投稿者: 藤原昭夫

新型コロナウイルスで考えたこと4「別荘の見直し」

新型コロナの感染を避けるためアメリカの富裕層が別荘地で過ごしている様子がテレビで報道されていました。

確かに人との接触を避けるためにも、都会より郊外の別荘の方がなにかといいのかも知れません。報道では富裕層の別荘が取り上げられていましたが、何も富裕層でなくても今は誰でも別荘を持てる時代であることに気がついてない方が多いようです。

昨年、将来移住して住むことを前提とした別荘を建てる方のお手伝いを、敷地探しからさせていただきました。土地探しで、別荘地の土地を数十カ所を見て回りました。
多くの土地を見て歩いたのは土地が少ないからではなく、理想の土地を求めたからでした。

それでわかったのですが、今別荘地で土地だけをお持ちの方はバブルの頃に買い求めた方で、手放したくても購入してくれる方がいなくて困っている状況でした。

今どき別荘を求める方は、中古別荘を購入してリフォームする方ばかりで、土地だけを求める方が殆どいない状況とのことでした。

そのため、土地だけでは売れず、土地価格が驚くほど安くなっていました。
売りたい方によっては、売れないなら、借地にして固定資産税分が賄えるだけの借地料でも入ればよいという方もいました。

そういった状況なので土地を安価に借りれて、かんたんに移築できるミニ別荘があれば、比較的気楽にお金をあまりかけないでも別荘を持てるのではないかと考えました。

「建てる場所を失敗したなぁ」と、思っても移築すればよいのです。

例えば、現在は駅近くなどの賃貸マンションにお住まいの方でも、
車で30分程度の距離やもっと遠いところでも、
気軽に借地や庭先に容易に建てられて、
数年使ってみて、
借地を返してよその土地に簡単に移築できる、
そんな簡易ミニ別荘(オフィスも可能)はありえるのでは?

そんなことで、建物の安価な部材キット提供するお手伝いをしています。(藤原)


新型コロナで考えたこと3「人と人のつながりが蝕まれる危機」

 

世界中に新型コロナウイルスがはびこってきました。イタリアでの新型コロナの影響が厳しい頃、ボローニア在住の日本人の中村英明さんの報告記事が毎日新聞に載っていました。

そこでは今、頬をふれハグし合う日常的な挨拶をやめるよう政府が求めるようになり、人と人のつながりを大事にする、連帯や共感あるいは分かち合いというような意味合いを表す「ソリダリエタ」という、多様性と開かれた風土を守ろうとする価値観が揺すぶられていることを嘆いていました。

確かにこの新型コロナによって、生物としてのヒトだけでなく、人と人のつながりで成り立つ社会が蝕まれる危機に、イタリアだけでなく世界中が直面させられているのかもしれません。(藤原)


新型コロナで考えたこと2「アウトドアの効用」

今朝は滅多にないことですが、下り方向の道路がかなり渋滞していました。
新型コロナで三連休を家で過ごすのは耐えられず、山間地のオートキャンプ場を目指した家族連れと思われます。今後しばらくは人との接触を避けざるをえず、自宅だけでは飽きるので、自然の中のキャンプや別荘等のアウトドアが益々盛んになるのかもしれません。

これは子供たちにとって、スマホや店で欲しいものを見つけて反応するだけの、受け身的選択の多い日々に、自然の中のなかでの遊びが多くなり、いいことかもしれません。用意された仕掛けではなく、自然の中で粘土や土をこねくり回し、草木を自らの工夫で楽しいものや欲しいものに変えていく遊びからは、物事には選択だけなく、自らの工夫で変えることができる、つまり可塑性がある、ということを学び、自主的な集中力を生じさせるいい機会になりそうです。

これは脳の中の知性のフレームも可塑的に豊かに発達させるらしいです。しかし、スーパーのバーベキューの惣菜セットなどを購入して済ますだけでは、やはり選択だけの日常と変わりなく、可塑性が育つか疑問ですが。

この可塑性の認識は設計者の創造力にとても重要です。
今日の建築は既製品の活用が多く、その選択に迫られながら物事を決めていきます。しかし選択だけでは単なるコーディネーターの域を出ず、どこにでもあるような建築になってしまい、そこでの条件に最適な解答とは言えず、どこか不都合な面が残り、次善の策になりかねません。

色々な観点から適切で整ったものにしようとすると、選択だけでなく、選択肢も含めその時の条件に最適化するため加工が必要になります。そのような加工は選ぶだけでなく、加工できる要素がないか、どう変えられるかという想像力が必要です。それを育むのが、選択肢だけに囚われず、条件の中での理想を求める思考と物事を可塑的に捉える視点です。

このような想像力は子供達が生きていく上で、想定外の事態になった時、その困難を克服するための創造力にも通じるのではないかと思います。(藤原)


新型コロナ感染症社会とヒュッゲな時空間

 新型コロナ感染症対応で、誰もが自宅で過ごさざるを得なく、世の中何となく閉塞感が漂い始めている気がします。どうせ自宅にいる時間が多くなるなら、これを機会に、住まいを気持ちよく過ごせる時空間にする工夫を考えてみてはどうでしょうか。その参考にデンマークの「ヒュッゲ(hygge)」を紹介します。下の文は数年前に書き留めたものですが、当時、世の中の景気が横ばいと言われながらも、旅行ブームであり、インバウンドの海外旅行客がどんどん増加し、若いファミリーはキャンプなどのアウトドア指向が盛んでしたので、住まいにじっとしている雰囲気ではなさそうで、下書きにとどめていました。

 幸せや幸福などという言葉は、安易に口にしたくないのですが、今回はデンマークの「ヒュッゲ」という言葉に出会い、住宅設計の究極の目的はまさにこれではないかという気がして、取り上げたいと思います。

 デンマークは「世界で最も幸せな国」と思っている国民の多さのランキングで上位の常連で、殆どの年が一位のようです。その理由は色々あるでしょうが、特に大事にしているのが、「ヒュッゲ」という単語の価値観で、和訳すると「居心地がいい時間や空間」という意味とのことで、「満ち足りること」というノルウエー語に由来する価値観から来るそうです。

 北欧、特にデンマークでは暗くて寒い冬が長期間続き、その上一年の約半分は雨の日で、「ヒュッゲ」な状態を意識して作らざるを得ないから生まれた価値観ではないかと思います。デンマークではその価値観は家に現れ、自宅を「ヒュッゲ」にするためのお金と労力は惜しまないようです。

 デンマーク人に「ヒュッゲ」と聞いて何を思い浮かべるかと聞くと約85%の方は、「キャンドル」と答え、場所はと聞くと7割は「家」と答えるそうです。「ヒュッゲ」を作る一番の近道はキャンドルを灯すことで、一人当たりの消費量が世界で一番多く、年間消費量は6kgで二番目のオーストリアの3.16kgをはるかに凌ぐようです。但し、人工的アロマキャンドルはあまり人気がなく、自然なオーガニック製品を好むようです。それもあって、照明には強いこだわりを持っていて、製品をじっくり選び、考え抜いて配置し、柔らかな陽だまりのような空間を作り出そうと、色温度は低く(暗く)し、「ヒュッゲ」の度合いを高めようとするそうです。

 毎年10月から3月まで自然の光を浴びることのない、暗くて寒い冬の土地なら当然かもしれません。その分太陽が帰ってくる、春や短い夏の喜びはひとしおでしょう。このような自然をどうにかしたいと生まれた対処法が「ヒュッゲ」のようです。日本の寒い地方の「こたつ」と通じるものがあるのでしょうか。

 当然どこの家の中も、こだわりのあるインテリアで、考え抜かれた空間にし、暖炉や薪ストーブがあり、木製品、陶磁器、ビンテージ家具、ブランケット、・・・と装備品もこだわった品々が選び抜かれてあることは想像できます。

蓄熱基礎暖房の熱源にもなっている薪ストーブのある男の工作室

 「ヒュッゲ」について語る中、社会や他者との関わり方にも見逃せない点があるような気がします。ヨーロッパでは、平均して週一回は友人や同僚及び家族と交流するといいます。その割合は欧州全体では60%ほどですが、デンマークでは78%に上るといいます。その交流を他国では、カフェやレストラン、パブですることが多い中、デンマークでは、こだわった家がその中心のようです。

 「ヒュッゲ」な空間は一人でも楽しめるのでしょうが、親しい友人や家族といった小さな集まりの交流の中から生まれてくる、と捉えているようです。「ヒュッゲ」な空間では、打ち解けた雰囲気の中にも、気配りがあり、自分が主役になろうと、長々と会話を支配する人はなく、もちろん人の話の腰を折ることや、無視して他の人と勝手な会話するなどのマナー違反はないでしょう。平等主義を大切にし、ホスト一人だけキッチンに籠るでなく、皆で分担し合い、よりヒュッゲらしくしようするそうです。

 家も、人に見せたくなるような空間にしたいでしょうから、訪れた人もまた来たくなるような魅力ある空間にできるかどうかなど、設計者にも「ヒュッゲ」を生み出すことに協力できる要素は少なくないようです。

 

 住まいに共感される個性と美しさがあれば、人を呼びたくなるでしょう。来てくれる人がいれば、片付けて綺麗にしようと思い、それも片付け易い収納が家の各箇所に自然に目立たず備わった設計になら、苦になりません。片付け易ければ人を呼ぶことに抵抗がなく、来た人も片付いて綺麗で魅力的な空間ならまた訪れたくなります。どんどん良い方向へのスパイラルが生まれます。設計者には重要な役割があると言えそうです。

高木と空の見える高窓

 「ヒュッゲ」の鍵は「人と一緒にいることや社会とのつながりが人の幸せの本質である」という考えにあるそうです。幸福を研究する世界中の研究者では、小ぢんまりした親しい人の集まった状態が「オキシトシン」というホルモンを分泌し、敵対心を和らげ、社会的繫がりを求め、幸福と感じさせる、というのが共通見解のようです。

 

最近のフェイスブックやラインなどSNSの隆盛にもそれが見て取れます。都会の中や電車などでは、多くの人と一緒にいるようでいて、関係性がなく、幸福感を得にくいところがあります。それがSNSで自分を公開表現し、それを見て分ってくれる人の存在を確認することで、細やかな幸福感と社会と繋がった感が得られ、それを求める心情がSNSの隆盛を引き起こすのかもしれません。

蔦の影が映る障子
蔦の影が映る障子

 建築の雰囲気を洋風などと、一言で表現するようなところがありますが、幸福を得る「ヒュッゲ」という様相は、イギリスやフランス、あるいはドイツなどの欧州の主流とも違い、また的確な自己主張を必要とするアメリカや、楽天的なイタリアなどのラテン系の国々とも違う気がします。

 人口減少で右肩上がりの経済が期待できないこれからの日本社会が、幸福であるためには、日常的な営みの中に、「心地よい時間と空間」を見出していく「ヒュッゲ」が極めて参考になりそうです。なぜなら、日本にも本来「足るを知る」という格言があり、かつて時間的余裕のあった時代には、ひな祭り、端午の節句、花見、お月見、正月、七五三、お盆、あるいは各地のお祭り等々の「年中行事」がありました。日常という代り映えしない褻(け)の時間に、ほんの少し晴れの時間や空間を演出し、生活の中に喜びを見出す手法があったことを考えると、素養は備わっていると思われるからです。それが生産性の偏重から忙しくなってくるにつれ、形式化し、厄介になり、歓びを見いだすどころではなくなった感があります。

玄関に設けた床の間
玄関床の間

 しかしすでに若い家族の方達には、その価値観が変化した形で育っていて、経済成長や出世競争などに狂奔する野心を冷ややかに見る視点があり、ささやかでよいから、日常の新たな「心地よい時間と空間」を求める生活をすでに実践している観が見受けられます。しかし残念ながら日本の居住環境は貧しいのか、あるいはさほど寒くないせいか、酷寒の北欧ほど充実せず、住まいにそれを求めず、自然の豊かなアウトドアに求める傾向がある気がします。

 

 これは、「ヒュッゲ」のような「心地よい時間と空間」を家に求めるほど「ヒュッゲ」に重きを置こうとする自覚まではなく、文化としての市民権まで育ってないだけのように見えます。現実にこの半世紀の日本では、各個人に時間的余裕がなく、年配の男性は特に「ヒュッゲ」のような傾向はありませんでした。今後雇用が改善され、時間的余裕が増すにつれ、そのような価値観を求める傾向は、若い人達から、ますます強くなっていくような気がします。

居間の外にあるアウトドア
二階アウトドアリビングデッキ

 このようなヒュッゲを創出する舞台としての住まいづくりは、国や地域で気候や風土も異なり、表情に違いは当然あるでしょうが、住宅を設計する際の究極の目的であることには変わりはない気がします。今後「ヒュッゲ」という価値観を意識して、設計を進めたいと思います。

 コロナ感染症対策で、自宅で過ごす時間が多くなるなら、逆手にとって、住まいで過ごす時空間を「ヒュッゲ」な価値観で満たす工夫をしてみませんか。(藤原)


建築工事でのお茶出し

 

事中のお茶出しどうすべきか建築工事が始まる時、建主としては、年配の方は特に、職人さんへのお茶出しを気にされ方が少なくありません。しかしながら昔と違って最近は、建主さんが近くにいないケースが多く、職人さんもなくて当たり前と、殆ど気にしていません。近くの現場であっても、気にする必要は全くありません。住宅程度の普通の現場では、午前10時と午後3時に職人さんたちは声を掛け合って10~15分程休憩をとります。その時現場監督がいる場合、監督によっては自販機のペットボトルのお茶や缶コーヒー等、配ったりすることもあるようです。あるいは、自分らで買いに行ったりすることもあるようです。建築主としては、あまり気にせず、せいぜい現場を見に行く時に、ペットボトルのお茶等を持って行く程度でいいかと思います。


駅のホーム天井が木造架構で作られていた。

 現場に普段と異なる経路の電車で行く途中の乗り換え駅の写真です。これまでは防火上木材をこのように使えませんでしたが法改正で、工夫次第でこのように使うことも可能になってきました。何処の駅か分かりますか?

これも同じ駅の別の線のホームの写真です。鉄骨造に幕天井を張ったものです。光の透過性があり軽いので全面に覆い被せています。

建築的に意欲的な駅であることが伺えます。設計者には興味がつきません。

木造の場合透光性がないから線路までは覆っていません。駅名は旗の台です。(藤原)


仏式の地鎮祭

聖域の北側に位置して読経している

仏式での地鎮祭です。自分の経験では3度ほどしかありません。敷地の中央部に4本の竹立てしめ縄で聖域を設定するところは神式と同じでした。しめ縄に垂らす紙垂(しで)の形状が少し異なるようです。宮沢賢治の説ではしめ縄の縄は雲を、垂らす藁は雨を、紙垂は雷を表し、豊作を願うとのことです。4か所の竹の傍と中央に穴を掘り、金色の金物を呪文唱えながら置き、読経が始まりました。建築関係者はその読経を後ろで聞いているだけでした。読経が終わると、地鎮祭も終わりです。(藤原)


桜切るバカ梅切らぬバカ

枝を切られた現場脇の桜の木

今回の敷地は狭い一角に建てざるを得なく、残しておきたい桜の木の大きな枝に建物が当たるので、やむを得ず、その枝を、時期を見て庭師さんに切っていただきました。桜切るバカと言われるだけに、春に今後も素晴らしい花を咲かせるのか心配です。(藤原)


崖や擁壁のある敷地の計画、県条例に注意

上の写真は友人宅の隣の敷地の山が崩れて、仮処置してもらったものです。どこの都道府県でも建築基準法とは別に崖地条例が制定されています。崖の落差が2m超えている場合、その落差に合わせて、ある範囲内に建てる木造建築では、敷地外でも、敷地の上方でも下方でも、必要処置が条例で決められています。

※がけ地近くの敷地に対する制限等は、その土地がある都道府県の「がけ条例」によります。
(各自治体のホームページを参照してください)

上の写真のように、敷地の上に擁壁がある場合、その擁壁が安全であることを証明する必要があります。下の写真のように擁壁がない場合、都道府県で多少異なりますが、崖上の高い所から、高さの2倍ほどの距離を設けた範囲に建物を計画にするか、または崩れて当たる建築部分を鉄筋コンクリート造にするか、安全性を証明できる擁壁を設けるか、崩落への何らかの対策をするように決められています。

上の写真のように、崖の上の敷地の場合は崖下から落差の1.5倍の距離内に建てる場合、崖下から30度の仰角の範囲内の地中まで、基礎または杭を設けるなど、土が崩れても建てた建物が影響されない対策をとる必要があります。

上の写真は、開発行為で擁壁を設置して売り出した分譲地です。開発行為の検査で安全を確認できた場合、その許可書を添付して建築確認を申請するるので、問題になりません。(設計事例・聖蹟桜ヶ丘の家)擁壁の下に建てた住宅が、上の道路部分から見ると下の写真のように平屋建てに見えますが・・・・

崖下の道路からはこのように二階建てです。

 だいぶ前にできた擁壁の場合、図面と構造計算書、それと完成検査済み書があれば安全性の証明になりますが、それのない、あるいは下の大谷石のような擁壁の場合、証明できないことが多く、計画と予算の修正を迫られることになります。

今、この擁壁の上の敷地に、擁壁に荷重を掛けず、かつ擁壁の上に1.5mほど迫出した木造の住宅を工事中です。

下の写真は敷地内にあった擁壁の手前に地下勝手口を設けて、高い敷地の基礎底版を跳ね出し、擁壁を跨いで地下室の天井スラブとした住宅です。一階のコーナー窓の下の跳ね出しスラブの下の階段とその向こうのコンクリート壁は元々あった擁壁です。二階建て部分の向こうの隠れて見えない所にも同じ元々の擁壁があります。擁壁をやり替えると開発行為にかかって許可に時間と費用を要するので、それを建築に回した事例です。(設計事例・永山の家) (藤原)

永山の家
永山の家
崖上桜の家
崖上桜の家 二段組大谷石擁壁の崖上に建つ家
善福寺の家
善福寺の家 道路から2mほど高い敷地
つくし野の家
つくし野の家 道路面から2~3m高い擁壁のある敷地に建つ住宅
崖下に平屋を建築中
崖下の家 崖と道路に挟まれた細長い敷地に平屋を建築中。平屋建ての住宅の裏側が崖になっている。

 


近所でみた5層建ての住宅

散歩で少し遠くまで歩いていたら、郊外のさほど建て込んでいない住宅地に、住居にしては5層建てと高く、事務所にしては遠くからのせいか塔状に見え、各階の面積が狭いのではと見え、何かよくわからない建物があり、つい外観写真を撮ってしまいました。近くまで行き、表札を見たら住宅でした。一種の塔状住宅のようです。多分住居兼事務所ではないかと思われます。エレベーターは付いているだろうか、部屋割りをどう構成しているのか、と興味をそそる、個性的な建物でした。(藤原)