投稿者: 藤原昭夫

10年後の子供部屋の間仕切り

家を建てた当初は、子供部屋に間仕切り壁を作らないで、一つの大きな部屋にしておいて、子供の成長に合わせて間仕切り壁を作りましょうとすることが結設計では多いです。

その計画を実行する時が来ました。
10年前に設計した住宅の建主さんから、子供室を計画通り2つに仕切りたいとのご相談があり、間仕切りを作ることになりました。
そのほか2階デッキを広げたり、メンテナンスとして外壁と軒天の汚れの補修等も行いました。

この子供部屋の間仕切りは、ここ最近この都築の家のほかに2件ご要望が続きました。3件とも竣工後約10年です。10年経つと家族にも変化があるということですね。

都築の家 子供室|結設計
子供室のロフトベッド

元々天井が高い部分があったので、その天井高を有効活用して造付のロフトベッドにしました。ロフトベッドは、子供のころにだれでも一度は憧れるのではないでしょうか。
ベッドは、畳敷にしてあります。畳は何かすがすがしくてよいです。
意外と畳ベッドをご要望されることが多いですね。

2つの既存の可動式クローゼットを固定して間仕切り壁の一部にしました。お互いの部屋から使えるようにして、その隙間を収納棚に。
こうやって出来上がりを見ると、元々こういう形だったような気がしてくるほど、しっくりなじんでますね。

ピアノの裏が子供室です。左側の元々収納だったところを2つ目の子供部屋の入口に作り替えました。ピアノの上の欄間部分は、元は貫通していましたが、壁を作りプライバシーを確保しました。
壁は、左官壁です。既存部分と新しい壁との色が合わないことを心配していましたが、違和感がない仕上がりです。職人さんに感謝ですね。

間取図:左の間取りから右の間取りに変更。 既存の可動クローゼットを利用して間仕切り壁を作りました。

デッキは、6帖の広さだったものを7.5帖に広げました。
腰壁は、既存の小幅板がしっかりしていたので、そのまま使いました。デッキを広げた分の少しだけ小幅板を追加しました。
床は、グレーチングの上にデッキ材を張りました。金属のグレーチングよりも柔らかい印象になりました。
デッキ材は、杉で今まであまりデッキ材として使っていなかったのですが、耐久性があるものが出てきました。この杉材は、燻製することで耐久性があります。

正面の外壁は、白い漆喰壁なのですが、一部汚れがあったので汚れを除去しました。軒天の小幅板も塗装してきれいになりました。
やはり、きれいになるとうれしいですね。建主様にも満足していただけました。

竣工当時の写真は、設計事例「都築の家」でご覧ください。(加藤)


「建築知識2020年2月号」掲載

「建築知識2020年2月号」(エクスナレッジ出版)に、[職人不足に対応する合理的な新工法]としてFSU工法を取り上げていただきました。(P.087)

木造の在来工法に合理的な工法としてFSU工法を紹介する内容となっています。
書店で見かけたら是非手にとってご覧ください 。(加藤)



広い二階デッキスペースのある家の周辺

今工事監理で名古屋通いをしています。その現場近くにある名門のスケートリンクです。正面に掲げている写真やコーチらしき後姿をみればどこかお分かりですよね。入場するだけで300円徴収されました。近くには大須観音があります。

直ぐ上の写真はまっ平に見えますが、スケートリンクではありません。手摺壁とデッキを敷設する前の防水工事終了後の現場写真です。見えている大開口には敷地境界から5メートル以内ですので、ワイヤー入りガラスににしないといけないところですが、デッキスペースの右に見える手すりを壁を軒迄立ち上げ、防火壁にして、開口までの類焼距離を5メートル以上確保することで、ワイヤー入りガラスを免れるようにしました。

 


「大沢の家」アップ

設計事例に「大沢の家」を追加しました。
建築計画的にシビアな要素を随所に含んでいる住宅ですが、その辺の苦労の跡が露にならず普通にできたかに見える家です。

是非御覧ください。


釜石鵜住居ラクビー復興スタジアムの持つ意味2

釜石のラクビーには7連覇の歴史があり、それが市民の誇りでもあります。スタジアムは市民が育んできた町の象徴としての意味があります。

開通した三陸鉄道の鵜住居駅

もう一つ、最近開通した釜石宮古間の三陸鉄道の鵜住居駅も、乗客が少なくなっている今日意味あるのかという批判は少なくないようですが、単なる鉄道の駅としての意味よりやはり復興のシンボルとしての意味が強いように思われます。

スタジアムが建っている建設地は東日本大震災での釜石の軌跡と言われた、普段から写真の裏山を登って訓練してきた通りやることで全員津波から避難できた中学校の跡地に建っています。このことからも、釜石の象徴となることを運命づけられていたような気がします。このような象徴は作ろうとしても容易につくれるものではなく、それなりの歴史と人々の育む意識が作り出すものだということを教えられました。以前たわごとで言っていた、ネアンデルタール人が絶滅してホモ・サピエンスがまだ生き残っていている大きな理由は、万単位以上の人々を束ねる象徴生み出すことができたかどうかの違いであったとのことですから、復興スタジアムや鵜住居駅はそのような象徴としての意味を持つのだろうと思います。


釜石鵜住居ラグビー復興スタジアムの持つ意味1

木質諸室が鉄骨やぐらに装着される前の木製ルーバーのみのやぐらの写真

写真は釜石鵜住居復興ラクビースタジアムの木造諸室が鉄骨のやぐらの中に建築される前のものです。仮設の観覧席もまだできていません。上の写真の手前のエントランスの公衆トイレ棟は私たちの設計です。このスタジアム建設の前に、これまで三陸沿岸の宮古や山田町、大槌町の応急仮設住宅や集会場、KDDIの災害支援の一環のバス停の待合室やベンチの建築、数件の個人の再建住宅、森林組合事務所等々、復興のお手伝いをさせていただく機会をいただきました。

再建された個人住宅
釜石の町中のバス停の待合所

これらの建築に関わっていた時被災の跡がどんどん変わっていく途中で、ある意味何もないところに何かあるところにしていく作業でした。それがどこに行くのか分らず通っていたような気がします。まさに復興途中でした。


鵜住居復興ラクビースタジアム

ラクビーワールドカップの盛り上がりがすごい。日本代表の3連勝が大きい。釜石鵜住居復興スタジアムでも10月13日にナミビアとカナダ戦が行われます。正直、このスタジアムの建設に関わることになったとき、申し訳ないですがこれほど盛り上がるとは思っていませんでした。木質諸室やトイレ棟の設計に関わり始めたとき、サンウルフズは連戦連敗状態だったから、まして日本戦がない釜石まで客は来てくれのだろうか、と不安に思ったほどでした。過去のブログでも取り上げている鉄骨のやぐら棟だけのころは、このスタジアムにどのような意味が託されていたのか、自分にはまだよく分っていなかったようです。下の写真にある「やませ」という、スタジアムでも時々見られる、この三陸地方の夏特有の冷たい風がもたらす霧が自分の目の前にも立ちこめていたのかもしれません。上の写真のようにスタジアムの鉄骨のやぐら棟に木質諸室がまだ建築されていなかったようなものでした。次回からスタジアムに託されていたものがなんであったのか木質諸室が出来上がっていく過程を紹介しながら、数回に分けて説明しようかと思います。

海と山との間に生じる「やませ」という霧が漂っている鵜住居の海です。

 


10/1秋のセミナー「木と太陽の設計術」で講師をします

10月1日(火)に建築会館ホールで開催される、手の物語(有)主催のセミナーで結設計の藤原が講師をします。
Aブロックの「中規模木造がおもしろい」の中でFSU工法についてお話しします。ご興味がありましたら、ぜひご参加ください。

詳細は、下記リンクよりご確認ください。
参加申し込みも下記リンクからできます。


三ツ沢の家 内覧会のお知らせ

来る2019年8月31日(土)に建主様のご厚意により、「三ツ沢の家」をご案内する機会を頂きましたのでご案内いたします。

建物は、ロの字型の平屋建てです。建物の中心にある中庭を囲むように各部屋が配置されています。
構造は、耐震等級3を実現しています。

外壁の断熱を通気工法の外断熱とし、屋根は外断熱の上に通気層を設け、夏場の壁・屋根内の熱を逃がすようにしています。また、基礎蓄熱式暖冷房を入れており、家全体がほぼ同じ室温になるので、ヒートショックになりにくい家になっています。

なお、見学は予約制でご案内する人数は数組のみとさせていただきます。 ご興味のある方は、お問い合わせフォーム、またはメールにて、お名前・ご住所・ご連絡先・参加人数をご記入の上お申し込みください。
お申し込みをしていただいた方には追って詳細をご連絡致します。

■住所 :神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢南町
■日時 :2019年8月31日(土) 午前(11:00~12:00)
■最寄駅:横浜市営地下鉄ブルーライン「三ツ沢上町駅」 から徒歩5分程
■申し込み先
 お問い合わせフォーム
 e-mail: office@yui-sekkei.co.jp