少し前の本ですが、タイトルにつられ「やさしさの精神病理(大平健氏著)」を読みました。「やさしい」というのは非常に曖昧な表現であり、「××にやさしい※※」と言ったとき、「やさしい」が何を意味するのかは「××」「※※」によって変わってきます。例えば「胃にやさしい食べ物」といえば負担をかけないという意味でしょうし、「女生徒にやさしい先生」といえば恐らくは甘いという意味になるのでしょう。ちなみに手元の辞書の「やさしい」の項には前二例のような意味は書かれておりません。本書では「やさしさ」を各々の思いを込めて相手に求めた時、自分の求める「やさしさ」が帰ってこないためにコミュニケーションに齟齬が生じ、ひどい場合は精神を病んでしまうこともあるというような症例が書かれています。100人いれば100通りの「やさしさ」があるのであれば相手に自分の思いを汲んで貰うという期待もしないのでしょうが、例えば同世代ではほぼ同じ意味で捉えることが出来たりなど中途半端に意思疎通できる言葉ゆえ余計にやっかいなのかもしれません。

私どもの仕事はクライアントとの正確なコミュニケーションが重要なので、こういった曖昧な言葉が使われた時にはその意を汲み取るよう努力をしなければなりません。さすがに、ただ「やさしい家を設計してください」という頼まれ方は無いでしょうが、一例としては今回藤原が「気ままに」(結設計のホームページ内)に書いた「和風」という言葉などは一定の危険を秘めていると思います。仕事に限らず、普段でも言葉が通じてないと感じることがあることから反省の気持ちも手伝って手に取った本でしたが、相手の意を汲み取る手段として参考になる例がありました。コミュニケーションで悩んでいる方などは一読の価値はあるかもしれません。(柳本)