投稿者: 藤原昭夫

間取りに感じる不安の解消

信州上田城の外堀跡です。関ヶ原の戦いに行く途中、徳川家忠が数万の兵を引き連れ、数千の真田軍を簡単に落城させて参戦するはずが、よく練られた真田軍の防備にてこずり、結局落とせず、数日足止めされて参戦し、家康にこっぴどく叱られた、という逸話をもつ外堀です。何事も事前の検討と対策が威力を発揮するという見本です。

前回のブログで述べたように、間取りに悩まれている方に少しでも軽減していただくためと、部屋の仕切りが決まった程度の間取り図で、検討すべきことが済んだかのように思われている方が多くいる状況に、私どもなりにそれを再考していただくため一石を投じてみることといたしました。

間取りから次に進む際、建築主として間取りに関連して全てを検討した、という確信もつため、当事務所のクエスチョン式間取りセルフチェックシートを提供いたします(無料)。当ホームページからご自由にダウンロードして活用ください。

これは、決して悩みの解決案や間取りを考える際に参考となる建築手法を述べたものではなく、あくまで検討すべき項目を列挙したものでしかないことをご承知の上活用ください。 <p>「間取り」の次に進むということは、そこに含まれる全てを自分が了解したことを意味します。例えチェックが素人には難しいと思っても、建主がいいと言わない限り家づくりは前に進めない建前になっています。不安であれば自分が納得できる間取りや計画内容になるまで設計者と話し合うしかありません。そのためのチェックシートです。建築屋さんがいい人だから、いい工務店だから、というのは、他人である以上自分にとって適切なものになるという保証にはなりまません。

間取りセルフチェックシートは

生活のあらゆる行為を想定して、動線や各諸室のスペース(広さ)、方位や道路、敷地境界と開口部、時代に即した設備機器の配置、収納や装備との関係、その上で構造的バランスや断熱等の性能、広さと予算と仕様のグレード、駐車場などの屋外の扱い等々を考えます。その上で、工事での作業性や費用対効果、将来の生活変化への対応、気に入った魅力ある内部と外観等々を吟味しながら自分に適切なものか考える上で、項目に漏れがないかチェックできるツールです。これらは敷地や人それぞれで事情が異なり、優先順位も違ってきます。しかしこのチェック項目でで考えるべきことはすべて考えた、という実感が不安を解消してくれるはずです。

間取りセルフチェックシートの提供にあたり

 最初にお断りしておきますが、間取りのセルフチェックは簡単にできるものではありません。建築の専門の方と一緒でないとチェックしきれない部分がいくつか含まれています。またチェック項目も、適切か、とか、自分なりに納得や吟味したか、という質問が少なくありません。建築は敷地条件や使用する人が違えばチェックの判断基準や重要度も違ってくるため、使用する建て主が判断すべきものだからです。もし判断しきれないところがあったら、その間取りの提案者に相談して見て下さい。説明に納得いかなかったらセカンドオピニオン等に求めるしかありません。参考までに当ホームページの設計作法は、クエスチョン式のチェック項目に対する、私共ならこう設計しています、という、一つのアンサーにもなっています。

チェックシートは間取りを決定する前に、不明のまま進めるのでなく、検討すべきことの、気づきを促し、漏れを少なくするためのものです。又、不明なところの検討記録であり、設計者(または建築施工者)との打ち合わせ資料でもあります。

セルフチェックしても不満が残る場合

 さらに、全てをチェックして納得して不安は消えても、不満が残る方も少なくないはずです。その場合はその計画が自分の状況や価値観に合ってないからです。建築の計画は95%論理的に考えられ、論理だけでは誰が考えても、多くの場合似たものになりがちです。チェックだけでは論理以上にはなりません。その段階を超えた満足を得るのは、残りの5%部分で、個人的感性や価値観、あるいは発想や構想力に負うところが大きく、誰がどう計画したかで違ってきます。

不満を残さない計画にするには、言葉で表現できない要望と建築条件の間にある矛盾をブレークスルーする必要があります。その仕方は設計者によって異なります。全てチェックして論理的に納得しても、不満が消えない場合は、自分の感性に合った設計者を探し出し、その設計者の提案に賭けるしかありません。

チェックシートの提供は、設計があらゆることを検討する行為であり、その重要性を理解していただくためのものです。さらに真に満足いく建築とするには論理を超えた段階まで行く必要があり、それには、誰でも同じではなく、私共である必要はありませんが、住宅設計を専門とする、感性の合う設計者に委ねる必要があることも、理解いただきたくての提供です。

上田に住む方が、すべて再使用材を使用して、茅も自分で刈ってきて、自分で作った茅葺の庵です。自分が納得できればどんな家も都です。


セカンドオピニオン

紫陽花の七変化が始まる季節になってきました。同じ花でも条件が少しでも変わると色合いも変わってしまう自然の不思議です。

 先日、他所で提案された「間取り」に不満はないがなんとなく不安だということで、セカンドオピニオンを求められました。確かにその「間取り」は一見部屋数も広さにも明らかな欠陥はなさそうでした。しかしよく見ると、居間食堂を広々と欲しいという割には、家具で仕切った間仕切がせせこましくさせ、廊下を設けた分、全体面積も広くしていました。その分工事費も増やし、窓も道路に近接させ、常にカーテンで隠さないといけなく、風通しも悪そうです。少しは欲しかったという庭を諦め、駐車場の確保がやっとの間取りでした。何より二階屋根の荷重のかかる柱の下の一階には壁も柱もなく、技術的にはできなくないでしょうけど、地上への屋根荷重の伝え方に無理を感じました。

間取りは変えられる

 階段の壁を取り払って居間食堂に開放し、子供の帰宅が見えるようにし、廊下の機能を上手に居間食堂に取り込み広く見せ、一階部分の面積を減らし、庭を確保し、そちらに窓を大きく開放し、二階柱を一階の壁のラインに載せる間取りに変えれば、構造的無理なく、居間食堂も視覚的に広くなり、窓も開け放すことができ、面積も減り、工事費も削減する間取りにできると思いました。

間取りの一般的扱われ方に問題が

 この「間取り」はさておき、それより気になったのは家づくりの進め方です。この間取りに不満がないなら、建築の内容が殆ど決まったということで、後は屋根や壁の仕上げを決め、他に注文がなければ、そこの工事屋さんのいつもの仕様で工事費を算出し、工事契約に進むとのことでした。その段階の間取りだけでは、壁と窓の位置が決まっただけで、まだ自分の事情に合わせて、暖冷房、給湯、換気、照明等の各種設備機器をどうするか、各種仕上げや仕様グレード、家具や装備、外溝、等々未だ未だ建て主が検討すべきことが多く残っています。それなのに、後は契約後に決めるか、施工者に任せるのだそうです。

間取りが決まれば後はうまくいく?

 「間取り」は住宅の良し悪しを大きく左右する重要な要素で、単なる部屋割りではありません。しかもいい家の必要条件ではあっても、十分条件ではありません。世の中では部屋割り程度の「間取り」でも、決まればあとはうまくいくかのように扱われているようです。私達設計者からすると、そこから先の検討行為こそが最も重要な作業で、設計の大半を占める実施設計はその部分の作業になります。しかし一般的にそれは、工事契約後の残務処理的扱いのようです。こんなことは分かっていたとは言え、部屋割り程度の「間取り」を決めた後の検討を十分にはせず、工事契約となる家づくりでは、契約後に不足や変更したいことが続出し、追加変更工事費が追いつかず、後悔する人が後を絶たないのは無理ないことです。このような実態を目の前に見せられると、見た見ぬ振りしていいんだろうかという、微かな危機感を覚えました。

家づくりは

「建築は百人いれば百通りの建築がある」とか、「建築心と盗人心のない奴はいない」あるいは「家は3回建ててみないと思ったような家はできない」などと言われます。かように、建築、特に住宅は色々な有り様が考えられ、また誰もが「間取り」ぐらい、自分でも考えられると思って、作ってみようとしますが、3回建てて見てようやく思い通りの家になる、というようなことなのです。

間取りになぜ迷う

 建築を考える時、殆どの方が「間取り」から考えようとします。確かに「間取り」は使い勝手や生活の限界を決定づけます。それで皆さん色々書いてみて、得心いったり、不安に駆られたりします。そして誰もがこれでいいだろうかと迷われます。なぜ迷うのかというと、検討すべきことを全て検討したという確信が持てないからだろうと思われます。

設計者も迷うか

 設計者は迷わないかと問われますと、設計者にもよるでしょうが、私らの場合、必要項目の情報収集やヒアリングが十分であればそんなに迷いません。事務所には吟味すべきチェックリストがあり、しかも設計者としての個人的建築観があり、それに照らして吟味すべきことを経験に照らして検討すれば、自ずとできること、無理なことが明らかになり、選択肢は限られ、優劣がつけられます。私どもから「間取り」を提案する場合、一案になるのはそのためです。よく二案か三案の複数を希望される方がいらっしゃいますが、よく考えた提案なら、あり得ない事です。

設計者が迷う場合

 設計者が迷う場合は、依頼者の言葉にならない意向や想いを十分汲み取れなかった場合で、依頼者の価値観や嗜好で選択肢の優先度が逆転する場合です。逆転に無理がなく、設計者の価値観からも、それが納得できる場合は、大まかな方向性を確認するため、複数案になることも稀ですがあります。

また複数案ではないですが、設計者が再提案せざるを得ない場合もあります。それは、設計者が依頼者の希望というより、個人的事情や嗜好を十分理解できていなかったときとか、誤解していた場合、提案する「間取り」を間違うことがあります。例えば、現地を見たときが日曜日で道路の往来が少ないと感じて、二階デッキの位置を道路側に設けて提案してみたけど、実は週日は往来が激しく、逆側の方がよかった、などというようなケースです。


大都会のビルの狭間に木造住宅が

都会の変貌は激しい。中高層ビルがまた解体されている、と思って毎日その解体現場前を通勤で歩いていたら、ある日突然、解体されたビルの裏側に、解体されたビルと両隣のビルに囲まれて、数十年間に渡って、陽も射さずにあったであろう二階建て木造住宅が、高層ビルの狭間に、突如朝日を燦々と浴びて気持ちよさそうに、しかし肩身狭そうにひっそりと建っていた。

 


西伊豆の平屋建て

西伊豆の土肥に、平屋建ての家ができました。

ブログも、去年暮れからこれまで忙しく、更新されていませんでした。途中経過の掲載もサボっていたわけではなく、なぜか他の実務に振り回されて、引き渡しの今になってしまいました。植栽も家具も未だですが、ちゃんとした写真での事例紹介の前に少しだけ紹介します。

土肥には、30年ほど前に設計した家があり、それはカーグラフィックという雑誌の編集者が表紙用の風景を探していて、それに取り上げられた家で、3年ほど前にリフォームをし、建て主さんがそれを見てこのような間取りがいいということで決まった家です。西風の強く吹く地域で、玄関は煽られないように、既製の引き戸でということでしたので、そのまま使っては味気ないので、わずかに周囲に木の縁を付けることで、手作り感を出しました。

敷地は自分の家の敷地と隣の100年前に建てられた家を購入した敷地と合算したので、平屋建てにしても十分全室南向きにできました。ただし、接道する北側の道路レベルと南の庭側の敷地レベルに1m程差があり、南側バルコニーには木製手すりを付け、4段ほど降りて庭にでます。内部の壁は紙クロスですが、壁面の角をそれなりの下地処理をすることで

左官壁のように見せています。居間食堂は恒例の小幅板天井ですが、

ロールブラインドもその中に納める仕掛けは健在です。

建て主さんは生け花とお茶を長年やってきたので、網代天井の床の間には、床柱や落とし掛け、掛け軸用の無双四分一だけでなく、花蛭釘、中釘、花釘も付いています。畳床には炉も切ってあります。

早く引っ越されて、生け花を活けた空間で、お茶をたてていただくのが楽しみです。


新しい年になりました。今年もよろしくお願いします。

写真は拡大すると端の山の上の雲間にかすかに富士山が小さく見えます。めでたさも遠さも見えにくさも、今年の当事務所としてはこの程度かなと思います。

昨年までの数年は、東日本の被災地で開発提案した(FSU)工法の手前、定着するまではということで、個々の住宅や事務所等の復興のお手伝いの出稼ぎ(出張)が多くありました。それで忘れられたのか見放されたのか、関東方面の本来の在来工法の仕事が少なくなってきていました。それもいよいよ昨年暮れ、そのFSU工法で作るということになった、19年ラクビーワールドカップ釜石スタジアムのドーピング室等の木造諸室の設計がほぼ終わり、今年半ばに工事が完成すれば、お払い箱となるかと思われます。

これまで新しい工法に力を注いできて、いくつかわかってきたことがあります。職業柄、被災地で何らかの役に立ちたいという意識から始まりましたが、過酷な状況と地域特性からくる要請に答えようとしているうちに、設計者としての中途半端な我は見直し、建築を作るということの意味を改めて考えさせられました。例えば、当たり前のことながら建物そのものがすぐにも欲しい方には、いたずらに時間や費用をかける設計やデザインは、殆ど重きをなさず、工事を早く安くしてあげることの方が大事な場合が多いということです。それと林業や流通事情が建築工事の仕方や価格だけでなく、設計デザインにも大きく影響を与えうる可能性を秘めている、というようなことです。それゆえ設計者が関わるからには、それなりの意味と価値のあるものが何かも、わかってきました。

葉っぱの裏にも表にもめしべのような芽があるのが分かります?

さらにこの工法は、今後の木造建築の職人不足や工事費の高騰にいずれ対応する有効な手法になりうるということもみえてきました。

被災地での(建築)事情は人口減少を含め、日本の数年先を具現化しています。今、関東でのリフォームは人口減少で生じた空き家のせいか、リフォームブームになっていて、解体してみないと中がわからないからと、見積もりを高く出しても通る、美味しい仕事に思われ、各産業から多くのリフォーム屋さんが参入してきています。職人不足とオリンピックということで、工事費はうなぎ上りに高騰し始めています。新築よりも高いのでは、という話をよく聞きます。当然新築にもその余波は来て、今後オリンピックや消費税アップで職人不足がさらに進み、工事費のコストコントロールは益々難しくなりそうです。

その時、岩手で試みて色々わかった中で、新しい工法は現場職人をあまり必要とせず、殆どを工場で加工して持ち込んで作る木造建築の手法の核になりうる可能性を秘めています。現場での職人の数が少なくて済み、2日ほどで建込、屋根下地までいき、屋根を葺き、サッシ等を取り付け、設備を備えれば、それだけでも住めなくもない木造スケルトン(躯体)ができあがります。自分で仕上げたい(DIY)方や店舗あるいは別荘等にはうってつけです。またそれなりのレベルの住宅を望む方には、その後じっくり丁寧に仕上げて引き渡すこともできます。

岩手県では、施工を一緒にやっていただいていた工務店さんは、もう自分らだけで設計施工ができるようになり、依頼も多く、待っていただいている状況です。躯体建て込みだけの依頼もあり、その方が収益も高いとのことです。

関東では殆ど知られておらず、リフォーム等、他に収益のある依頼があるため、新たな工法はやりたがらず、この工法で見積もりをお願いしても、通常と同じようなものしか出してもらえません。それでしばらくは、店舗や別荘等で、岩手県と同じように多少遠方でも、忙しくない工務店さんを説得し、この工法で施工できるところを増やし、市中で高止まりしている工事費に、見直しを迫る手段にできないかと考えています。


練馬の二世帯住宅見学会開催

2017年12月9日(土)10時~14時までの間

練馬区の二世帯住宅で見学会をさせて頂けることとなりました。

木造FSU工法で建てられた住宅で地下1階、地上2階建です。

通常の木造在来工法とは構造が少し異なり、壁を杉の角材をボルトで連結したパネルでつくっており、壁内に空洞がありません。

そのため棚をつくったり重いものを掛けるフックを付ける際下地が必要なくどこにでも造作が可能なため、結設計ではDIYやハーフビルドを楽しみたい!という方にオススメしている工法です。

この家の建て主さんも室内に壁の杉材をアラワシで使ってご自身で塗装をされたりして無垢材の壁を楽しまれております。

地下室の床張りや洗面所のタイル張りなど、引き渡し後にご自身での作業を予定されていますので、今後の変化も含め大変楽しみです。

1階親世帯はフローリングの床+白い和紙を貼った壁+小幅板天井のリビング、

2階子世帯は畳の床+FSU工法アラワシの壁+白いクロスの天井のリビング

異なる2種類のリビング空間を見て頂ける面白い住宅です。

今までの結設計で手掛けてきたものとは少し違った楽しみ方を持った住宅となっております。

DIYに興味のある方や木のぬくもりを存分に感じたい方、是非お申込みをお待ちしております。

用途:専用住宅
構造:木造FSU工法 地下1階、地上2階建
延床面積:244.85平米(74.07坪)

■開催地:練馬区立野町
■日時:2017年12月9日(土)10:00~14:00
■最寄駅:JR中央線荻窪駅より南善福寺行バスに乗車

■申し込み方法
見学ご希望の方は、下記申し込みフォームか、結設計宛にメールにてお申し込み下さい。
お申し込みの際には、「練馬の二世帯住宅見学会希望」と明記して頂き、住所、氏名、連絡先、参加人数をご記入下さい。
参加申し込みのご連絡を頂いた方のみに、詳しい住所などをお知らせいたします。

■申し込み先
事例案内申し込みフォーム
e-mail: office@yui-sekkei.co.jp
FAX:   03-5651-1934
[お申込み締切]
12月8日(火)15:00まで

※ご不明点、ご質問等ございましたらお気軽にお問い合わせください。

 


黄葉に惹かれて

近くに銀杏並木が見事な通りがあり、黄葉に惹かれて、今年の黄葉は如何に、と改めて確認しに行ってきました。少し枯れかかっていましたが、桜の紅葉と銀杏の黄葉とに挟まれた芝生の公園が見事でした。

周辺もいくつか写真を撮ってみました。

いくつか撮っていると、その黄葉の下になにやら異様な(?)光景が見えてきました。

もっと近づいてみると、これは何と評していいやら、戸惑ってしまいました。

一戸一戸は普通の住居でしょうが、このような群となると、・・・・・・・。そう言えばここではありませんが、新幹線の平塚辺りでこのような風景を見た記憶のある方もいらっしゃるのでは?

絶句。


家づくりストーリー「棚楼居(ホウロウキョ)」3

エピソード3:いい家は転売にも威力を発揮する

ご主人が亡くなられて数年後、奥様から、とっても住み易いいい家ですが、家族の中に幾つか事情が出来て、手放さなくてならなくなりました。不動産屋さんに売却をお願いしたいが、どう値付けしたらいいでしょうかと相談を受けました。相場では建物付きの土地は土地代だけが値打ちもので、場合によって建物付きは解体費がかかるから、地代より安くさせられることがある、とのことでした。私からは、不動産屋さんの言いなりに値付けしないで、今なら建築時の建築費を多少割り増した建物価格を土地代に加算してもいいのではないですか、とアドバイスしました。というのは私どもが計画した建築を引き渡す時いつも、この家はもう二度とこの工事費ではつくれないな、という想いで引き渡しています。同じ建築を再度つくろうとすると1〜2割増しになると思うことが殆どだからです。その時々の様々な条件を有利に活用し切って、矛盾するハードルを何とか乗り越え、この工事費でやっと創れたと安堵を覚えます。条件が一つでも欠けたら出来なかった家だからです。一般的不動産屋さんの判断は建物の善し悪しに関係なく値付けをされますが、私達のつくる家は、そのような住まいを望んでいるような方に嵌れば、絶対欲しくなるという自信はあります。案の定、売りに出したらすぐに買い手が付いたということでした。「戸神台の家」と同じです。


家づくりストーリー「棚楼居(ホウロウキョ)」2

エピソード2:姉葉事件の確認審査機関

建築のほうは、江戸っ子ではない自分等のせいか、順調にぱっぱとは行かないこともありました。少しでも早く完成させたいということで、建築確認申請も当時は早く見てくれるという民間の審査機関に申請し、早く下すことは出来、着工もすぐ出来ました。しかしその審査機関はイーホームズという、当時構造偽装の姉葉事件で、スケープゴートとして、本業の建築審査業務ではなく単なる機関の設立手続き違反として廃業させられたところでした。そんなことは未だ誰も知らず、中間検査にも問題なく通ったのですが、その直後に廃業させられたため、完成検査は台東区役所にお願いに行ったら、廃業させられた審査機関の竣工検査は、そもそも建築確認申請が確かかどうか確証出来ないので、最初の建築確認から見直すと言われました。そうすると数ヶ月住むことが遅くなります。余命幾ばくも無いご主人をその間待たせることになります。そこでご家族に相談して、早く住まわせて上げたいということで、完成検査は受けませんでした。気を揉みつつも、なんとか建物はたいした問題もなく住めるようになり、ご主人にもその住まいに数年程住んで頂けたことは救いでした。


家づくりストーリー「棚楼居(ホウロウキョ)」1

エピソ−ド1:余命幾ばくも無い方のいる家づくり

家づくりは、建てる方もお手伝いするほうも楽しい事業ですが、時には切ないこともあります。「棚楼居」の場合、建ててもご主人は何年住めるか分からない、という状況で計画は始まりました。その時のご主人は既にガンに侵されていて、余命幾ばくも無いという状態でした。ご主人が言うには、これまで勝手なことばtかりして来て、家族に迷惑ばかりかけたから、残された家族にいい家を残し、出来上がった住まいを見届けて逝きたいという、主人の強い想いと、奥様の短くてもいいから気持ちいい家に住まわせて上げたいという二人の想いから始まった計画でした。

ご主人に少しでも長く住んで頂くため、計画も出来るだけ早くしよう、防火構造促進地域ということで、鉄筋コンクリート造にせざるをえなく、車いすでしたのでエレベーターは必須であり、いずれにしろ杭工事は必要な柔らかい地盤であり、予算的にも無駄なくするためにも杭の本数が少なくて済むよう建築面積も小さくし、部屋を縦割りではなく、いっそ棚状の横割りの4階建ての間取りとしました。和の部屋も欲しいということで、現代的な和室も設え、お風呂だけが楽しみとのことで、南向きの見晴らしよい広い快適な浴室を設け、病院通いの際の車の乗り降りに、雨に濡れないよう、一階一部をピロティーにしたカーポートを設け、さらに生活の変化に増改築等で対応出来るようにと、敢えて道路際に数台分の貸し駐車場を確保し、当面は残された者の収入の糧となるような計画としました。

ご夫婦とも根っからの江戸っ子、というより浅草っ子で、決め方が恬淡としていて、説明をするとすぐ、分かった、と病人と思えない程と割り切りが潔く、設計も気持ち良く進めることができました。計画中も工事中も、自分はあまり食べられないのに、よく鰻屋さんや寿司屋さんに連れてって頂き、これが江戸っ子なんだろうなという、病身に気を使わせまいとする、気丈で気っ風のよい振る舞いをされ、小気味好い昔のお話を沢山聞かせていただきました。ご夫婦それぞれへの思いやりも、斯くありたいと思えるような振る舞いで、教えて頂くことも多々ありました。このようなお付き合いも永くないのかと思うと、帰りの電車の中で切なくなって来たことが度々でした。