先日、10年程前に建てた上記の住宅に一部増築したその後の様子を見に行って、驚かされたことがありました。
この住宅の後ろに目立たないように自転車置き場と物置を増築しました。
増築はする前とした後とにさ程違和感はなく安心しました。
驚いたのは、軒裏の小幅いた天井でした。下が完成当時の天井です。
私どもがよく使用する小幅板天井を軒裏まで貼った場合、場所によって差がありますが、どうしても5、6年程で紫外線や排気ガス、あるいは苔等の付着で変色してしまいます。耐候性はさほど変わりませんが、完成時の色を知っている者としては気になってしまうものです。
ところがその変色を、メンテナンスで再塗装をされて下の写真のように、殆ど完成時の頃の色を維持しているのを見せて頂き嬉しくなりました。
メンテナンスの重要性を改めて意識させられました。小幅板の天井は米松の無垢の板なので、変色がひどい場合は、再塗装の際一度サンダーで表面の色を落として塗装をすると、元の木の色を取り戻すことが出来ます。
投稿者: 藤原昭夫
家づくりストーリー:「空き家」は未開拓生活資源?
「南林間の家」エピソード:「空き家」は未開拓生活資源?
「南林間の家」リノベーションは私たちに大きな示唆を与えてくれました。
たまたま、ご両親が亡くなり、住まわれた家に引っ越し、自分たちの古い家が余る状況になり、まさに典型的な空き家問題が発生するところでした。ご両親の住まわれていた家の間取りでは、南に面した部屋は客間の一部屋だけで、居間食堂は太陽を十分生かしている家とは言い難く、築年数が比較的新しいだけがいいところでした。自分たちが住んでいた家は築年数も古く、自衛隊の航空騒音の激しいところで、昼間は人が居ない個室が南向きにあり、廊下や押入れを隔てた奥の北向きに、居間食堂キッチンがありました。陽が射さず、西日だけが多少射す家でした。このような家に主婦として日中住み続けて一生を終えるのかと思うと、たまらない気持になって、私どものホームページで見る事例写真のような家にはならないものかと相談されました。既存の家は50坪ほどあり、すべてをそのようにするのは予算的に無理ですが、防音工事用助成金に同程度加算してなら、居間食堂キッチン等を事例のように南向きのゆったりとした住まいにリノベーションし、寝室を少し整理して、後は防音と断熱の性能アップしつつきれいにする程度なら可能ですよ、と始まった計画でした。
せっかく作るなら玄関も広く、キッチンや家具も自分の気に入ったものを入れ、浴室も木の香の薫る内装で、坪庭を愛でることができる窓を大きく取り、テレビやAV機器も音の良いスピーカーで聞けるようにと、こだわるところは多少贅沢にしましようとなりました。
完成して、半年後に尋ねたら、引き渡したままで、生活感がなくきれいな状態のままでした。住まわれてないのですか、と尋ねたら、普段は敢えて両親の住んでいた家で生活しています。新しい家は、何かあった時、客が来た時、音楽をゆっくり聞きたいとき、気分転換したい時にこちらで過ごすんですよ、とのことでした。最初は汚したくない、もったいないからと、しばらく引っ越さず、工事中に住んでいた両親の家で生活しているうち、今のような、晴れの空間としての使い方になったということでした。つまり近距離別荘として使われていたのです。しかも使用頻度の高い別荘です。
これは、日本の空き家の活用に極めて示唆に富む例ではないかと思い、ブログで紹介している次第です。今日の日本の「空き家」は、社会の大きな問題として捉えられていますが、さにあらず、人々が豊かに暮らすための大きな生活資源だったのです。
今回はたまたま、家族の所有であったため上手くいったところが、確かにありますが、でも空き家の情報をもっと公開されたものにし、上手にコーディネートできれば、このような例はそれほど難しいものではないように思われます。このような空き家になりそうな情報を集約し、上手な活用を提案していくことを今後真面目に考えてみようかと思います。
紅葉もいいけど黄葉もいい
事務所近くの通りの銀杏の木です。
陽射しを透かして見せる黄葉がとてもきれいだったので思わずシャッターを押してしまいました。そこへ木枯らし一番が吹いてきました。
風に揺れる銀杏の葉から木漏れ陽も、自分の気持ちも一緒に揺れていました。
木部の外壁
木製の外部階段が傷み、取り替えたいということで、その処置の相談で、「草加の家」に行って来ました。
その時、外壁の色が8年程前の完成当時と変わらないでいることに驚きました。
思わず塗装し直しましたかと尋ねたら、いや、一度も再塗装はしてない、とのことでした。
外部の木部は変色がつきもので、つい最初から変色しても目立たない色にすることが多く、グレーか木の濃い色にすることが多いのです。
このように木地現しの薄い白の塗装は多くはありません。案外この白は木の変色方向に合っていたのかもしれません。
伊丹の家ストーリー4
「伊丹の家」エピソード4
伊丹の家の事例紹介のため、植栽の葉が芽吹いた頃、写真撮影することになっていました。最近居間食堂の床を畳にしたいという若い建て主さんが3人連続していましたので、畳の住み心地を改めて伺いたいと思っていました。
そのお願いをしようとしていたら、建て主さんから、海外勤務になるという連絡がはいりました。またびっくりして、よくある、家を建てると転勤を命じられる、というやつですかと聞いたら、そうではなく、関西で家を建てようと決める前から、海外勤務を希望されていたとのことでした。
ゴロゴロできる畳の生活にとても満足していたので、それが出来なくなることだけが残念だとのことでした。新居はどうされます?と伺ったところご両親が時々住んで頂けるということでした。
とにかく家づくり物語のエピソードの多い方でしたので、今度は海外でも家を建てるぞ、と言われても驚きませんのでと、海外に行く前の挨拶をさせて頂きました。
家づくりストーリーは未だ未だ続きそうで、海外からの報告写真がエピソード5になるかもしれません。
伊丹の家ストーリー3
伊丹の家・エピソード3
「伊丹の家」は私たちが開発して来たFSU工法で創られています。この工法はプレカットと壁パネルの製作が妥当な価格と品質で出来るかということと、始めての工法に意欲的に妥当な見積価格で取り組んでくれるいい施工者がいるかどうかがポイントになります。下が今回のプレカット工場。
関東では毎回それに苦労していて、思った程普及が進まず、数棟にとどまっています。実は伊丹の家の建て主さんが設計依頼の時、今やられている工法でやっても構いませんよ、と言って頂きました。関西でもやってみたいと思っていた時でもあり、その壁パネルを製作してくれるところと、いい工務店に巡り会えるかが鍵で、初めての地、そう簡単に見つからず苦労すると思っていました。それがたまたま、関東で屋根パネルの製作を専門としている会社の方が、プレカット会社を紹介して頂き、そこにたまたまSE工法という新しい木造ラーメン工法を開発した会社にいた方が転職して来ていて、私どもの工法に関心を持ち、渋る会社に強く推してくれたので、請けて頂くことが出来ました。建て始めと一階北側壁が終わった時点の写真。
そこが紹介した施工者がこれまた優秀で、パネル製作に、自社の大工をプレカット工場に派遣して壁パネルの製作までしてくれました。その工務店の社長が遠方の設計者だから簡単には来てもらえないと、先々を読みながら仕事をしてくれたので、私共の足りない部分も事前にカバーされ、うまく出来たと言っても過言でないところがあります。二階壁完了し屋根垂木が乗った段階。
なぜかうまく運ばないときは、次々と障害が生じます。うまく運ぶときは多少の問題があってもトントンと進みます。出会いの重要なところです。今回の施工は新しい地にもかかわらず予想以上にうまく運んだ例ではないかと思われます。
工事途中に、塞ぐはずの妻側の桁上の三角の欄間を、建て主さんから明り取りにしませんかと提案され、それにも工務店さんは快く応じてくれました。
工事中も遅くまで頑張ってくれました。デッキから中を見た夜景写真
家づくりストーリー「伊丹の家」2
「伊丹の家」エピソード2
関西に引っ越し、しばらくは賃貸のマンション暮らしでいいと考えていたところ、千葉の家がすぐ売れてしまいました。戸建ての家の方が性に合うということで、土地を探し、手頃なところが見つかり、誰とつくるか、設計者をどうするか、と考えている時でした。その土地近くを歩いていると、何となく見たことがあるような家があり、結設計の家に似ているけどまさかこんなところにある訳ないと思いつつ、私どもを思い出し、関西まで来て設計してくれるか聞こうとなったそうです。
設計者にしてみたら、二度も依頼される、しかも遠方であっても、ということは、設計者冥利に尽きるというもので、喜んで引き受け、敷地を一緒に見にいきました。色々見た帰り道、歩いている方向とは異なる左の折れ曲った道路の向こうを何気なく見たら、どうも見覚えある住宅の玄関付近と外壁や屋根の一部が眼に入ってきました。
確かに18年程前に関西に転勤を余儀なくされたTさんが、関東在住の時に転勤先の地に住宅を建てたいということで、2000年頃設計させて頂きました。伊丹市であることは覚えてましたが、だいぶ前で、場所までは確認して来ませんでした。建て主さんともその話はしておらず、又、らしい家を見たという話も聞いてませんでした。当時と付近の状況は様変わりしていて、街の様子も忘れてました。
驚いてそっちに勝手に歩き出していました。じつは建て主さんもそれらしいと感じた家だったということを後で知りました。表札を見たらやはりTさん宅でした。
ドアホンを押しましたが、その日は留守でした。もちろんその後、工事監理中に、ご主人が玄関から出ておられる時があり、一緒にお尋ねし、双方の家と人柄を紹介させて頂きました。ホームページで事例紹介始める前の家でしたので、建て主さんも事前知識なく、あり得ないと思われる地方で、私達が設計した家ではないかと、感じて頂けるということは嬉しい驚きでした。
その家の建築当時の南側外観です。今では周りが建て込み撮影不能です。
そっとお見せいたしますが、その家の建築当時の居間の写真です。
家づくりストーリー 「伊丹の家」 1
「伊丹の家」エピソード・1
伊丹の家の建て主さんは、二度目の家づくりで、私共は二度も設計させて頂いた貴重な方です。最初の家は、下の写真の千葉県で建てられ、私共の事例にある「戸神台の家」です。
その時の敷地は県が開発した分譲地内にあり、南側道路を隔てた向かいは市街化調整区域の畑で、そこには建物が建つことはなく、年中陽が入る住まいです。二階に在来工法で手作りした風呂があり、家の中心が階段と吹き抜けになっていて、外からは想像しにくい空間を持った家です。そこの分譲地内にはその建て主さん始め、住まいをとても慈しんでいる方が多く、各家の建物だけでなく、庭づくりにも趣向を凝らしていて、歩いていて楽しくなる街です。詳しくは事例紹介か関連ブログをご覧下さい。
その建て主さんが、仕事の関係で関西に引っ越すことになり、慈しんでいたその家を手放さざるを得なくなり、売りに出しました。最初1年ぐらいで買い手が付けばいいと思い、不動産屋さんが建物価格を安くしないと売れないと言われたのに、家を手放したくない想いもあり、自分なりの値付けで出したところ、一ヶ月もしないうちに買い手が付いてしまったとのことです。
さらにその方とは別にまた、私どもの事務所に相談にみえた方がいて、私どもの所に来られた理由を伺ったところ、中古物件を探していて、「戸神台の家」をこれだと思って申し込んだところ既に買い手が付いていて購入出来ず、気になり、その家の設計者を尋ねてきたとのことでした。
キッチンギャラリー
現在工事が進行中の練馬区の2世帯住宅で建主も含め検討に検討を重ねているのがキッチンです。 かなり建主のこだわりがでる部分ですのでどの物件でもかなり悩みます。
物件により天井や壁の仕上げ、広さや見え方が違うので、経験値によりかなり回答が定まってきている弊社でもかなりのバリエーションの事例があります。
今回施主との再打合わせに伴い様々な事例をピックアップしましたので
その一部を紹介させて頂きます。
事例1
RC壁の中にステンレスの天板、扉に木(米松)を使用した例
事例2
床と同じ木地仕上げの手元隠しの衝立と収納を付けた例。端部の衝立は写真ではわかりませんが白いパネルです。背面収納は壁に合わせて白くしています。
事例3
床と同じトーンの手元隠しの衝立兼収納を付けた、ステンレス天板のキッチン例。
事例4
建主こだわりのクリスタル天板を主役にしたオープンキッチンの例。
事例5
木部の床も収納扉も色合いのトーンを落とした雰囲気のキッチンダイニングの例。 レンジフードも天井につけないこだわり。
事例6
こちらもリビング床に合わせてワントーン落したキッチン目隠しの立ち上がりを付けた例。
キッチンの中がごちゃごちゃしていても見えないので雰囲気が崩れません。
事例7
こちらはステンレス天板でオープンにした例。オープンにしてもごちゃごちゃ見えないように洗剤入れスペースをオリジナルで付け、床の色は木地仕上げで、キッチン扉の色はトーンを落とした色合い例です。
事例8
こちらは床にトーンをあわせたキッチン例。
ダイニングとの統一感が出ています。
事例9
L字型のキッチンの例。床は拭き取りやすいビニールタイルです。
事例10
キッチンが見えないよう床と同様にトーンを落とした色合いのアール収納で囲われたキッチンです。
背面収納も白い壁と一体化し、天井にレンジフードもないのでキッチン感が薄くなっています。
どのキッチンもそれぞれこだわっていますが、共通してこだわっているのが冷蔵庫を隠してあげること。写真をもう一度見直して頂けると気づいて頂けるかと思うのですが、ほとんどの物件で冷蔵庫の存在感があまりありません。冷蔵庫はどうしても生活感が出やすいところですので、隠してあげると家の雰囲気が損なわれにくくなると思います。
夏季休業のお知らせ
誠に勝手ながら、弊社では下記の期間、夏季休業とさせて頂きますので、ご案内申し上げます。
2017年8月11日(祝・金) ~ 2014年8月16日(水)
休業期間中に頂戴致しましたお問合せ等につきましては、8月17日(木)以降の対応とさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承の程よろしくお願い申し上げます。