グーグルマップを使って、結設計の過去20年の設計案件を中心にその位置を地図に落としてみました。

こうしてみると、岩手県から広島県まで、設計した案件があることが一目でわかります。
関東地方を中心に案件数が多いですが、岩手県や長野県、静岡県など集中している地域がありますね。
岩手県は、FSU工法を使った東日本大震災後の復興住宅を多く設計した地域です。
長野県や静岡県の伊豆は、特に別荘と移住の案件が多いです。
情熱を注いで建て、大事にしてきた住まいも、社会事情で売却を考える時が来る場合があります。その時の注意に、日本の中古住宅市場は、希望価格で売りに出しても、数カ月経って、仲介事業者の善意からでしょうが、その価格ではに売れそうにないけどどうしますか、と値下げを迫られ、建物の個性関係なく、通常査定の築年数で価格設定される場合がよくあります。それは建て主だけでなく設計者としても耐え難いものです。そんな流れに掉さし、建物を専門の設計者の立場から個別に価値評価され、それを気に入ってくれる方に、その度合いに合わせた価格で買って頂き、価値ある建築が安易に解体されず、引き継がれていく文化を大事にしたい方のために、建築ヴィンテージ化の支援をしています。
ヴィンテージ化を考えさせる、流通業界の構造背景
中古建物の評価は建築の本質的価値からではなく、経済的流動性が評価基準になっています。今日、家の古さは、仲介不動産の査定では減価償却の観点から、マイナスに評価され、売主さんが注文を付けない限り、20年ぐらいでゼロ評価されがちです。そのため市場では価値ある古い家も、建築価値は雀の涙ほどに査定され、殆ど土地価格で売りに出される場合が多いです。その背景に、仲介者は自社の情報網だけで購入者を探しと、売買価格の6%の手数料が入り、他の仲介者からの紹介だと、3%になります。できる限り自社の情報網だけで探しだそうとします。希望価格が高いと、数カ月探したけど、その価格では売れないかったけどどうしますか、と暗に値下げを促します。価格が下がると手数料も下がるので下げたくないけど、売れるためには仕方ないと、結局売値を下げることなります。その上で早く売却するために、という理由で知っている建築事業者に売却します。建築事業者は安く購入できれば、既存建物を解体廃棄の上、新築の建売物件にしますが、購入資金を早く回収したい場合、リフォームをした上でリノベーション物件として、その仲介者に新築の相場よりわずかに安い価格で、再度売りに出します。建築事業者はリスクを負って資金投入するので、早く回収しようと、売れなければやはり、値下げしてでも売ってしまいします。結果、仲介(流通)事業者は同じ物件で手数料を二回分の12%を得ることが可能な収益構造のビジネスモデルで運営していることになります。この手法はマンションの中古販売でもよくあることで、仲介者でない人までその収益構造に素人のママ友紹介者として介在し、その流通構造のなかでビジネス化されている状況です
リフォーム工事も、漏水対策と新しく見せるための対処はしますが、見えない断熱や気密遮音及び構造や対候性能等の向上は、販売価格を上げて売りにくくするだけなので、新築のように厳密な法的チェックは入る訳でもなく、またそれを気にする者も注視する者もいませんから、仲介者のいうがままの収益構造に乘るしかありません。このように各業界はその業界なりに、資本主義社会の法には触れない範囲で工夫し、何とか市場で収益を出そうとしているだけで、どこにも悪い人はいません。しかし、この背景構造が、古い残したい良い建築は消されるか、見えるところだけ新しく見せ、本質的建築の中身はなおざなりにされ、建物や社会を望ましくない,寂しい方向に導く作用をしています。いい建築創りに関わった、或いは関わりたいと思う建築従事者の努力は今の世の流通事情だからと諦め、事業者の収益が優先する構造に気づかず放置することは、設計者としてはあまりに情けなく、抗い、中古建物といえども建築的価値の高い建物は残していくための支援はしていきたいと思います。
そのために、売却しようとされる方は下記のことを注意して進めるようにしてください。
詳しいことはメール等でお尋ねください。
事業化の経緯はブログ「地域に馴染んだ建物が解体され一念発起 |」を参照ください。
以下、築年数関係なく建築当時の工事価格前後で売却できた私どもの設計事例
これら以外にもいくつかあると予想されますが、関係者より情報あった建物のみ掲載しています。
高価に売却する方には私どもは次のようなことを心掛けて頂いています。
結設計 設計事例に「流麗舎」-四角い中に柔らかな流れある家-を追加しました。
千葉県の住宅地に建つ単一家族の家です。 道路側以外の三方は隣家があり、陽光と、プライバシー確保のため、2階に居間食堂を設け、1階から2階に誘うようにやわらかい曲面の櫛引左官壁にしています。1階 庭と2階デッキは、木製の目隠し塀で囲い、中庭のようにプライバシーを確保した快適な外部空間とし、室内と一体化した広がりのある空間となっています。
是非ご覧ください。
最近、自宅の目の前で、地域に馴染むよう配慮し、よく考えられた建築が解体廃棄されました。
三階建ても可能な地域ですが、周囲の二階建ての意向に配慮し、一部を地下に埋め、地下一階地上二階建てとし、中庭に上の写真のようなサンクガーデンを設けて、そこから地下居室の採光を確保し、そこに桜の樹を植えて、三十年ほどかけて大樹に育て上げました。
道路際には上の写真のようにサツキ等の生垣の花壇や防犯灯にもなる低い庭園灯を配し、快適な周辺環境の形成に貢献してきた、鉄筋コンクリート造の社員寮でした。事情があって売りに出されたその寮と土地を、購入したマンション事業者が、その建物の地域的価値と意味を、十分理解せず、活用の検討もしないまま、その建物が築き上げた、周辺環境の価値向上をいいことに、ここなら三階建てマンションでも売れると踏んだようです。この夏、猛暑でも窓を開けられないほどの振動と騒音を半年以上まき散らし、解体処分されてしまいました。
自分も仕事柄共同住宅は何棟も設計させて頂き、人様にとやかく言う立場にありません。
でも今回のマンション事業の近隣説明用の計画書によると、資本主義社会の論理そのままに、これまで育て上げた地域の共有資産(コモン)や文脈に配慮した様子は見えず、法に抵触しない限り、目一ぱいに広く大きく建てて、最大収益を得たら、あとは買った住人の組合の責任として引渡し、新たな組合はその土地の過去の潤いを知る由もなく、法的に許容される権利の範囲で生活していくことになります。
このような文化的引き継ぎなく管理者が替わることで、誰も悪い人はいないまま、地域の良かった共有資産は途絶えていく、今日の資本主義の文化の中で、私たちは生きていることを改めて意識させられました。
かつて自分が計画した共同住宅の場合、木造密集地域の不燃化や福祉施設併用、或いは管理するオーナーがいる等、それなりに既存環境や周辺価値向上に繋がるよう、面的かつ時間的文脈を読んで建ててきたつもりです。この寮の解体のように、地域資産としての既存建物を、活用の工夫をせず、発想の乏しいまま、短いスパンの経済性だけで、よく考えられた建築があまりに安易に解体廃棄される状況は寂しい想いがします。
確かに上の写真の廃屋のように、空き家が住環境を脅かしているケースも少なくなく、残せばよいというつもりはありません。(鎌倉の土地探しからの家づくりで 何を支援したか )
しかし近隣の快適な住環境の形成に貢献していた、馴染み深い建築までもが、社会的価値が無視され経済的損得勘定だけで、安直に解体廃棄され、消えていく日本の文化は気になります。
環境負荷の面からも、鉄筋コンクリート造は、建築時だけでもCO2の排出等で環境負荷を増大させ、解体時でも在来木造の比ではない環境負荷を与えます。RC構造で建てたなら、少なくても100年以上活用すべきです。それができないなら、環境負荷的に鉄筋コンクリート造の建築は考えものです。
このように安易に建物が解体されてしまう原因は、既存建物の価格が減価償却の考え方に則って、安く売却されてしまうからです。既存の建物の個性や良し悪しは算定されず、築年数だけが価格査定の基本になると、転売する時の仲介事業者も、融資を行うローン会社も建築の作り手の専門家ではないため、個の善し悪しが判断できず、築年数以上の評価ができないと思われます。売りを急ぐ方だと、建築後十数年の建物価値は二束三文にしかなりませんよ、と言われ、安く売ることになり、解体して新築する人の数を多くしてしまいます。
一方で、上の写真のように、22年前に設計させていただいた住宅を、ご主人がすでに亡くなり、奥様も施設で暮らすようになっているのに、毎月、家の中の空気を入れ替えのため、奥様か息子さんが通って、大事にされている方もいらっしゃいます。
先日その家の軒先の相談で見に行き、話し合いの上、近くの工務店さんに対処をお願いしました。
帰り際、暗くなりかけてましたが、久しぶりに内部も拝見しました。とても二十年以上経っていると思えないほどきれいな使い方をされていました。
でも、このように大事にされている建物もいつかは手放す時が来るかもしれません。その時、仲介事業者に築年数が二十年過ぎているので、建物価格は殆どゼロで、土地代だけです、むしろ解体した方が早く売れますよ、などと言われることを想像すると、設計者としては忍び難く、耐えられません。
しかし転売する建物を、専門家がその良さや性能を分かり易く説明し、良さに見合った価格で提案することで、購入希望者がその価格でも欲しいとなった場合、購入資金があるか、ローン会社が必要な資金融資をするなら、築年数に限らず、その建物の良し悪しで売却は可能です。具体的に、築後20年ほど経った、築年数だけならゼロ査定されるはずの、私どもの設計事例の住宅が、建築時の工事費以上の価格で売却できたケースがいくつもあります。昨年売却されたその一つが下の写真です。
そこで微力ながら、既存建物を安易に解体して新築しようとする文化と、築年数で価格決定される傾向に抵抗して、できるだけ建物の特徴や個性を、日々設計している専門家として顕在化することで、その建物が高く評価され、高く売れるためのお手伝いをすべきと考えました。
私どもの設計した建物は最後まで見守る意味から当然ですが、他の建物でも大事にしてきた建物なら、売却の必要が出たとき、安く買われて解体されないよう、その建物の良さを顕在化し、それに見合った価格で売却できるようにする支援です。
もし購入者が魅力を感じなさそうな場合は購入者が喜びそうな見せ方や改修を提案し、少しでも高く買って頂くための助言もできればと思います。
近々具体的支援内容を発表します。 (藤原)
設計事例に「鎌倉”借景”の家」を追加しました。
鎌倉にある 高低差がある土地 に建つ住宅です。
複雑な敷地状況を克服し、建てることが出来ました。
是非ご覧ください。
この建物計画の土地探しから完成するまでの経緯等の詳細については、ブログ記事の
『鎌倉山の土地探しからの家づくり 何を支援したか)』
に記載していますので、そちらもご参照ください。
注文住宅には多様な創られ方があります。メーカー住宅、自由設計という名の建売住宅、パワービルダー、工務店、建築家(専業設計者)、等々多様な作り手がいます。
先日、他物件の引渡しに、建て主さんに、どんな家づくりの仕方があり、どんな特性があり、何をしてくれるのか、最初は殆ど分からない。特に専業設計事務所が分かりにくく、色々あるけど、具体的な違いが分かりにくく、引渡し受けて初めて他との違いが分かった、と言われました。確かに各段階で生じる障害(難所)があり、”しかたがない゛、と諦めることの多い家づくりの中で、諦めるのではなく、活路を探し出そうとするか、あるいは自分に合った選択を見出そうとしないかぎり、理解できないかもしれません。私たちが提供する価値は、その活路の可能性があるかぎり、それを見出そうすることへの支援で、その諦めのなさにあり、それを当然の作業と捉えています。その事例を「難所越えサポート」と称してどんなことか説明してみます。
自宅を建てる若い夫婦が、土地を探していて、自分らだけでは決めかねるので、一緒に見てくれないかと相談がありました。逗子、葉山、鎌倉あたりで、予算が少ないので多少難があっても安い土地を探したいとのことで、同道しながら目ぼしい候補地の長所と難点、コストパフォーマンス等アドバイスをしながら見て歩きました。その一つが下の写真で、葉山の土地です。
その土地に建てるとして考えられる計画案を二案提示し、満足できるか検討しました。この土地は北と西の二面の道路に接していて、駐車や出入りには有利に働き、その方向への開放性は、北と西と限定的ながら、ありました。問題は、住まいを建てたい場所が敷地の東南の角部分になり、その真南と真東に総二階建てが近接して建っています。そのため一階部分はもちろん、二階部分にも冬の陽ざしは期待でません。建て主も日差しは諦め、北側の道路向こうへの眺望に期待していました。
その他この土地で設計者が気づいたのは、北西隣の隣家の敷地が1m程低くなっていることで、そのためこちらの二階の北西方向の窓からは、隣家の屋根越しの見晴らしが期待できるのではないかということです。二案ともその辺りを考慮して間取りを提示し、検討しましたが、今一つ踏み切れずにいました。
そんな時、鎌倉で、魅力的な土地があるということで見に行ったのが下の写真で最終的に決めた、廃屋の建っている土地です。
建てる前の敷地は道路レベルに1台分の地下車庫があり、そこから2.5m高い地盤に外階段で上り、そこに二階建ての廃屋が建っている土地でした。高い地盤のためか価格も相場よりだいぶ安く、うまく建てられれば眺めの良い住宅ができると思われました。問題は、前面道路が私道で幅4mなく80㎝程セットバックが必要で、その部分に外階段があり、かつ私道が公道より1m弱上り坂になっていて、建物の建つ地盤はさらにそこより2.5m上がっています。鎌倉の地区条例のある風致地区にあり、市の開発課の指導や基準法の構造と高さ規制及び県の崖地条例等が難所となる厳しい土地でした。
設計者としては、解体工事や擁壁工事等で予算的にかなり難があり、もっと容易な土地を探したいところです。建て主としては、難については設計者が何とかするだろうということで、場所と価格と眺望からして、掘り出し物の土地なので購入したいとのことです。
計画的に二台分の駐車場が必要で、そのレベルは道路と同じレベルになり、予算が許せば、二台分の地下車庫と地下玄関及び内部階段を設け、できれば将来用のエレベータースペースを設けて、その上に住居部分を載せる計画にしたいのですが、予算オーバーです。最初に提案したのが、野天の二台駐車場の奥に、地下入り玄関と仕事室を設け、将来用エレベータースペースの収納のある案です。
それに対して建て主はエレベーターが必要になったら転売して引っ越すとのことで、将来用エレベーターも地下の玄関や仕事部屋も地下でなくなりました。
採用案は、地下入り玄関も諦め、屋根無しの駐車場とし、そこから外階段で上った地盤に建てることにしました。そのため、既存の地下車庫を解体し、かつ土を欠き出す必要があります。その残りの土地に建てると、東西に狭く、南北に長い家になり、各室が東向きになります。それは望ましくないので、欠き出した跡の土地が崩れないよう、敷地内に段差を維持する擁壁を南北方向に設けました。その擁壁で住宅の基礎も兼ねることとし、さらに駐車場の上に1m程せり出した基礎にし、東側に広げました。これにより東西に長い家になり、居室すべてが南向きにできました。また、建築費が少なくてすむよう単純な形態の総二階建て風の家としました。
二階リビングは、経験のない方には問題になりがちですが、建て主さんはこの土地の魅力をよく理解していて、今回はすんなり決まりました。また一部玄関と仕事部屋がその段差吸収の擁壁を兼ねた基礎から東にはみ出るので、その下の一部に隣家に崩落の影響を及ぼさない範囲で地下倉庫を設けました。上には二階のリビングと連続する見晴らしの良い、食事もできるルーフデッキとしました。
決定された間取りで、要望する仕様内容の実施設計をあげ、工事見積を数社に依頼しました。ウッドショックの直前でもあり、案の定付き合いのある工事屋さんは、千五百万円以上予算オーバーするからと辞退され、近場では予算内で見積もるところがありませんでした。擁壁や外階段等の工事があり、平坦な土地の場合より工事費が膨らむとはいえ、35坪の住宅で通常相場より千万円以上も余計にかかる鎌倉価格で工事契約をさせるわけにはいきません。依頼者が諦めず通常相場での契約を求める限り、私たちの支援のしどころです。施工の可能性のあるエリアを広げ、やってくれそうな工務店をくまなく打診し、探しました。その中に、昔気質で手作りを売りにする大工さん上りの社長が、私共の設計の考え方に興味を示し、協力してもいいと、言ってくれました。敷地から1時間ほど遠い距離の、昔聞いたこともある名前の、長く続けてきた工務店でした。外壁をサイディングにとか、床材の指定等いくつか条件を付けながらも、見積調整にのって請けてくれるとのことでした。現代風の管理体制が整ってなそうで、設計監理での意思疎通は苦労することは承知の上で、何とか許容できる予算内での工事契約という難所を越えました。
当然解体工事費もできるだけ少なくする必要があり、これも数社に見積もりを依頼しました。高い敷地にあり、重機が使えず、手解体になり、既存地下車庫やセットバックする私道内にある鉄筋コンクリート造の外階段が、工事で隣地を崩落させる危険性もあり、予想以上の見積もりでした。本体工事の工務店にも相談し、なんとか費用を抑えて解体してくれるところを探し出し、本体工事に含むと、その経費がかかるので、建て主が直接に工事依頼をすることにしました。
地盤は十分地耐力のあるところでしたが、既存建物の解体工事で地盤を荒らしたため、単純な地耐力の調査をすると、二社とも部分的弱点があり不同沈下の恐れがあるという理由で、全体の地盤改良工事が必要、と診断されました。安全性いう御旗を掲げられたら従わざる得ないところです。予算が潤沢ならそのまま行くところですが、地盤改良だけで百万円以上かかるので、再度違った調査方法の機関に相談しました。基礎形状に即した個所と地下レベルの地盤の地耐力を再調査し、擁壁の裏込め工事や弱点箇所だけの部分改良の条件で、地盤保証する機関も紹介いただき、全体の地盤改良工事をなくすことができ、基礎工事に入ることが出来ました。
基準法の建蔽率容積率及び北側と道路斜線、さらに壁面後退等が法的許容範囲ぎりぎりで、緩和処置までも活用しているので、設計上の納まりで一部変えると、もぐら叩きのように他の問題として噴出する有様でした。例えば壁と基礎を兼ねると庭の土圧と建物荷重は構造計算上どう配分されるかを明示する必要があります。それは複雑になるので、擁壁と基礎とは縁を切ることで単純化しました。
また、駐車場と地下倉庫の開口部が地下レベルにあるので、平均地盤面が上の地盤面より下がります。そのため北側斜線や道路斜線が厳しくなり、通常の屋根の納まりだと、高さ制限を超えるので、北側の桁を下げ、軒の出を出さなくてもよい雨仕舞を考えました。あるいは建蔽率いっぱいの床面積が欲しいところですが、それだと軒の出が1mだけしか出せず、貧弱なデザインになりそうだったので、納戸分の面積を縮小し、その分地下倉庫を設け、南と東の軒の出のみ1.2m出すなど、あの手この手を駆使しました。基準法上の難所越えの設計者の苦労は当然のようにその素振りも見せず、建て主には納得できる計画のための難所越えの軒の出の詳細については、了解していただきました。
地区条例のある風致地区で、壁面後退が隣地境界から1m、道路境界から1.5m離す必要があります。また前面道路の私道の幅員が4m未満で、不足分の80㎝を道路境界をからセットバックする必要がありました。それだけなら当然のことと受け入れられますが、問題はその部分が写真で分かるように、高い敷地を支える2.5m程の擁壁階段にもなっていて、それを撤去しないと接道する前面道路として認めてもらえず、市の開発課の許可が下りないことでした。建前として理解はできますが、それをすべて撤去すると北側隣家の玉石の擁壁が崩れてきて、トラブルになります。崩れないようにこちらの擁壁一部残してあげたい、というと、開発課がやはり許してくれません。そこでこちらですべて撤去し、完成後に隣家の玉石擁壁を崩れないように修復するということで、隣家の方の了解を頂き、進めることが出来ました。
開発課からはさらに既存の地下車庫を撤去しても、南隣家の進入路の塀を兼ねた擁壁が崩れないことの証明を求められました。40年前の隣の塀で、こちらのものでない以上、基礎形状や鉄筋がどうなっているかデータもなく計算も証明もしようがありません。隣の問題ではないかと食い下がっても聞き入れてもらえませんでした。
このような指導に対して、隣家の塀が倒れてくる力に対し、既存地下車庫が存在した時の土圧以上に、塀に対して直角に設けるこちらの擁壁の耐える力の方が大きくなることを計算し、より安全に働くことを証明し、なんとか許可を得ました。
市の厳しい許可条件と工事見積をなんとかクリアして工事が始まりました。基礎屋さんは工務店が地元の基礎屋さんを探して頼みました。そのためかいくつか行き違いが生じ、難しい基礎形状もあっり、困難を極めましたが、一つ一つ丁寧に解決していきました。
基礎工事が大変苦労しましたが、木工事に入ってからは、担当してくれた大工さんは経験豊富な方でしたが、私たちの納め方に慣れてないので、図面の不備や気になることには確認や提案もしてくれ、処理もうまく助かりました。ただ太陽光発電を、建て主さんが載せたいということで申し込みをしていましたが、しばらく生活し、どんなやり方がいいかゆっくり検討してから決めることになりました。
三者の好意と話し合いで越えた難所(建て主、施工者、設計者の意思疎通も和やかに)
追加工事として請求されそうな変更工事も、外注作業でなく、社長の手作業で済む内容ならと割安でしてくれました。外階段は本来基礎屋さんにやっていただくはずでしたが、基礎屋に任せられないと社長自らが指揮を執って型枠大工として施工しました。私たちも現場を再計測し、段形状やポーチ廻りの図面修正で協力しながら、立て直しを図りました。階段の手すり壁の天端も、通常通りの設計でしたが、折角なら、天端に埃がたまり、雨で壁に流され、数年後にコンクリート打ち放しの壁面を汚してしまうので、天端の角にアルミアングルを被せ、雨が壁面を伝わらず落ちるようにしました。見積もりには含んでない処理ですので、設計者が寸法を測って加工した材料を購入し、建て主に接着剤と共に渡して、貼り付け処理をお願いしました。
工務店とのデザインセンスの違いは、いくつかありましたが、その都度話し合い、建て主さんも重箱の隅を突っつくようなことはせず、多少のことは許容し、大きな問題にはなりませんでした。工務店の体質が、現代のビルダー風のドライでなくウエットだったせいか、電気工事の職人さんも色々無理を聞いてくれました。給湯設備の納品が全国的にも遅れた時期で、竣工に間に合わない不幸も、その間代替品で凌ぎ、何とか事なきを得て引き渡しとなりました。近々に設計事例として、「鎌倉借景の家」をアップする予定ですので一緒に参照ください。
設計事例に「鎌倉借景の家」として掲載しましたので、そちらも是非ご覧ください。
昨日、「クローズアップ現代」の放映をみました。思っていたより盛岡は取り上げられていました。
前回のブログ記事:盛岡市「クローズアップ現代」尋ねたい街で放映?
鉈屋町の道路拡幅計画も留まらせた活動も取り上げられていました。その活動にも景観調査に協力してくれた、建築士会の先輩達が関わっている話は聞いていました。
あの鉈屋町の通りは古い格子窓の店が多い通りで、高校時代の45分の自転車通学の通り道でした。運動部クラブの活動終えて帰る時、鉈屋町から北上川沿いの堤防の上の道までの坂道を上る必要があり、朝ご飯を三杯食べてきた日は一気に登れるのですが、二杯の時は坂の途中にあるパン屋さんに寄って、コッペパンを買って食べながら上ったものでした。
番組でニューヨークタイムズの記者が盛岡の特徴を上げていましたが、確かに盛岡には昔から時代の潮流におもねない人材がちらほらいたことを思い出しました。それが所々に特徴のある店を点在させ、安易に欧米や他所の成功の物まねをせず、自分らに合ったいい景観を残し、魅力ある街を育んで来たのかもしれません。今よく言われるコンパクトシティーの先駆けを結果として成し遂げていたのでしょうか。
神宮外苑の樹木の伐採のような問題も、40年前にすでに市民は取り上げていて、経済成長を競って追い続ける、今日の資本主義では、カウントされることのない価値を、盛岡の先達は見出し、守ってきてくれていて、その価値がこれからの時代を考える際、大きな示唆を与えてくれるように思いました。
最近ニューヨークタイムズに盛岡市が世界で二番目、ロンドンの次に「行ってみるべき街」として取り上げられました。そのこともあって9月26日火曜日の夕方7時半、NHKの番組クローズアップ現代で、盛岡市がなぜ海外の記者に取り上げられるほどの街になったのかが放送されるということです。
20年ほど前に新宿区の四谷から伊豆高原(伊豆の家)に移住した、釜石市出身の私共の建て主さんが、昨年盛岡市に再度移住しました。
理由を聞いたら、元気で活発に動けるときは伊豆高原も悪くないが、腰の調子も悪くなって、静かに暮らしたくなったからとのこと。10分も車で走れば、自然の真っただ中に入ることができ、生活圏が広くもなく狭くもなく、必要なお店や主だった公共機関も歩いて行ける距離にあり、象徴的な岩手山を始め、山々に囲まれ、北上川や中津川がゆったり流れ、やっぱり盛岡は気持ちよく暮らしやすい、と言うことでした。
(伊豆の家 | (株)結設計|東京・建築家|住宅・建築設計事務所 (yui-sekkei.co.jp))
実は、盛岡市では四十年以上前に、まだ京都と奈良以外、景観が問題視されてないときに、盛岡城址公園から岩手山が新たに建つビルで見えなくなるということで、何とかできないかと市民から問題視され、市が独自に景観調査をするということになりました。
その時、市の建築指導課で主事をしていた兄から、どこかいいコンサルを知らないかと聞かれ、友人が主催する「かいアソシエイツ」という都市計画事務所を紹介し、自分の紹介であることを秘したまま、市の他の職員たちに、数多くいたコンサルと同様に面接等で審査をしたら、友人の事務所が一緒に調査するに適切となり、極めて少ない予算で請けることになりました。私も出身地なんだから手伝えと駆り出され、景観調査の手法が確立されてない時期に、環境アセスメント等の手法を駆使したり、市民から好きな町の風景写真を募集するなどして、未だ一般的ではなかったワークショップなど試行錯誤しながら、そのお手伝いをしました。
その頃の街を上げての活動が、訪れたい街を形成する一端になったのではと思うとうれしい気持ちにさせてくれます。その後も彼は二次三次と調査をつづけ、景観条例に至る道筋を主導していきました。彼は盛岡市の調査の後、他の自治体からの依頼が増え、その方面の第一人者になっていきました。でも景観調査を最初に手伝った私を含めた仲間への気の利いた報酬は、大沢温泉への一泊招待でしたが、夜の宴会の翌朝入った川沿いの、雪の中の露天風呂が極めて印象的であったことを覚えています。
今も彼とは付き合いは続き、数年前には『暮らしの保健室』の創設者の方が手掛けられた「坂町ミモザの家」という訪問看護テーションの施設を創る際に、彼の設計のお手伝いもさせて頂きました。
坂町ミモザの家 | 株式会社ケアーズ(白十字訪問看護ステーション)公式ページ ❘ 訪問看護・在宅医療・福祉 (cares-hakujuji.com)
景観調査をした友人から今回のNHKの番組の予定を聞き、その時に「盛岡市がこのような評価に至ったのは、その頃の地道な関り方が実を結んだのかね」と聞いたところ、「いや、盛岡の市民性に依拠していると思う」とのことでした。
郷土愛というか、岩手山が見えなくなる、ということを問題視する市民及び関係者の何とかしようとする熱意や、本来抵抗しそうな建築士会等の共感や協力を含め、他所の地域とは違う何かが盛岡市の市民感情にはあったように思われるとのことです。
確かに、景観条例が未だ施行される前に、中高層建物の建築確認申請で提出された書類を、菓子折りと一緒に風呂敷に包んで、建築指導課の課長が、もう少し高さを抑えた建物にしてもらえないでしょうか、と法とは違う文化観に訴えて尋ね回り、それを考慮するオーナーもいたという、冗談のような話も聞きました。そのような市民意識が、又訪れたい街と評価されるまでにしたのでは、とのことです。でも彼が言うには、その当時、熱心に関わってくれた面々は殆どが鬼籍に入っていることが分かり、寂しいというということでした。確かに当時兄の下で献身的に条例づくりに働いてくれていた、私の高校同期の者も早逝し、今はいません。
やはり街は一朝一夕に出来上がるものではなく、自然の大地を基本に、人を育み育てる風土と、日々の市民の行いの積み重ねが、その町のあり様を創っていくんだなあと感じさせられる話でした。
クローズアップ現代「世界が絶賛!日本人が知らない名所▽外国人観光客が意外な場所へ」
NHK総合:9月26日(火) 午後7:30 〜 午後7:57
NHKBS1:9月27日(水) 午前5:30 〜 午前5:59
前回「 馬込の家 」のブログ記事「馬込の家 もうすぐ完成 和室(茶室)」の掲載後に馬込の家は無事完成し、引き渡しとなりました。引き渡し時にはまだ残っていた襖や障子、炉壇等も少しして入り、茶室も完成です。今回は、茶室にある「 炉壇 」のお話しです。
「 馬込の家 」では、茶室としての八帖の広間と六帖の寄付が続き間となっています。畳は京間畳なので、関東間よりかなり広く感じます。
茶室として使われるので、炉が切られています。
広間に炉。寄付には大炉があります。どちらも土でつくった炉壇で、最近では「本炉壇」といわれるものです
「本炉壇」と呼ぶのは、土製の塗り直しが必要な炉壇のことです。
現在は、金属製の炉壇が多くなっていて(少なくても関東ではほとんど金属製になっているようです)、その金属製と区別するために「炉壇」とだけ呼ばれていた土製のものを「本炉壇」と呼ぶようになったようです。
この本炉壇は、土を塗っていますので、使っていくなかで炉壇の壁面が炭の熱で焼けて色が変わってきます。(茶席ではその色の変化の風情を楽しむそうです)
そして、その色が変化した炉壇の壁面の塗り替えを毎年行うそうです。
炉を塞いだ5月~10月までの夏、風炉を使う時期に塗り替えて、11月には塗り替えが終わった状態で炉開きをします。
土の炉壇は、焼けて色が変化すること以外でも、釜などがぶつかって欠ける場合もあり、使用すれば汚れても来るので、どうしても塗り直しが必要になります。
その点、金属製のものは丈夫で、手入れもそれほど必要としない、安価でもあるので、金属製が多くなったのもうなずけます。石製の炉壇も昔からあったようですが、大きな石をくりぬいて炉壇の形にするのでつくるのも大変ということであまり見ないようです。
また、現在ではビルの中に茶室があることも多く、消防法等の規制で炭を使う炉壇を入れることが大変難しいということも聞きます。
そういったメンテナンスの手間や消防法等の規制で、東京など京都以外の地域では金属製の炉壇が主流になっていて、土の炉壇「本炉壇」すでにあまり見ないものになっているそうです。
結設計でも茶室として使える和室を今までも設計してきていますが、ほとんどが金属製の炉壇で炉を切ったか、風炉や置炉のみで炉を切らない、という形でした。
本炉壇を、左官でつくっているのは知っていたので、左官屋さんがつくっているという認識しかありませんでした。左官屋の中でも、特に炉壇の製作や塗り替えをされる職人を炉壇師というのですが、恥ずかしながら馬込の家の施主様の先生の京都にある御茶室で炉壇の塗り替えの様子を見学させていただくまで、炉壇師という言葉は知りませんでした。
その炉壇の塗り替えをしていた方が、炉壇師の片田儀斎さんでした。今回馬込の家では、施主様の京都の先生から炉壇製作の話を通していただいたことで、片田さんに炉壇と大炉を製作していただきました。
裏千家ということで、寄付きの六帖間には大炉が入りました。(写真は、まだ炉縁はない状態です)
大炉は、裏千家11代お家元玄々斎(げんげんさい)が北国の囲炉裏から考えられたもので、裏千家独特のものです。
囲炉裏を模してつくられ、寒い時期の暖房器具の役割も考えてつくられた炉ということです。
そのため、大炉は寒い2月にしか使われません。
寄付の大炉の大きさは、一尺八寸角。広間の普通の炉が一尺四寸角ですから、たてよこ四寸ずつ大きく、その分暖かい。
炉壇や畳、襖などの製作だけでなく、その後のメンテナンスが長い歴史のなかで続いていることが文化になって、その文化がその技をもつ職人を必要とする仕事を残している。そうやって技術面としてのバックボーンがあることで建築という行為が維持していけるのだと、今回の馬込の家を設計監理していく中で改めて感じさせられました。
(加藤)
家づくりは、ほとんどの方がはじめてのことで、
「
新築だけでなく、増築やリノベーション・リフォームなどのご相談もお受けしています。
(※日時が合わないなどは、適宜対応致します。特に土日祝や、平日夕方以降、スタッフの指名等々・・お問合せください。)
・家づくりに漠然とした「 不安 」をお持ちの方
・「 何から手を付けてよいか 」悩んでいる方
・「 自分の考え・要望 」を整理したい方
・「 基礎知識やノウハウ 」が知りたい方
・工務店・ハウスメーカーの提案が「 しっくり来ない 」方
・「 二世帯住宅 」について悩んでいる方
・「 土地・敷地 」について悩んでいる方
・敷地の「 変形地・がけ地・傾斜地・高低差 」で悩んでいる方
・「 建て替えか、リフォームか 」悩んでいる方
・プロからの「 アドバイス 」が欲しい方
etc…
家づくり個別相談への参加は、相談者様の状況やご都合に合わせて、「対面相談」と、「オンライン相談」の2種類がお選びいただけます。
対面相談
・じっくりと話をしたい人
・図面などの資料を見ながら話をしたい人
オンライン相談
・事務所に来るのが難しい人
・遠方にお住まいの人
※日程・スタッフによっては、オンライン相談のみになる場合もあります。
※オンライン相談は、「Zoom」を使用しますが、他の方法をご希望の場合はご相談ください。
※まだ決定していない日程もありますので、順次決まり次第掲載していきます。
・8 日(金)対面・オンライン ※終了しました
10:00~12:00 担当:加藤
14:00~16:00 担当:加藤
16:00~18:00 担当:加藤
18:00~20:00 担当:加藤
・11日(月) 対面・オンライン ※終了しました
14:00~15:30 担当:岡坂
16:00~17:30 担当:岡坂
・13日(水)対面・オンライン ※終了しました
14:00~16:00 担当:加藤
16:00~18:00 担当:加藤
18:00~20:00 担当:加藤
・24日(日)オンラインのみ ※終了しました
14:00~16:00 担当:藁科
16:00~18:00 担当:藁科
18:00~20:00 担当:藁科
・26日(火)対面・オンライン ※終了しました
10:00~11:30 担当:岡坂
13:00~14:30 担当:岡坂
・28日(木)オンラインのみ ※終了しました
10:00~12:00 担当:藁科
13:00~15:00 担当:藁科
19:00~21:00 担当:藁科
※これまでご好評いただいておりました個別相談ですが、人員不足につき一時休止させていただきます。
ご相談につきましては、引き続き受け付けております。
お問合せフォームまたはLINEからのご連絡をお願い致します。
参加ご希望の方は、以下の申し込みフォームより必要事項をご記入のうえ送信ください。
後日担当者よりご返信いたします。
Q.家づくり個別相談の参加にあたって事前に用意するものはありますか?
A.ご相談の場合は、特にご用意していただくものはありませんが、計画地がすでに決まっている場合は、土地の場所・図面などをお持ちいただけるとより詳しくお話しできます。
オンライン相談の場合は、通信環境の準備のため以下をご用意ください。
[オンライン相談に必要なもの]
・インターネットにつながるパソコンまたはタブレット
・マイク(もしくはマイク付きパソコン)・イヤホン推奨
※オンライン相談の前にZoomの招待メールをお送りします。
その招待メールにかかれているURLをクリックして参加してください。
スマホ・タブレットでは、アプリを事前にインストールする必要があります。
パソコンからの参加の場合は、Webブラウザから参加できますので、アプリなしで問題ありません。
Q.家づくり個別相談の予定日時以外でも相談可能ですか?
A.はい、予定日時以外の平日、休日ともに受け付けております。
お仕事終わりの19時以降や週末・祝日も可能です。
ただし、予定日時以外は、すでに他の予定が入っている場合もありますので、ご相談ください。
Q.計画地が遠方ですが相談できますか?
A.遠方でも大丈夫です。
過去の実績としては、岩手県から広島県まで設計事例があります。