シェア別荘・峠の我が家物語3- 別荘 のいい加減な動機


幾山河越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

How many mountains and rivers I must go over to fade away loneliness.

How many roads must a man walk down before you call him a man?

一番上の短歌は誰もが知っている牧水の歌です。それを二十代の初めバックパッカーをしていた時、英国でロンドンからバーミンガムまでのヒッチハイクで、乗せてもらった車を運転していた、同年代の米国旅行者姉妹と、お互いの国の詩の交換をしようということになり、その歌を自分勝手に訳したのが下の英文です。その詩に答えて、米国の二人が、それはどこかで聞いたことがあると、歌い出し、それがその下の英文で、ノーベル文学賞を受けた有名なボブディランの「風に吹かれて」でした。

牧水の歌は実は失恋の歌として詠まれたものらしいのですが、その傷心を癒すのにいくつ山河を越えたらいいのだろう、としたことで、雄大で多くの共感を得られる歌になったようです。

この歌は中国の詩人、杜甫の「春望」の一節

“国破れて山河在り、城春にして草木深し、・・・・”。を引いていると思われます。

芭蕉の「奥の細道」にも衣川を「春望」から引いて解説した一節があり、そこで詠んだ、誰ものが知っている句が “夏草や兵どもが夢の跡” です。

「春望」が多くの人に好かれるのは、無力感に苛まされる者の背中をそっと押してくれる歌だからだと思われます。親の庇護のある家庭から、自立しようと社会に出始める二十代は、どう身を立てようかと、誰もがもがく時期です。根拠のない自信のまま、志というか、野心のようなものだけはあり、色々挑戦しては見るものの、思い通りにいくことは少なく、孤立し、打ちひしがれることが多い時期です。不安や迷いが多く、孤独です。戦いに敗れ、荒廃した山河を見て、それでも変わらず草木は茂る、その姿に、癒すでもなく、助言を示唆するでもなく、ただ黙って自らの力で、再び歩み直すことを促してくれるからだろうと思います。

ボブディランの「風に吹かれて」も反戦を訴える歌ながら、その思いが強ければ強いほど、己の無力感に打ちのめされ、その心情を“どれだけの道を越えて行ったら、自分は一人前の人間になれるのだろう・・・。と謳っています。二十代、誰もが自分の意味や居場所求め悩み、彷徨う、いわば自立するためのエニシエイションの時期なのかもしれません。

信州大学山岳会館(FSU工法)の塗装工事を終え、これから世に出る学生部員達の写真
信大学山岳部部室をOBの寄付でFSU工法で建築した時の現役生の外壁塗装終了時写真彼らもこれから社会に巣立って行きます

自分の場合、技量を高めるため色々な事務所で経験を積んでいた時で、身の立て方に確たる自信もないまま、3年ほど勤めた事務所を辞めて、たまたま大阪の先輩の手伝いに半年ほど行くことになりました。アパートに布団など生活用具一式を置き、先輩の新婚家庭の家に、奥様が出産で実家に帰られていることをいいことに、先輩に勧められるまま居候しながら手伝っていました。

その時、生活用具は助けにもなるが、足を引っ張るものでもある、と思ったものでした。田舎の実家に預かってもらうという手もあったのですが、実家は兄が継いでいて、当時の母親には郷里に戻って働かせようとする親心がありました。荷物が先に帰ると自動的に、その後Uターンする、という意思表明になります。将来を未だ決めかねていた自分には、それだけは避けたく、生活用具を気楽に置ける場所があると、決めかねて彷徨う者にはいいなあ、といういい加減な心情がありました。

また、当時武蔵野市周辺で、子供に親と共に演劇を見せて情緒を養おう、という活動をしていたお母さん方の団体がありました。若かった自分たち何人かも、友人を通して参加を請われ、友人への付き合いもあって、冒険広場というか、アスレチック公園のようなものをつくる手伝いをしていました。その時、地域コミュニティーの大切さは認識していても、自立を意識していた自分らには、その地縁や家の持つ息苦しさに、地縁に囚われないコミュニティーは作れないものか、と考えてもいました。 

そのため、手伝いに集まった数人の若いグループは、手伝いの話より、当時はまだシェアという言葉はなかった時、皆が自由に使える 共同 別荘 みたいなものがあるといいね、というような、たわいのない話をしていた気がします。当時は未だ地域には共同体的な絆が、鬱陶しい部分や封建的名残はあっても、それなりに存在していた気がします。それ故自立するモデルも見えていた気がします。

 

アスレチックならぬ冬の蓼科のツリーハウス等の冒険広場
アスレチックならぬ冬の蓼科のツリーハウス等の冒険広場

そんな状況にも若者は自立のためと、就活に余念がありません。そのせいか3年以内で転職する者が3割に達し、自分のスキルアップを目指す者も多くなってきたと聞きます。本来自立とは企業に雇用されることだけではなく、社会に通用する素養や技術を身に着け、社会的役割を自覚して自分の考えで、自信を持って社会の求めに応え、実践していくことです。
スキルアップを目指して転職する若者が多くなったのは、それが分かってきた兆候ではないかと思われます。

とはいうものの、今若い方が自立していくのは大変です。就職できても、どこの職場もデジタル化や過当競争で変換期にあり、新たなビジネスモデルを確立できず、生き残っていくのがやっとで、試行錯誤しながら維持している状況です。どうすればよい、というモデルがないのは若者の自立だけでなく企業も同じで、あってもそれがいつまで有効か分かりません。自らがそのモデルを作っていくしかありません。むしろそれこそが真の自立です。
若者にとって難しいのは、他者との共感や連帯を意識できる機会や経験が少なく、社会的関係性を構築できないまま、自分の能力に自信を持てず、社会的にも認めてもらえず孤立しがちだからです。これまでもその孤独に耐え切れず、新興宗教や変な詐欺集団に救いを求める人や、職を得てもそこで応えきれず、引きこもる、あるいは精神を病んでしまう人も多くいて、社会問題とされてきました。

しかし考えようによっては希望も見えなくもありません。
モデルがない変換期は若者にとってもチャンスかもしれません。試行錯誤はむしろ若者に許された特権です。オンラインで色んな事やものが得られる時代になり、これまでの慣習にとらわれず新しいことが始めやすいことも意味しています。
コロナ禍で日本も、リモート勤務という壮大な社会実験が行われました。その実験から導かれた方向性はまだ出ていません。勤務で家に居なかった働き手が、家にいる時間が多くなるということは、住まいや家庭のあり様を見直すチャンスでもあります。その兆候とも思える、働き方や暮らし方の新しい現象が、ある共同(シェア) 別荘 や住まいの運営のあり様に一端を伺うことができます。
その報告と、そこから見える風景は次回以降、物語の進行に合わせて紹介しようと思います。

峠の我が家記事

1.峠の我が家物語 はじめに
2.峠の我が家物語 暮らしてみたい土地
3.峠の我が家物語 別荘づくりのいい加減な動機
4.峠の我が家物語4 島流し的移住