの風景です。

こちらはその別荘(峠の我が家)がサンデー毎日に掲載された時の記事です。
子供達がまだ素直について来てくれた頃の仲間達の写真です。


球体変遷

 

花フェスのメイン会場である松本ドームに寄りました。

球状の傘を被った会場の中で、円形の鏡張りの仕切りの中に直径90㎝程の球状のサボテンがごろごろ展示してありました。

その数日後、高校同期の集まりに、友人が手作りした直径50㎜程の球状の照明器具を二個持ってきました。

とても美しく、最初、刺繍等を施した球状の器でLEDを包んでいると思てしまいした。それにしてはずいぶん精巧に作られた器だと感心してしまいました。

でもその器は何と、球状の貝殻でした。

彼は、東日本大震災後、田野畑村と関わりを持っていて、子供たちや地域の方々に活性化のお手伝いをしているようです。そこで取れる産物を使って得意の理工系のアイデアを組み合わせた商品を子供らと一緒につくっていて、その一つのようです。欲しい方には販売してくれるそうで、ご連絡くれれば手配いたします。どでかい球状ドームから小さい貝殻までの球状シリーズでした。


信州花フェスタ2019

信州大学の山岳部OB山岳学士会が寄贈する部室(山岳会館)の建込みに立ち会った帰り、松本市で開催された信州花フェスタ2019に立ち寄ってきました。解体移築が容易な建築が展示してあるということで、見てきました。

外観を見た限り解体容易には見えませんでした。

内観を見てもどこが容易にした工夫なのか自分にはよく分りませんでした。でも今はやりの屋上緑化がされてありました。

関係者に解体を容易にする工夫をどこにしてあるのか、聞いてみても、正直よく分らず、どうやら想像するに、解体後、移築して使ってくれる先を決めてあるとことで、開催者が展示後の後始末に余計な手間と費用がかからないということのようで、確かにそれはそれで主催者には解体容易な建物となります。

せっかく来たついでに松本ドームの展示を見に行きました。そこから次回のブログに掲載する球体変遷に続くものを見ることになるとは夢にも思いませんでした。


信州大学山岳会館(部室)建築

去年から信州大学の山岳部の部室(13.5坪)の更新(建替え)のお手伝いをしています。ようやく建込みの段階に入ったのでブログに上げられます。これまでの部室は約半世紀前に当事学生であった卒業生が自力で建てたもので、老朽化がひどく、見るに見かねた卒業生が、建て替えてあげようということで検討してきたようです。最初費用削減のためプレファブでとなったそうですが、決して安くなく、山岳部の部室が軽量鉄骨?となり、山岳部の卒業生の自分の高校時代の友人が、応急仮設住宅を思い出してくれて、FSU工法を打診してきました。

色々なことを経て、私たちの工法で建てることが決まり、山岳部OB会である山岳学会の、ヒマラヤ遠征の予定等、すごいことを話している会議の最中に説明させて頂きました。信大の山岳学会は日本のトップクラスの登山家たちの集まりなんだと知りました。その会議の中で、当初杉材で予定しましたが、信州大学の卒業生が関わった演習林の唐松で建てようということになりました。

基礎配筋です。

建込みが始まり、柱が建てられました。

柱間に壁パネルが建てられ壁ができていきます。建てた壁パネルの上には横架材(梁)が載せられます。

周囲の外壁が一通りでき、妻側の壁の建込みが始まりました。

屋根が載せられた内部の空間です。

屋根も乗った南側外観の写真です。ここまで通常1日ですが、初めての工法ということで慎重にやられたせいか、二日かかりました。この建て方は県内でも初めてということで、学生さんや建築や林業木材関係者に案内を出して、工法の説明会をさせて頂きました。

その説明会で配布した資料がこちらになります。

≪信州大学山岳会館 ~fsu工法と可能性~≫(PDFデータ 6ページ)

 

 


13年ぶりの住宅訪問

先日、13年前に設計させていただいた住宅を、古河総合公園の桃まつりだから点検がてら来ませんかというお誘いがあり、訪ねてきました。

私どもの設計としては数少ない瓦屋根の住宅です。

庭ができたら撮影しましょうということで撮影がのびのびになっているうちに機会を失い、事例にあげてない家の一つです。玄関前のポーチに大きくキャノピーを跳ね出しており、車も雨ざらしにせず、濡れずに車から中に入れる仕掛けもしています。

13年ぶりに訪ねて見ると、東側の古い瓦屋根の隣家はなくなって、民家的街並みはなくなっていました。外部の木部の鼻隠しや破風はさすがに色落ちしていましたが、戸袋は風雪に耐えていてできる味のあるいい色になりかけているように感じました。

内部の空間構成も、当時は要請に応えようとそれなりに色々工夫していたことが今見ると、とても新鮮に感じるものがありました。その一つが階段脇の一階の食堂を見下ろせる開放性と落ち着く囲まれ感のある、畳敷きの寝転ぶこともできる夫婦の書斎です。足を下ろせる座卓のような机がごろんとし易く好評とのことです。

何より驚いたのは、浴室の檜の縁甲板貼りの壁のきれいさです。竣工当時より檜の艶が出て深みといい味が出て美しくなっていました。日々風呂を出る時タオルで濡れたところを拭いて出るようににしているとかで、数多く檜の縁甲板を貼ってきましたが、トップクラスの美しさかもしれません。

いいとこばかりではなく、フェンス下のブロックの左官仕上げの汚れ易さへの対策をしっかり考えて来いという宿題もしっかりいただいてきました。

帰りは古河総合公園の桃まつりを堪能させていただきました。

気がつかず、有料の撮影会のモデルの写真まで撮ってしまい、注意まで受けてきました。

アプローチに小川を設えた古河総合公園を後にしました。

 

 


工事中消えゆく美しさ

写真は仕上げが葺かれる前の、杉の野地板(屋根下地)で覆われた段階の屋根です。この上に、手前に少し見えている丸い筒状の、中央の開口部の端の一部に敷かれた、グレーのルーフィングという防水紙が全面に貼られます。そうすると杉の野地板は見えなくなります。さらにそのルーフィングの上に鋼板が葺かれ、この杉板が日の目に曝されることは屋根の葺き替えか、解体工事の時でしかないかと思われます。最近は葺き替えも既存の屋根材の上に新しい屋根を被せるだけ場合もあり、今日以外この材の美しさは全く日の目を見ない可能性があります。

最近の野地板は杉板ではなく、合板であることが多いのですが、ここでは杉の野地板が敷かれています。野地板が合板の場合、合板の強度の実験データがあるため、屋根の剛性を計算する際、その強さを数値的に証明することができます。杉板の場合、材料によってバラツキがあるため、数値がで三者機関に保証されていないので、その強度は認めてもらえません。この家の場合、この野地板の下に、夏の日射熱を逃がすための通気層があり、その下に断熱材が敷かれ、その下に屋根の剛性を確保するための合板が垂木という骨組み材の上に貼られています。

屋根の防水紙のすぐ下が杉板の場合と合板の場合の違いは、30年後に性能の差が出て来ます。屋根の仕上げ材の下は、日射で温められた空気が夕方の冷たい風等で冷やされ、結露することがあります。その結露水が屋根葺き材を止めている釘等を伝わってほんの少しではありますが、防水紙を通過し野地板に染み込みます。合板の場合、接着剤で材が一体化していますが、その水分で接着力が弱められ、30年ほどでふにゃふにゃになってしまいます。杉板の場合、50年経っても、色合いは多少変わっても材の性能は殆ど変化しません。昔の強度保ったままです。

この連続する垂木と天井下地の野縁材も天井の仕上げ材が貼られて隠れてしまいます。軒の出が1.5m程出ていますが、通常の垂木の跳ね出しだけで支える場合、垂木の背は150~180㎜程必要になりますが、ここでは垂木と天井野縁が壁の中の間柱とで三角形を構成して支えているので105㎜ですんでいます。屋根の上に乗って跳ねてみましたがびくともしません。この頑張って家の強度を支えてくれている、連続する三角形の骨組みの美しさも、天井材が貼られて隠れてしまいます。この時にしか見られない美しさです。


暮れの窓拭きしながらホモ・サピエンスの明日を考えた

 住宅設計で私は、陽射しや視界を気にし、開口を大きく取る傾向があります。

 自宅もその類を免れず、開口面積が大きく、明るく陽射しも入り、悪くはないのですが、暮れのガラス掃除は当然自分の担当になり、午前中いっぱいはかかってしまいます。多分、私どもの設計のせいで、同じような被害を被らせている方は少なくないかと思われます。ごめんなさい。

 昨年の暮れも陽射しの暖かい日に、腹をくくってバケツと雑巾等を持って耳にスマホからのイヤホーンをつけて、外部から始めました。窓拭きは綺麗にしようと思うと、限りなく気になり、時間もきりなくかかります。はしょろうと思えば、作業後の批難を覚悟すればそれなりに、はしょることもできます。

 背に陽射しを受け、どうせ早く終わっても他の作業を手伝わされるのがオチだからと、音楽を聴きながらそれほど苦痛もなく、ルーティンワークとして無心になって始めました。よく聞き慣れている音楽だと聞き流しながら、手とは別に頭は自由に思考ができます。馴染みの少ない曲やしゃべりのあるラジオ等では、ついそっちに聞き耳を立て、手は動いていても思考はそちら引きずられ、作業も効率良くは進みません。 

 世代差はあるでしょうが、作業や勉強をしながらでも、何かを聴き、あるいはスマホを見ながら、場合によってはテレビもちらちら見ながら作業ができる人が多くなっているようです。そうしていないと不安になるという人もいるようです。私のように手だけは動かせても、思考は一つにしか集中できない人種には、マルチタスクの可能な、新たな人種が登場してきたかと思ってしまいます。

 またその反面、SNSのようなツールを活用したコミュニケーションは長けているのに、面と向かっての会話は苦手になっている人も多く見られます。さらにそのような会話で自分の意向を上手く伝えられない人や、相手の言動やしぐさ等から、相手の意向や心情を的確に推し量るコミュニケーションが上手くできないで悩む人も増えているようです。これは伝達手段が直接表情から読み取ることから映像や音声データから読む方法に移行しつつあるということでしょうか。

 ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも個体的身体能力は優れていて、脳も大きかったのに絶滅し、数多くいた人猿から進化したホモ属に属する動物の中で、ホモ・サピエンスだけが生き残ったそうです。その理由は集団の力を発揮する能力が優れていたからだと「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房)では説明しています。

 ある意味個体としての身体能力が弱かったことが集団化能力の育成を促したとも理解できます。ただし個人的親近感や信頼感から集団としての力を維持、発揮できるのは、せいぜい150人までだそうで、それ以上の千、万単位の規模では個人的信頼関係だけでは不可能とのことです。それ以上の千、万を超える集団を形成し、維持させる能力は個々人が、信じられ、自分を捧げまたは托す意味や意義を見出すことのできる集団への想像力が必要だったとのことです。巫女のような存在への信頼、軍事的力を伴った政治指導者の幻想国家への委託、宗教への信心等、個人的信頼感を超えて個々人が托することが出来るものとして、想像を共有できる能力が備わっていたから、と読みました。

 例えば十字軍に志願する若い人には自分の命を捧げても良いと思えるほどに神の存在を想像でき、世界大戦では徴兵されて戦争に赴く人は、身を託するだけの意味あるもの、あるいは託さざるを得ないものとして、実体のない国家も意味あるものとして想像(幻想)することができたから、ということです。

 近代社会ではかつてほど神や国家に対して身を托するほどの幻想を抱くことは難しくなり、個々の生命は地球より重い、という個々人を尊重する民主主義(市場主義)=人間至上主義が共通価値観として共有されてきたと言います。

 その民主主義も自国ファーストや民族主義の高まりで大多数を統合する決定機能として怪しくなってきていて、市場主義も想像以上の格差社会を生み出し、行き詰まりを見せてきているのも事実です。

 人間至上主義の根底をなす自己も、例えば、ダイエットをして身をスリムにしようとするストーリーを描いている自分と、今日は寒くてジムに行きたくないという自分の、どちらが本当の自分なのか、わかっているようでよくわからない、不安定なところがあります。むしろ個人データとしてGAFA(フェイスブック、アマゾン、グーグル、アップル)のようなネットのプラットホームに収集されてある記録(例えば現在では買い物情報や使用薬剤または健康状態など)等々のデータがさらに多く整備される社会になれば、その方が信頼に足る本当の自分で、そのデータからAIが考えた指示に従って行動するする、データ教になりつつあるのでは、とのことです。(「ホモ・デウス」同一著者)

 データ教の社会になれば確かに顔色を伺いながら意向を読み取る伝達能力より、データのやり取りをどれだけ多くできるかの能力の方が重要になってくるのかもしれません。確かに狩猟採集社会での、獣の匂いを嗅ぎつけ、雲の様子から明日の天気を予測するなどの、個人的身体能力は、現代人の方が劣ってきていて、剣での殺傷能力が不要になってきたように、必要な能力は変遷してきたことは歴史が証明しています。

 マルチタスクの可能な人が多くなったということは、ガラス拭きですら、ラジオ等に引きずられて思考も自由に集中できず、作業に多少の影響が出る自分のようなホモ・サピエンスは絶滅し、マルチタスクが可能な若い人たちのような人種に移行しつつあるということなのかもしれません。

 しかも空気を読むことが苦手とされる若い人のコミュニケーション不足は、時には発達障害ではないかと、問題にされてきているのも、もしかしたら、対面での伝達方式からデータのやり取りの方が重要とされる時代へのホモ・サピエンスの移行期の現象かもしれません。だから相互理解や論理的な議論で物事を止揚させながら決めていくということが苦手な人が多くなり、様々な世界会議でも国会でも地球温暖化対策も原発から自然エネルギーへの変更も決められないでいるのかもしれません。

 人間に完璧な人はいないように、多かれ少なかれ、誰でも多少の発達障害を持ち合わせている部分があり、新しい時代の人種は少なくとも古い時代の能力には欠けているのは当然と考えると、あながち嘆くに当たらず、どちらが明日の時代に即応するのか誰にもわからないのかもしれません。

 設計作業でもこれまでイヤホーンを着けて作業をしている者もいました。見た所、ルーティンワークの場合はいざ知らず、色々なことに配慮が必要な設計作業や作図作業ではスピードが遅く、配慮に気づくことも少ないように見受けられました。でも今日すでに作図では、メーカー等の商品データからかなりの部分は検索で取り出す時代になっていて、その能力は必須になっています。

 もしかしたら設計での様々な配慮も、生産性重視が問われる社会にあっては、余計な能力となり、今は未だ無い様々な配慮のデータも多く整備され、問い合わせれば検索で答えてくれる時代になれば、設計者も要求されたデータを数多く、素早く取り出し組み合わせる能力の備わったホモ・サピエンスが求められるのでしょう。しかもその能力はなまじ自分で総合的に考えようとする者より、あまり考えず指示通り動く者の方が生産性を高く評価され、ある意味ロボットのようにAIのデータ通りに都合よく動く者が明日の時代にかなった人種になっていくのかもしれません。しかもそのうちそれらの作業はAIが全て行うようになり、その人種は不要者階級のホモ・サピエンスとなり、AIを駆使できる神のような、ごく一部の極端な富裕階級のホモ・サピエンスとに分離されていくのではと、「ホモ・デウス」から読み取れます。

 しかしマルチタスクができず絶滅危惧種の自分としては、将来AIの学習に必要とされる設計上の配慮を、経験値データとして日々の業務の中で数多く生産・蓄積し、データを提供することでしか、わずかの時間だけかもしれませんが、ホモ・サピエンスとして生き延びる道は無さそうです。

 あらかた窓ガラスも拭き終わり、まあまあ綺麗になったようですので、片付けて中に入れてもらおうかと思います。


伊豆高原の家 建築始まる

公園のピクニックの風景写真ではありません。基礎工事前の現場写真です。先日、敷地が岩だらけなのでどう処置するか、建て主、建築施工者、設計者、それと造園設計者、皆で協議しようと、現場に集まり、その後の昼食のおにぎりを食べているところです。建築屋さんがかなりの土量を入れてなだらかにしておいてくれてあり、地鎮祭の時の下の写真とは一変していました。

頭上は下ような枝が張ってあり、この下に平屋建ての家が建つ予定です。これだけの大木の下に建てるのは始めてで、楽しみです。


19年ワールドカップラグビー釜石スタジアム工事途中


19年ワールドカップラグビー釜石スタジアムの遠方からの写真です。
私共のお手伝いは、事務方の木質諸室とトイレ棟の設計・監理をさせて頂いています。

事務方のエントランスブリッジの入口に位置するトイレ棟の状況で、下がその外壁の外側の二つのエントランスを繋ぐ廊下です。

木質諸室は、下の鉄骨のフレームの中にこれから作られます。

スタジアムの観客席で、座面も釜石産の木で出来ています。
釜石地方森林組合の方々が、釜石の木を使おうと、関係者に働きかけて、このような木質棟などの使用が実現できています。バークレー校の人材育成事業として林業用人材スクールを開講したり、火災で焼失した森林の再生や燃え残りの木々で、グッツを作って応援者に配ったりと、彼らは今、日本で一番頑張っているのではないかと思われます。