昨日の日曜日は、世田谷の家に数組の方をご案内しました。
居間の石張り壁完成しました。建て主様こだわりの石張りです。本物の石なので、質感があっていい感じですね。
今回ご案内した方々からは、具体的な質問を多く受けました。斜線制限や、防火地域指定についてなど。皆さんよく勉強されていますね。
ご案内する機会を頂き、建て主のSさんにはお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
昨日の日曜日は、世田谷の家に数組の方をご案内しました。
居間の石張り壁完成しました。建て主様こだわりの石張りです。本物の石なので、質感があっていい感じですね。
今回ご案内した方々からは、具体的な質問を多く受けました。斜線制限や、防火地域指定についてなど。皆さんよく勉強されていますね。
ご案内する機会を頂き、建て主のSさんにはお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
世田谷の家は、内部の壁に石を貼っていました。内部左官等の仕上げ工事が進んでいます。
石張りは出来上がりが楽しみですね。
10月19日(日)の午後(13:30~15:00頃)に、建主様のご厚意により、数組の方をお連れして見学出来る機会を設けることが出来ましたので、お知らせします。
場所は、東京都世田谷区(田園都市線沿線)です。(プライバシー保護から見学希望された方のみにご連絡いたします。)見学ご希望の方は事例案内申し込みフォームからお申し込み下さい。
世田谷の家は、外壁左官作業が終わり、足場の解体が始まりました。
南側外壁の2階部分。オリジナルの配合で骨材を混ぜてもらった左官壁です。今回外壁左官の色は淡い色にしました。そこに黒やベージュの骨材が表面にでて独特の質感があります。
内部壁は下地ができて、いよいよ左官の仕上作業が始まります。
今回メインの内部壁は、刷毛引き仕上げです。
足場外れるのが待ち遠しいですね。
世田谷の住宅の現場。FIXガラスが入りました。内壁の石膏ボード、フローリング張りも終わり。
家具工事の最中です。
結設計でおなじみの小幅板天井も張り終っています。大工さんにがんばっていただいて綺麗に出来上がりました。
義父の初盆ということで、普段家のことを何もしてくれない、という評価を多少挽回すべく、盆飾りの手伝いをしてきました。そんな中写真のようなものを始めて見ました。近所の方が手伝いに来て、作ってくれたものらしいです。仏さんが、間違わずに自分の家に辿り着くように飾るのだそうです。真ん中の柱の上のランプのようなものは中に蝋を入れて13に日に火を灯すとののことです。昔は門のそばに二階建て屋根より高く立てたそうです。亡くなった人への思いと絆がそうさせたんだろうなと想像できます。初盆入れて3年続けて立てたそうですが、今は二年だけ、しかも二年目は一本だけのようです。
たぶん、各地の迎え火の替りなのでしょうが、各地いろいろな形に変化しているものなのだと、興味深く見てしまいました。
ちなみに今回手伝ったのは、下の写真で、仏壇の新盆用の前飾りの竹と斑入りのススキを裏山から取って来て、束にして前机の足に固定し、竹の上に縄を回し、ほおずきを載せて作るとのことで、よくわからないまま、お義母さんの指示の元、息子と作りました。
墓に迎えに行くとき息子に、このような形の行事はだんだんなくなって行くんだろうな、と言われ、確かになくなって行くだろうけど、はたしてその代わりの、文化として残るほどに、絆や拘れるものを、自分たちは今後作れるものなのだろうか、考えてしまいました。たぶんバレンタインデイのチョコや、クリスマスケーキのように、仏壇の脇にある銀の蓮の葉の飾り物のごとく、商魂たくましい業者に支えられたものが、形だけ踏襲されて残るのかも知れないと思ってしまいました。本物の竹やススキは間違いなく消えるのでしょうが、でも私には銀の蓮の飾り物を飾る前の方が自然でさっぱりしていて、美しいように見えました。
先週末、大宮の家の内覧会が無事終了しました。
当日は天気にも恵まれとても良かったですが、暑過ぎるくらいでした。
内覧会を開催させていただき、建築主様にはお礼を申し上げます。
また暑い中お越し頂いた皆様、ありがとうございました。
今週末に内覧会を行う、大宮の家の工事中の写真です。
写真は、玄関三和土とアプローチに玉砂利洗い出し仕上げの左官工事中の時です。
石は那智黒という石で、下地のモルタルを塗ってから、職人さんが1つ1つ石の形を見て使える石を選びながら、バランスを見て1つ1つ敷き詰めていきます。
とても手間のかかる作業です。
石を敷き詰め終わりましたら、上からモルタルを塗り込み、表面だけ洗い出して仕上げていきます。
下の写真が、仕上がった状態です。
左官職人さんはどんどん減っているようで、このような仕上げは段々貴重になっていくのかもしれませんね。
大宮の家は、今週末の内覧会を予定しております。
住宅の性能は、長期優良住宅の認定を取得していて、耐震等級3です。
暖房方法は、基礎に夜間蓄熱させる蓄熱冷暖房という方法です。冬は、足元からゆっくりと柔らかい暖かさがあります。
外部の仕上げはサイディング張りと左官塗り仕上げの2パターン、内部にも左官塗り仕上げや和紙貼り仕上げの部屋もあり、見学に来ていただいた際には仕上げの違いを見比べることも出来ます。
内覧会は、プライバシー配慮のため予約制とさせていただいております。見学希望の方は事例案内申し込みフォーム、または結設計宛にメール・FAXにてお気軽にお申し込み下さい。
お申し込みの際には、「大宮の家内覧会参加希望」と明記して頂き、住所、氏名、連絡先、参加人数をご記入下さい。
参加申し込みのご連絡を頂いた方に、詳しい住所などをお知らせいたします。
■開催地:埼玉県さいたま市大宮区
■日時 :2014年8月2日(土) 午後2時30分~
■最寄駅:JR大宮駅より徒歩で20分ほど(タクシーで約10分)
■申し込み先
事例案内申し込みフォーム
e-mail: office@yui-sekkei.co.jp
FAX: 03-5651-1934
工事初めは土足で歩き回っていた現場も、工事が進むにつれ土足で内部を歩き回るという事はもちろんできなくなります。現場で長く作業する職人さんは自分の内部用履物を用意して作業していますが、自分の履物の用意がない人のために大体の現場では共用で使えるスリッパを用意しておいてくれます。
スリッパは、使いやすく気付きやすいように大体玄関の上り框あたりに置いてあることが多く、その置き方は脇にまとめてあったり段ボールに入れてあったりと様々です。
少し前の写真ですが、豊川の家の現場では写真のように玄関ホール横の壁にスリッパ掛けが作ってありました。
柱に端材を打ってスリッパを引っ掛けられるようにした単純なものですが、来た人が一目でスリッパの存在に気が付くことが出来、使いやすく、床に物を置かないで済むという現場の気遣いを感じました。
アガパンサス、最近、ようやく名前が憶えられてきました。梅雨の今頃街並みを和ませてくれます。数年前に教えてもらってもすぐに忘れ、翌年には名前が出てこない。咲く時期なるといつも思い出せず、記憶力の無さにコンプレックスを感じさせられてきました。
ですが、最近自分に朗報となる本を見つけました。「知性を磨く」田坂広志氏著作の本です。
そこには、答えのある問を、早く正しく見出す能力が知能であるとのこと。ということで、自分の場合知能は低いことになります。ですがその低い者にとって朗報なのです。そこには、だが答えの無い問に問い続ける能力が知性である、とあります。自分の場合、住宅設計という仕事柄、殆どの与条件は、要望する床面積の割に、建蔽率、容積率が不足しているとか、予算の割に要望される仕様やグレードが高かったり等、常に矛盾を孕んでいることが多いのです。その矛盾する条件のまま、答えの無い問を求めつづけて、何とか結果として依頼者に矛盾なく、納得できるものを実現提示することが仕事です。常に答えのない問を、問い続けてばかりいます。この能力だけは、人には負けないと自負しています。
知能の高い人は、答えのない問には、割り切ることで答えを出そうとするとのことです。その場では答えのない問であることは明らかで、誰もがしょうがないと思えます。決して間違ってはいません。しかしこうした判断の奥にあるのは、楽になりたいという思いがあり、その精神が割り切りに流され、深く考えられず、答えのない問を問う力「知性」を衰えさせていくというのです。その本には、では割り切りせずに迅速な意思決定ができるのかという問いには、「割り切り」のこれで行くしかないという受動的回答ではなく、これで行こう!と「腹を決め」という能動的意思決定をするとのことで可能であるとのことです。割り切りでなく、腹きめの場合は心が楽になっていないません。割り切りは心が楽になっているから間もなく忘れます。腹きめの場合は、心が楽になっていないので、決めた対象を心に抱き続けます。心理学者の河合隼雄さんが、愛情とは関係を絶たぬことである、というように、愛情を抱き続ける精神的エネルギーこそが、知性を磨き続けるということです。
最も、自分がアガパンサスの名前を思い出せないでいるのは、決して応えのない問を探しているからではなく、単に、記憶力が衰えていて、思い出せないでいるだけでしかありません。知性を磨いているからでも何でもなく、全く言い訳にはなりませんね。
夕べ、ベランダのサボテンに花が咲いた。夜の12時には咲いたようだから、もうすぐ萎れて散ることだろう。「花の命は短い」の究極かもしれない。一夜飾りではないが、月下美人と同じで、いつ咲くか分からず、咲いたことすら知らないかもしれない、儚い花だ。
最も花にしてみれば、人間のために咲いてんじゃない、余計なお世話、なのかもしれないが。
遠い昔イランやイラクを乗り合いバスで旅行していたことがあった。辺りに緑の全く無い砂漠地帯で、自然そのものが敵としか思えない地帯の、人さえ通わない、あんなところで咲いて、誰にも見られずに一晩で散っていくのかと思うと、なんかいとおしい気持ちにもなる。下の写真の花の咲き方見ても、何となくこちらに哀願しているように見えません?