新宿の都心にある病院にお見舞いに行く機会がありました。その部屋の大きな窓からは、普段下から眺めるだけの高層ビルの窓を同じ高さから眺めることができます。予想外にその距離が近く、オフィスビルで会議中のサラリーマンが見えたり、ホテルの客室の障子が半分空いている様子が見えたりします。味気なくてあまり居心地が良くない病室にいると、普段は何気なく見過ごす風景からも、あれこれ想像してしまうものです。真正面には村野藤吾設計の新宿ワシントンホテルが見えます(写真は近景)。朝日や西日を受けてヌメヌメと輝き、また夜は小さな窓から光がポツポツと浮かんでいる様子は、ぞっとする感じの美しさで、都庁よりもヒルトンよりも惹かれるものがありました。以前宿泊した時は、その窓の小ささに息苦しさしか感じられませんでしたが、あれだけ美しいフォルムのためならば、極端に小さい開口部も、新宿という眠らない街に対する割り切りなんだと、妙に納得できるのでした。(青島)
月: 2007年2月
落葉樹
当たり前のもの
なぜ白い?
先日フジテレビの新スタジオ見学(1/29の記事参照)でお台場に行きました。その際に東京テレポート駅で見つけたお台場土産のインパクトは見学したスタジオに勝るとも劣らない物がありました。写真の品は、ご存知の方も多いでしょうが北海道土産の定番「白い恋人」へのリスペクト溢れる逸品です。誠に残念ながら時間も無く購入には踏み切れませんでした。他にも色々凄い物がありましたのでお台場に出向いた際には是非お試し下さい。(柳本)
市川市の家
普段より2日遅れですが結設計のホームページを更新しました。
設計事例に「市川の家」を追加しました。
市川の住宅地に建つ子世帯と親世帯の2世帯住宅です。周囲に住宅が建て込んでいる旗竿敷地で、プライバシーを確保しつつ光を採り入れることが設計のポイントになりました。特に南側に敷地境界に迫る様に住宅が建っているので元々建っていた住宅は暗い家になっていました。ですから、建主さんからの要望で一番大きかったのは、とにかく明るい家にして欲しいということでした。
是非ご覧下さい。
陽気に誘われて
春霞?
時間は思うようにはならない
先週末、土日とも朝が早出でかつなぜか夜も遅めだった。今日こそ早めに帰って寝ようと思っていたが又事務所を出るのが10時半になってしまった。
ある住宅の実施設計の暖房機器の設置方法と位置がどうも具合悪い。いい案が見つからないまま他の住宅の打ち合わせとなってしまった。それが終わって先週上棟を終えた住宅の各機器や素材の色提案の検討を始めたが思いのほか時間がかかってしまった。軒先の鼻隠し(先端の板)の色と耐久性保持塗料をどうするか、電気のメーターの位置が予定していたところにどうもつけられない、照明の一部光源が目に入ってしまう、ベランダの手すり壁の色がどうもこのままだと浮いてしまう等など気になることが色々続出し、予定を2時間以上読み間違えた。帰りの電車の中でこれも来週提案予定の基本設計を吟味しているうちに駅についてしまった。夕飯はスープ程度にしておかないと又胃の調子を崩しそうだ。ブログの書き込み時刻まで翌日になってしまった。仕事は苦にならないがどうも時間と体の関係があまり仲良くならない。こんな日のブログは愚痴になり、疲れも明日に持ち越しそうだ。さっさと寝よう。藤原
ちゃ
ボソボソの枯れたような葉っぱから染み出てくるお茶・・・。苦いので苦手!?だったお茶・・・。特に抹茶はドロッとしかも粉っぽく、ウルトラマン怪獣の血の様に思えて飲む気がしませんでしたが今では好んで飲むようになりました。学生時代に数奇屋や茶室について興味を持ったことも影響しているのですが、勤めていた会社の茶道部に半強制的に入部した事がきっかけになった様です。先生は社長のご母堂様という事もあり、道具類はお高い(らしい)物ばかり、振舞われるお茶は至極高級なお抹茶だったようです。緊張で苦さなど感じなかった事も手伝って、初めて”おいしい抹茶”を口にした私は急に抹茶が飲めるようになりました。当時抹茶アイスクリームも食べなかった私にとっては革命的な事です。残念ながら勤務地移動で茶道部は4ヶ月で退部という事になりましたが、京都・鎌倉など古都に遊びに行っては抹茶パフェなど頼んでみたり、生活にひとつの楽しみを増やしてくれた茶道部(と先生)に感謝です。しかも”あるある大辞典”でも何度も採り上げていたので健康にも良い筈です!?(石井)
四季
通勤途中で今年初めて見た紅梅です。裸ん坊の樹々(それはそれで良さがあります)の町並みに紅一点、色鮮やかに咲いていました。寒い、眠い、アレヤ、コレヤ・・・とぼやきながら自転車に乗っていましたが、急に、今年の桜はどこでみようか、とか、アジサイ寺混んでたなあ、とか、百日紅の頃は陽射しがジリジリしてた、とか、一番寒いこの時期にも関わらず半年後の季節にまで思いを巡らせて、ついには、四季があって良かったなあ!と嬉しくなってしまいました。日々の雑事に追われ時間を消費している感覚に気持ちが鬱屈しそうになっていましたが、何か特別なことをしなくても、四季の移り変わりを見付け忘れていた感覚を思い出すだけで、気持ちに軽くなり余裕ができるものです。(青島)