投稿者: 藤原昭夫

別荘ギャラリー

冬の 別荘


「 別荘 」は、これまで富裕層など特殊な方が持つものと思われてきました。
しかし誰もがコロナ禍やリモートワークを経験して、日常の住まい一つだけでは、暮らしを充実させることが難しく、自分の生活を広げ、客観化して余裕を生み出すために、旅行とも少し違う、もう一つ違う空間というか世界に身を置いて、時々過ごすことが必要ではないか、と感じ始めた方が増えてきたように思われます。


そんな物足りなさを覚えている方や別荘等を考えている方の参考に、これまで私共が手掛けてきた多様な別荘を、ギャラリーとしてまとめてみました。

毎日暮らすわけでもないので、皆さん自分の目的に合わせ、自由につくられることが多く、決まった形態はありません。でも多様な中にも目的によって、「4つのタイプ」に分類することができ、そのタイプごとに表示しています。


目次

別荘 の4つのタイプ

1.週末住宅
  週末等、時間があるときにリフレッシュのため、快適に過ごせるようにした週末住宅

2.ベースキャンプ別荘
  レジャー等に出かける基地として最低限の機能と広さを備えた、ベースキャンプ別荘

3.敷地内(近隣)別荘
  毎日暮らす住まいの隣に非常時や趣味等好きことをするための、敷地内(近隣)別荘

4.終の棲家となる別荘
  将来永住する予定の住まいで、終の棲家となる別荘

 


尚、個別の別荘をより詳しく知りたい方は、当サイトの設計事例や当社著作の「美しく住まいを整えるデザインのルール85」を参照ください。もし見当たらない場合は直接私どもにお問い合わせ下さい


1.週末住宅としての 別荘

「軽井沢の家」

 住まいから電車で1時間、車で1~1.5時間で行ける軽井沢にあり、駅から歩いて20分の所に建つ別荘です。建って20年程ですが、今でも月一ぐらいの頻度で活用されています。

「軽井沢の家」外観 デザイナーズ別荘 集中豪雨、湿気、防犯の対策のため、高床にしている週末住宅 別荘


計画的配慮:敷地までの道路が敷地に向かって少し下っていることから、集中豪雨での雨水の侵入が心配されました。その雨水対策と防犯、及び軽井沢特有の湿気対策も兼ねて、居住部分を二階に持ち上げて作っています。

仕上げと構造を兼ねた木製構造材(厚み120㎜×幅450㎜の集成材)を内外表しで積み重ねた壁式構造にすることで、木材の調湿機能が十分に働き、夏の多湿や冬の過乾燥を和らげます。

ログハウスの場合は、材の膨張収縮で時間が経つと木材と木材の間に隙間を生み出しますが、この建物に採用しているFM工法では庇を大きく出し、鉄骨プレートで材の端部を壁内部で押さえこむことで隙間ができないように配慮をしています。

「軽井沢の家」外観 デザイナーズ別荘 集中豪雨、湿気、防犯の対策のため、高床にしている週末住宅 別荘


一階は、ピロティ―として開放していて、電車で来た時の足として使える車を置けるガレージにしています。二階の居住部分の南側外部には、すぐ出られ食事もできるデッキスペースを設け、その上にはガラス屋根をかけて、小雨でも外気を楽しめるようにしています。

周囲に木々が多いので、屋根の樋は木の葉が詰まるので敢えて設けず、庇を大きく出して、地面に設けた砂利を詰めた雨落ちの溝に雨水を落としています。日常的に住んでいない別荘の場合は、メンテナンスをなるべくしないで済む工夫も必要です。

「軽井沢の家」リビング前のデッキ デザイナーズ別荘


敷地の南側に小川が流れ、その前にゴルフ場の芝生畑が広がっています。それをお風呂に浸かりながら眺められるように、浴室の南面は大きなガラス窓にしています。居間の隅には暖炉を設けてありますが、暖房はファンコイルユニットで温風を床下全体に回して巡回させ、二階床全体を暖めるようにしています。寝室は二室だけですが、キッチンの上にロフト階を設けて、多くの客が来た時に対応できるようにしています。

「軽井沢の家」暖炉があるリビング デザイナーズ別荘
リビング・暖炉

「一不異二亭」(アンフィニティ―)

傾斜地に建築した別荘

住まいから二時間ぐらいの和田村にあり、陶芸の趣味もあったので、近くに電気釜を置いた小屋を建て週末を楽しんで使われています。春休みの頃は、教え子たちとの合宿の場所にも活用されているようです。

「一不異二亭」 外観
傾斜地に建てた デザイナーズ別荘
「一不異二亭」 外観
 デザイナーズ別荘
道路から二段で内部に入る高さですが、敷地奥の方は下がっていて基礎で床面を持ち上げています

計画的配慮:
敷地の真ん中を山の上から流れてくる小さな川が流れている、傾斜地に建っています。
敷地を平らに造成しようとするとかなりの費用を要するので、敷地はいじらず傾斜のままとしています。基礎は小川を跨ぐ橋脚のように適当な高さに立ち上げ、その上に木造で床版を構成し、それを土台にしています。

関連ブログ記事:▶難しい建築条件の建築「一不異二亭」(アンフィニティー)

橋脚間上の木造部分が落ちないように土台と屋根を受ける桁で大きなトラス壁を構成し、離れた橋脚の上に掛け渡して、ちょうど長い大きな箱が、橋のように乗っている状態になっています。構造壁とするため、柱や桁の内外にOSB合板を貼り、それに塗装して内外の仕上げとしています。

「一不異二亭」開放感がある洗面台 デザイナーズ別荘
食卓から居間、暖炉、ガラス屋根のデッキ、寝室へと続きます

屋根は仕上げ材の板金下に空隙を設け、そこを軒先から吸い込んだ外気を通すことで、空気を太陽で温め、それを内部に通し、室内を正圧にして、開口部の隙間から外に吐き出すことで常時換気をさせています。温度と湿度センサーを設けて湿気や冷気は入れない仕掛けにしています。そのため、たまに行ったときに感じる別荘特有の湿っぽさは感じられません。

むしろ冬場など、玄関に入るとほのかに暖かくなっています。尚、この屋根からの暖気は押し入れの布団の隙間を通すことで、布団も乾燥させています。暖房はFF式ファンヒーターの暖気を換気の経路に組み込み床全体から、建物全体に回すようにしています。

林の中の洗面所「軽井沢の家」暖炉があるリビング デザイナーズ別荘
ガラス框戸を開け放った洗面台
「一不異二亭」開放感がある浴室 デザイナーズ別荘
90㎝外部にせり出た浴室ハーフユニット、屋根もガラスです

「寄居の家」

ステンレスの加工工場を経営されている方の別荘です。住まいと工場が近いため、仕事に左右されがちな生活を、リフレッシュさせる仕掛けとして用意した、快適なもう一つの世界のための別荘です。荒川の上流沿いの崖地の奥に建っていて、川向うまで見える見晴らしの抜群の土地に建っています。

寄居の家(別荘) アプローチ


計画的配慮:
日常の住まいより快適な居住空間を目指して、各所を丁寧な仕様にしています。
別荘に入るアプローチから別世界の雰囲気を演出するため、石畳の長いアプローチとそれに沿う白壁の長い塀を設け、塀にはステンレスの瓦風の笠木を被せています。玄関前にはステンレス製のキャノピーを設け、もう一つの世界を演出して、玄関に迎い入れています。

寄居の家(別荘) ポーチ 


食堂の上は吹き抜けにして、夕陽が高窓のステンドグラスを通して色とりどりの光を落としてくれます。食卓の高さに統一したリビングの収納にはテレビも組込、見る時は上下します。

和室の南東のコーナーの引き込み障子は、夜には襖にもなり、しかも襖紙はリバーシブルになっているので、趣向を変える演出が可能です。

洗濯機も洗面台の中に格納されてあり、使うときのみ台の一部を上げて使用します。屋根の雨水は集めて遠くに吐き出すようにして、外壁に跳ねっ返りの泥で汚さない配慮をしています。

寄居の家(別荘) ダイニング・リビング

 


「箱根の別荘」

別荘までのアプローチブリッジ

住まいのある自宅から車で1時間ほど乗ると別荘に到着できます。仕事場もある都心のビルの五階に住んでいて、自然の中でリフレッシュするために建てた別荘です。

内部に柱がないワンルームで、暖炉のフード下のプレートは三枚重ねで、下に垂らして炉を覆い、煙を制御することが出来ます

計画的配慮:
敷地が崖地のため、僅かある平らな部分に建て、道路からはブリッジになっているアプローチを通って行きます。

リビングダイニングは二階で、柱無しの6.3m角のワンルームで、4隅は出窓状のコーナー窓で、引き込みの障子と雨戸が設けてあります。構造的には2.7mの構造壁4枚で成り立っています。東北のコーナー窓にベンチと1.8m角の大きなテーブルを設え、その真ん中に暖炉を設けていて、そこでアユを焼いたり、バーベキューもできます。

 
ロールカーテンを上げた床の間

1階が寝室と和室になっていて、和室の床の間はフィックスのガラスで通常はロールカーテンを降ろして壁となっていますが、それを上げるとガラスの向こうに遠く富士山が見えるようになっています。


「glulam彎」

軽井沢駅から、しなの鉄道に乗って二つ目の信濃追分駅から歩いて15分の所に建っています。敷地北側に浅間山が目の前に大きく見え、南側は松林で手前に小川が流れています。

建物は湾曲しています。開口部はすべて雨戸で防御できます。

計画的配慮:
建物は、日常生活をリフレッシュさせるため、日常の住まいと違った世界として感じられるように、建物を湾曲させ、コの字型の中庭を組み込むなどして、内部空間も一室空間として繋がっていても、湾曲されてあるがゆえに全貌が一望できないようにしています。

ダイニングと外部デッキの上の垂木は先端の鼻隠しプレートで支えられていて、
開口部の上の枠から浮いています。

南の庭も湾曲した建物で囲んでいて、曲面の焦点辺りにアイキャッチツリーを植えています。コの字型のデッキスペースを設けて、外部でも食事ができるようになっており、防犯のため、デッキ部分も含め、南面の開口部すべてを雨戸で覆うことが出来るようにしています。ハイサイドライトからキッチンにも多少日が差し、風が抜ける仕掛けをしています。

内部空間は一目で全貌が見えないように湾曲しています。

「塩山の家」

川崎にお住まいの方が奥様の実家のある、山梨県の塩山に建てられた別荘です。日常のお住まいは鉄筋コンクリート造のマンションです。コンクリートや鉄骨造だと何となく体に変調をきたす気がするということで、自然や木に包まれて過ごしたいということで、建てられた家です。


計画的配慮:
木に包まれた空間にするべく集成材壁式構造のFM工法で建築しています。屋根も6.3mの梁間スパンに一枚の木造屋根中空スラブにして途中母屋や梁もその中空スラブの中に仕込み、見せないような掛け方をしている。北側の空間が暗くなりがちなので、中空スラブに穴を設け、陽光を落とすようにしています。(山梨県の文化賞を受賞)

 


佐倉の家

佐倉市に建つ、まさしくウイークエンドハウスです。
ゴルフに行く前後や友人たちが集まる場所にも活用しているようです。別荘としては珍しい鉄筋コンクリート造の家です。5m程の擁壁の下に建築する場合、崖地条例で崖上から30度の角度までは崩れても大丈夫な処置をする必要があり、そのためにRC造が選択されました。

道路からの引き込み通路です

計画配慮:
一階のリビングでは南の崖が迫ってくる感じがして気になり、二階に設けています。寝室へのブリッジから見た居間です。


建物の外壁の形状は西、北、東側が直線の四角形で、光も壁ではなく、トップライトから取り入れています。

 


南の外壁の形状は円弧を描いています。擁壁と建物で囲まれた半円の中庭には、水を貯めて水盤を形成することもできます。

 


2.ベースキャンプ 別荘

「夷隅郡の家」

奥様の実家のある房総の海も近い土地に建つ、魚釣り等の基地的使い方をする別荘です。別荘地ではなく、周りは一般の民家が建っている地域です。


計画的配慮:
道路から駐車場を通って入っていった玄関わきに釣ってきた魚をさばく流しを設けています。建物を開放的にすると、釣ってきた魚を食べながらワイワイすることでリフレッシュしている非日常的時間を、日常的に過ごしている近所の方に丸見えだと、なんとなく居心地悪いだろうと思い、周囲から隔絶できる中庭を設け、そこを中心に計画した家です。


海風で塩害を起こさないよう、殆どを木材で構成できるFM工法の内外集成材表しの仕上げで建てています。居間の照明にはプロジェクターを仕込んでいて、大画面で映画も楽しめる仕掛けもしています。


「東浪見の家」

房総の東浪見の駅から歩いて20分ぐらいの少し高台にあります。裏山の探検に出かけられ、海までも歩いてやはり20分ほどなので、海水浴やサーフィン等の基地にも最適です。広い敷地のため、いろんな遊びができ、家庭菜園なども可能です。


計画配慮:
敷地内の1m程の段差を活用して、擁壁を兼ねて20mプールをコンクリートで創り、内部の浴室の隣にサウナ室も設けています。レジャーから帰ってきたら、サウナで汗を流しさっぱりすることもできます。


「須坂の家」

長野県須坂市のスキー場の近くにある別荘です。ウインタースポーツの基地に使おうとして建てた別荘です。学校に勤めていたので、冬休み、春休みはもちろん、夏休みにも長期滞在が可能のため、子供さんが独立される頃までは、よく使われていたようです。


計画的配慮:
道路から建物までは基礎工事段階にコンクリートで広いブリッジを掛け、そこを駐車場としています。雪が降り積もったら、簡単に両脇に押す出すことが出来ます。そこから入ると、そこはリビングダイニングになっていて、その下階に寝室等があります。


暖房はシイタケの栽培用のボイラーを1階に置き、その暖気を二階の床下に吹き込んで全館用暖房とし、その煙突を玄関脇のスペースに通して、スキーの乾燥室にしています。

 
 

「河口湖山荘」

河口湖から十数分車で上ったところに建っています。床面積9坪ほどの広さで、最低限の設備と仕様の、まさにベースキャンプ的別荘です。


計画的配慮:
崖地勾配のある敷地のため、造成は行わず、基礎の高さで調整して、床レベルを設定しています。最低の仕様としても、何か+アルファ―として楽しめる要素が欲しかったので、テーブル暖炉を設けています。

 

 


3.敷地内(近隣) 別荘

「みつわ台の家」

日常の住まいのある同一敷地内に建てた、奥様の絵を描くためのアトリエとそれを飾るギャラリー、及びご夫婦の趣味のサイクリング自転車置き場とその修理スペースのための別荘です。


計画配慮:
普通の住宅地にあるため、その環境を気にせず済むように、東西を壁とし、南面のみ大きく開口部を設け、その他三方は風抜きの小窓以外、光を桁上の欄間から取り入れています。


ギャラリーへの採光はサンドブラストペアガラスを通すことで、周囲の日常性が視界に入らず、明るさのみ得るようにしています。前面道路のレベルから2m程敷地が高くなっているので、外階段脇に将来昇降機を置けるスペースを設けていましたが、最近検討しようと見積もりを取ったら、予想以上の費用に、やめて自転車の出し入れ用の斜路だけを設けました。(千葉県と千葉市の建築文化賞受賞)

 


「南林間の家」(リノベーション近隣別荘)

同じ敷地内に比較的新しいご両親の住まい(母屋)と、築30年の自分たちの住まい(母屋とは別棟)を持っている方が、ご両親が他界され、その家が空き家になったのを機に、自分たちの古い住まいを、全面リフォーム(リノベーション)した別荘です。
ご両親が使用していた母屋に自分らが移り住み、古家を解体する選択肢もありましたが、子供さんが三人おられ、誰かが使う可能性もあり、壊さず残すことにしました。ご両親の住んでいた住まいも十年以上経っていて、間取りと日差しの取り入れ方は今一つだったので、改修で快適な家になるなら、その方がいいということで始まった計画でした。

40年前の外部は殆ど既存を残しています。

計画的配慮:
南の日差しを遮っていた個室を別の所に移し、押し入れ等を取り払い、そこを広いリビングダイニングキッチンに全面改修しました。自分たちの建築予算に加算して、防衛省の防音工事助成金を活用しています。それによって、全面のボードを剥がし断熱材をいれ、天井も同様にし、床下も耐震改修費という予算で全面基礎補強を行い、その土間コンクリートに温水パイプを通して蓄熱ヒーターの暖房設備を追加しました。

食卓からリビング、外部デッキと続きます。
見える柱は以前押し入れがあって、ここは陽の差さない、照明の必要な部屋でした。

既存のキッチンは日の射さない北側に、茶の間は西日射す北西の角にありました。そのため「こんな暗い家に一生住み続けるのかと思うと耐えられない」という奥様の思いから始まった計画でしたので、改修後の激変にとても喜んでおられたはずでしたが、改修完成後に点検に訪れたときには、その改修した家に居住されていませんでした。
なぜ住まわれていないのか理由を尋ねると、このまま美しい状態にしておき、来客や娘の里帰り、ご主人の音楽鑑賞など、非日常的なことのために使う方が快適だ、言われました。
まさに近隣別荘そのものの使われ方をされていました。

 
 

 


「崖上桜の家」

家業を子供に引き継がせ、母屋を明け渡し、自分たちが別に住むための終の棲家ですが、引き渡すまで少し間があり、それまで家業を忘れ癒したい時、あるいは来客や非日常的空間として活用する、別荘的利用をする家です。

崖上桜の家 外観
擁壁の上に基礎が張り出して見えますが(写真左側)、荷重はかけてません。

計画的配慮:
母屋より居心地よく、癒される空間にするべく、春の桜はもちろん、周りの緑に囲まれ、その向こうに母屋の屋根が視界に入って来るようにコーナー窓を設け、広がり感のある間取りにしています。内部も小幅板の吸音天井にし、間接照明で内部を照らし、ホームエレベーターで上下移動ができ、蓄熱ヒーターで夏冬快適に過ごせる配慮をしています。

 

母屋に連続してある土地ながら、4m程の段差があり、使えるスペースが限られている土地です。そこにうまく嵌め込み、必要な機能を満たし、ロケーション的に有効に活用するには、大谷石の崖の上に多少迫り出す必要があります。擁壁は古いため、負担かけられず、しかも崖地条例の30度勾配ライン下で建物を支えるため、鋼管杭で地盤改良をしています。

キッチンから見たダイニングリビング

 


4.終の棲家となる 別荘

「茅野の家」

茅野の家 外観


当面は別荘として使用し、数年後に永住を予定して建てた家です。別荘地の条件として、境界に塀やフェンス等を設けず、境界からは5m離して建てる等の条件がありました。 建て主さんの条件としては、薪ストーブの設置が希望の筆頭で、その他はあまり細かく要望はされませんでした。

茅野の家 リビングからダイニング・キッチン

 

計画的配慮:
意匠的には奇をてらわず素朴な木造の大屋根の家垂木表しの構造を見せて、内装の意匠としています。開口部から庭や外部の自然の見せ方も、開放性と方向性を意識したコーナー窓にしています。

茅野の家 キッチンから


寒冷地であることによる設備等での凍結対策への注意をはらい、薪ストーブを通常暖房設備としてあてにしていいかどうか、よく検討しました。薪ストーブは、焚き口が閉じられていて、新鮮空気も外からストーブの中にダイレクトに吸い込む構造にすることで、煙突から排気する煙で室内の空気を吸い込み、外気の流入で温度低下しません。最近のストーブは燃焼性能もよく、大きな薪を数個入れておけば長時間燃焼し続けてくれます。火の番をする必要もありません。スープも煮込んでくれます。

茅野の家 ダイニングからリビング
薪ストーブとその背面の蓄熱壁

暖房としてあてに出来、寒冷地では有効な暖房設備となります。ただし今回は、別荘使用でもあり、着いてから燃やすのでは暖まるまでに時間を要します。そこで基本暖房は事前に暖めておける、深夜電力活用のヒートポンプ基礎蓄熱の全館暖房にしました。その上でストーブの効力を十分引き出すために、ストーブの背面の壁は、木造でありながら蓄熱性能の高いコンクリートブロックの壁にして、石を貼っています。そうすることで、ストーブの燃焼中はもちろん、火が消えても暖められた背面の壁からの放射熱で、かなりの時間、部屋を暖めてくれます。部屋が暖められていれば、蓄熱暖房の稼働時間も少なくなり、その分基本暖房の省エネにもなります。外の雪景色を見ながら暖かい部屋で、安心してストーブの揺らいでいる火を見ていることが出来ます。


「伊豆高原の家」

土地探しから協力させていただいた家です。決まるまで3、4回現地に通い一緒に見て廻りました。
最初は別荘として使用して、その後移住して庭づくりを楽しみたいということでした。しかし建ち上がったら、これだけ大きな既存樹の多い敷地は、庭造りの意欲をかきたてられたのか、予定を早めて移住され、写真の苔庭を見ればお分かりのように、庭造りに邁進されています。

伊豆高原の家 上空から


計画的配慮:
既存の樹木や竹林をうまく活用できるように、建物と各庭のバランスを考えて配置しています。駐車場も石畳にして、前庭の一部になるように考えています。

伊豆高原の家 ダイニングからコーナー窓


開口部からどう庭を見せるかに配慮し、竹林に合わせるべく、コーナー窓にも引き込み障子で雰囲気を変えられる仕掛けや、内外の各所に間接照明を仕込んで、様々な演出ができる配慮をしています。

伊豆高原の家 庭からデッキ
苔庭、デッキ、住まい、既存樹と続く

「那須の家」

もうじき定年を迎えるので、ゆっくり生活したいご夫婦のための家です。
数年別荘として使うはずでしたが、完成して間もなく入居されました。時々見える二人の子供さん家族や客用に、キッチン、シャワールーム付きの離れの部屋と三台分の車庫も設けています。

那須の家 アプローチ
北側アプローチ

計画的配慮:
敷地が広すぎるので、ただ建てては、所在なげな佇まいになります。そこで茶臼岳から吹き下ろす冷たい風を、L字型に配した建物で、南の庭を囲うように配し、全室から庭全体が見渡せるようにした平屋の家です。子供家族用の部屋は離れとし、ミニキッチンとトイレ及びシャワーも併設し、母屋とはデッキスペースを介して行き来します。その間に露天風呂用の浴槽を設け、天板を載せ、屋外リビングのテーブルにもなります。

那須の家 リビング
居間から離れや芝生庭を見る

東北の角部分は、水平感を強調するために、北と東の軒先の屋根だけを延長させ、中庭的スペースを作り、道路からの緩衝地帯ともしつつ、玄関、居間、洗面所、浴室等からの、眺めるプライベートコートとしています。この家は、FSU工法で建築しております。(詳しくはこちら「FSU工法」のページを参照下さい)

那須の家 リビングからダイニング
 
那須の家 デッキの露天風呂
母屋と離れの間のデッキに露天風呂浴槽を設置、普段は天板を載せてテーブルとなる

「安曇野の家」

都内に住まいはあり、たまたま子供さんが安曇野で働いていることから、いずれ安曇野に移住して住むことを予定している別荘です。
土地の購入条件で一区画の敷地の広さに制限があり、三区画購入し一区画が将来の変化に対応するために現在は駐車場にし、二区画に渡って建てることにし、母屋と離れの二棟からなっています。

安曇野の家 庭からの外観


計画的配慮:
母屋は通常の平屋の住まいとし、離れを来客や非日常空間と活用することを考えています。

安曇野の家 玄関
 
安曇野の家 玄関からリビングに入ったところ
 
安曇野の家 ダイニング
 
安曇野の家 和室 床の間
 
安曇野の家 リビング
 
安曇野の家 外観

別荘を建てるなら

最近、「 別荘 」を建てようとする方が多いようです。
ブログで続けている「シェア別荘・峠の我が家物語」でも述べているように、半自力建設でシェア別荘を建て、それを40年ほど使い続け、メンテもしてきました。40年も他のメンバーとも一緒に使ってみると、多様な使い方があり、年代や状況によって使用目的も変化していくことがよく理解できます。

その使用者としての立場と、十数棟、別荘を設計してきた立場から、建てるならその前に留意すべきことがあり、それをまとめてみます。

敷地造成せず建物下を小川が流れる別荘

別荘 」を建てる前に考えたいこと

  1. 効果的リフレッシュや、客も招ねくことも考え、多少費用をかけても誇らしい個性とデザインで、それなりの仕様で建てるのか、それとも家族や気のおけない者とだけで使うから、費用かけず、ざっくりとしたつくりでよしとするか、よく考える。

  2. いつか不要になることも考慮し、転売が容易なつくりにするかどうかも考えたい。
    (二束三文にしか売れない別荘もあれば、建築時より高く売れた事例もある。)

  3. 年代や状況によっては、自宅との間に距離があると、行くのがおっくうになることがあるので、目的に合わせた使い方ができる土地と距離を考える。

  4. 常住しない場合、部屋と寝具が湿気るものと考え、建築的対策や暖冷房及び断熱の仕方をよく考える。

  5. 案外手持ち無沙汰になることがあるので、ぼんやり炎でも見ていられるような暖炉や薪ストーブなどと、薪置き場や薪割り道具もあると男性は退屈しない。暖冷房はそれとは別に考え、スマホの事前スイッチまで用意するか、よく検討する。

  6. バーベキューはもちろん、魚釣りや海水浴、サーフィン、ウインタースポーツ、山歩きや山菜取り、その他その土地の体験基地として使えるよう、その道具や遊び用具の収納庫も考える。

  7. 駐車場は友人等もやってくるなら、数台分は用意しておく。

  8. 来た時と帰る時の掃除が楽になるようなつくりにしておく。

  9. 食器や各種工具及び大工道具等の収納や置き場はルールを決めておく。PC機器、楽器やオーディオAV機器も湿気等を考え、どう用意するか事前に決めておく。

  10. 生ごみは場所によって野生の動物やダニ等を引き寄せることがあり、注意を要する。

  11. 別荘の近くに、地域の情報収集と不在でも頼める親しい隣人がいるといい。地元の方との交流も別荘の楽しみ方の一つです。

友人の話ですが、「別荘と妾は持つもんじゃない。手間と金が掛かって、しょうがない」と言う格言(?)もあるくらいです。妾を持ったことはないのでわかりませんが、別荘は確かに、楽しくもありますが、想像していた以上に手間が掛かることは確かです。

しかし別荘での生活は、自然に囲まれた環境など日常ではないことによってリフレッシュやリラックスできるますし、家族や友人と一緒に過ごすことができコミュニケーションを深めることができる等、手間以上に利点があるのも別荘です。

別荘を建てる場合は、長期的な視野を持ち、費用やメンテナンスについても注意を払いながら、十分に検討することが大切です。

別荘の設計事例をタイプ別にまとめた「別荘ギャラリー」も是非ご覧ください。

居住部分を持ち上げて湿気を避け、集成材で調湿機能を持つ別荘
居住部分を持ち上げて湿気を避け、集成材で調湿機能を持つ別荘
(別荘を建てる上で、湿気対策は非常に大きなポイントです)

土地探し通信 ~釜石の土地~

「暖かくなった頃に候補地を見に行きましょう」昨年の始めのことでした。
現在、名古屋住まいの建て主は、出身の大船渡近くということで、釜石市へ移住しようと、一緒に土地探しが始まりました。 土地探しの条件は、自然が豊かで三陸鉄道沿線の駅近く、浸水被害のない土地。土地の予算は500万円。予算と希望が明確なため、あまり時間を要さず候補は絞られました。

最初に紹介された土地は旧市街地にありました。

この土地は市街地ということで広すぎて割高で、何より自然が少なすぎるのも難点でした。

次の土地は町はずれにあり、道路の向いに川が流れてました。

ここは価格的はいいのですが、ちょと土地の広さが足りず、川沿いで津波が溯上してくる可能性もあり、パスしました。

次3番目に見せて頂いた土地

ここは隣家が迫ってくる感じで、接道が坂道と、東西からの陽ざしが少し遮られそうで、色々難点がある感じがして、価格も今一つでパスしました。

4番目の土地は、別の仲介不動産屋さんが紹介の土地です

広さと環境はまあまあですが、大きな通りに面していて車の出入りに注意が必要です。価格が少し予算オーバーで、店舗等なら大きな通りがメリットでしょうが、自宅の車の出入りにはむしろ危険に作用しかねないとやはりパスしました。

5番目に紹介されたのは4番目の近くの土地でした

ここは、隣の店舗らしきものが気になったのと、ここまで津波が来たので嵩上げした土地になっていて、大きな通りに面しています。嵩上げしたとはいえ、海の近くで前回ここまで来たということがやはり不安で、他を当たりたいとなりました。

6番目の土地は4番目と同じ道路に面した土地でした。

この土地も少し広すぎて価格が予算オーバーになり、津波が来ない高さに嵩上げしていると言われてもやはり不安で、他を当たりたいとなりました。

最初の仲介不動産がその後造成中の土地を見せてくれました。

この土地は提供者がいれば、釜石市が移転先用として造成工事を行うもので、未だ売りに出されてない土地でした。現在釜石の人口が減少していて、実は用意した土地が売れず困っている状況で、希望者がいれば県外者であっても分譲しているとのことでした。
ここは回りの自然環境が申し分なく、要望価格に合わせて、北側の土地60坪を提示されました。未だ造成工時用の事務所が敷地内に建っていました。西側の擁壁も釜石市が管轄して行ったもので、安全性は担保され、地耐力試験のデータもありました。
全6物件を見て回ったなか、ここがいいということになり、給排水も引き込み済みで、500万円ということでしたので決定しました。
その後プランニングによりいろいろ検討してところ、建て主は平屋建てが希望となることから建築面積が広くなり、庭の南北方向の距離が十分とれないうえに、もし南に二階建てが建つと、冬至に部屋まで十分な日差しが確保できず、平面計画が難しくなることが分かりました。さらに屋根に太陽光発電と太陽熱給湯のパネルを載せる計画もあったことから、それらにも不利に働きます。未だ売りに出してないならと、南側の土地に変更と、建て主からもう10坪増やしたい、という要望を申し入れたところ、それも了承いただきました。但し、10坪加算分と、南側の土地に売主さんが保存のため植えてあった庭木の植え替え分の30万円とを加算し、計584万円+仲介手数料35万円での契約になりました。

最終的に購入できた土地です。北側奥にまだプレファブ工事事務所が見えます。

周囲は見渡す限り写真にある山々に囲まれ、自然豊かな土地です。海は近いですが高台にあり、万が一の際の津波は全く問題ありません。海にも駅にも歩いて行ける距離です。

土地探しは、インターネットのみの検索では出会えない、地元の不動産業者に眠っていることが多々あります。私たちは建て主の希望の条件と住まい環境や購入可能金額、そしてなにより建物が建った時に安全で心地よい場所に出会うため、とにかく情報を集めます。今回の土地も、高低差があるものの2m以下の高低差であること、また造成工事への安全性も確認できたこと、そして部屋から望む景色が気持ちのいいものとなることが想定できたこと等から決定に至りました。

土地探しを検討中の方は、こちらもどうぞ参考にしてみてはいかがでしょうか。
 ▶土地探しの 隠れ常識 10カ条

 

こちらの土地での計画は実施設計中で、まもなく着工です。


シェア別荘・峠の我が家物語4 島流し的移住

ある日公園で 見たことのない大きな鳥がいた
見たことのない 輝く鳥がいた 
屋根のない車にのって 俺は追いかけた
空をかける その鳥を追い 街をすぎ去った 
屋根のない車にのって 俺は追いかけた 
ある日野原に ・・・・・・・・・・・

「屋根のない車」の歌詞の出だしです。若い時のあこがれと試行錯誤の心象を歌にしています。自立とは職を得て自活することですが、それは親の干渉からの解放と自分のあこがれを追いかけようとする、人間として自然な願望があってのことです。しかし今の時代の「自立」と、自分たちが共同別荘を建てようとした時代の「自立」とでは、形は同じ職を得ることではあっても、中身は変質している気がします。

当時の日本は第一次産業から第二次、第三次産業へと人口が移行途中で、就職も容易な時期でした。自然を相手に作業する農林魚業や家内制手工業など家業として働いていて、自分で考え工夫し、最後までやり遂げざるを得ない自営業の者が、あるいはそんな仕事をする親の背中を見て育った者が、家とは別の場所の二次、三次産業組織の職を得る「自立」でした。それは、身に纏わることは自分で何とかするのが当然という意識、または事態は自分で何とか切り開くしかない、という認識が下地にある者が他の場所に勤務する「自立」でした。ある意味、「自立」の下地は育まれていて、糊口を凌ぐ糧を得る技量と社会的マナーを身に着け、自己を確立していくための職を得る「自立」でした。

自然の中に職場と遊び場もあった田舎の水田のある風景

それが今日では、その組織が大きく融通が利かないものとなり、構成員のためのものから、自己増殖していく組織にかわり、個人の関与で何とかなるとは思えないものになりました。運営のトップは確かに自分で考えようとする者を求めていても、構成員たちにとっては、むしろ自分で何とかしようと考える者は、その集団の慣習を乱しかねず、厄介になる場合が多く、要請に従順に従う者を求めるようになってきています。

そんな組織に職を得ようとする者も、大半が会社人間の親の元で、かつてのように家業を見て育っているわけではなく、親の生業が見えない環境で過ごしてきました。家事も殆どがお金で代用できる生活で、役割意識も希薄になり、各自の生活時間帯も別々が多く、考えることも殆どが経済的選択行為になっています。自然との関りも薄く、自分の考えと努力で何とかやり遂げた、という体験も少なく育ってきてます。それでも、まだある少ない自営事業者の家で育った者やスポーツ等の課外活動で、自分で何とかするしかないという意識を育んできた者も少なくありません。

しかし多くは自立の本質である、自分に関わる問題があれば、自分で考えるという認識も意識も十分養われにくい環境で育っています。そのためマニュアルに沿って要領よく選択だけで済ましてきた者が、職を得る「自立」が多くなってきています。当然、自分から提案しようとすることは少なく、組織のマニュアルに頼り、不測の事態には誰かの指示待つ「自立」が多くなるのも、無理からぬ気がします。でもこれは、今後人類があらゆることをAIに判断を委ねる時代になるための下地作りなのかもしれず、どちらがいいのか分かりません。

ともあれ、選択だけで過ごしてきたせいか、住まいも、創るものではなく、買うもの、選択するもの、と捉える方が多くなり、都市圏内では、創る戸建ての注文住宅より、選択だけで得られるマンション住まいを求める方が殆どになってきました。

戸建て住宅街に突然仁王立ちして現れたマンション

若い方にも住まいは創る方が、家庭を確かなものに築き上げるいい機会になり、買うだけよりずっと楽しく面白い、ということを伝えたくて、この設計という仕事をしていますが、選択だけで済まそうする方は、選べば工場生産品のようにでき上がるという認識で建てようとし、思うようにならない、という話はよく聞きます。

自分が関与して住まいを創るということは、自然相手と同じで、状況相手に関係者が住まいを一緒に育むことで、楽しくもありますが、試行錯誤もあり、うまくいかないことや多少の不具合があっても、ただ対象に不満を言うだけでなく、それぞれが乗り越える道を共に探そうとする共有意識さえ持てれば、いい家ができ、面白いものになります。

「自立」していく上で、ものごとは、いやたぶん人生は「可塑性」がある、という認識があるかないかで、その先の生き方を大きく変える気がします。WBCの優勝が与えた感動の大きな要因の一つに、メンバー各自が自分に限界を設けず、何とかできるはずという想いの強さが勝利を引き寄せた例として、見せてくれたことにある気がします。

房総の海

大阪の先輩の家に居候しながらの手伝いを終え、その後しばらくは先輩の所有する千里ニュウタウンのマンションを、ホテルマンをしている方と共同で借りて(シェア)、半年ほど住んでいました。その間、京都の都市計画コンサルタントの手伝いで、京都の交通事情調査や和歌山県の中辺路町の過疎化対策などの調査を手伝っていました。いつまでも定職に就かず、そんな状態でいるわけにも行かず、新たな職探しをするにも、移住先、つまり住む場所を決めてから探そうと思っていました。
住むなら海辺に住んでみたいと思っていた自分としては、まず実地見聞が先と、茨城県の鹿島市の海岸を起点に、海沿いを友達の、“屋根のない車”にもなるジープを借りて、一人南下しながら海岸縁を、九十九里、大東岬、勝浦、千倉、館山、東京湾岸、川崎、三浦海岸、鎌倉、茅ケ崎、大磯、熱海、伊東、下田、松崎、土肥、小土肥という順番で、今でいうオートキャンプをしながら一人見て廻りました。一週間ほど続けているうちに、小土肥という何の変哲もない小さい浜の近くの、これまた小さな神社の松の樹の下で昼寝をしていて、目が覚めたら、浜から吹いてくる風が気持ちよく、ここに住んでもいいかなと思われました。

何の変哲もない小さな小土肥の浜辺

そしてこの辺りに職があるか聞いてみようと思い、ぶらついていると、小ぎれいなペンションがありました。そこの方に聞いたら、土肥町の建設会社が現場監督を探しているそうよ、と言うのでそこを訪ねて行ったら、すぐにでもきてくれというので、住まいを決めたら働きますと答えました。すると、3階建て6世帯用の社宅の1戸が空いているから、そこに住むといい、と言われ、わかりました、それでは来週から働きます、と答え、移住の難関と言われている、住まいと職がいっぺんに決まりました。

小土肥の海近くにあった小さな八幡神社

荷物を運ぶ車はあるかと問われ、ないというと、それじゃ現場用の軽トラックを貸すからそれを使っていいと言ってくれました。それで一旦、ジープで東京に戻り、友達に返して、今度は電車とバスで、土肥まで来て、軽トラックを借りてアパートまで戻り、足手まといにもなっていた、生活用具一式を軽トラックに積み込み、大家さんに礼を言ってアパートを引き払いました。

それまで、ゆっくり走れるジープでのオートキャンプ旅行以外、普段、殆ど車を運転することのなかったペーパードライバーの自分が、軽トラックに乗り、夕方の6時ごろ川崎の新丸子から一路西伊豆を目指しました。高速道路は怖い思いはあったものの、慎重に走って無事沼津で降り、三島、修善寺までは周囲の明かりもあり、運転未熟の怖さだけでした。
しかし西伊豆に向けて走っていくうちに、舟原峠を過ぎ、だんだん人家がまばらになり、辺りも暗く、寂しく不安になってきました。そのうち殆ど山の中の道となり、鬱蒼とした木々の中を軽トラックのヘッドライトだけを頼りに進んでいきました。対向車もなく、そのうち舗装もなくなり、凸凹道で、正に、「天城越え」ならぬ「舩原峠越え」です。ああ、これが都落ちなのだと感慨にふけり、島流しの頼朝もかくありなん、と歴史上の人物に共感を覚えながら、島流し的移住の初日でした。


峠の我が家記事

1.峠の我が家物語 はじめに
2.峠の我が家物語 暮らしてみたい土地
3.峠の我が家物語 別荘づくりのいい加減な動機
4.峠の我が家物語 島流し的移住



シェア別荘・峠の我が家物語3- 別荘 のいい加減な動機


幾山河越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

How many mountains and rivers I must go over to fade away loneliness.

How many roads must a man walk down before you call him a man?

一番上の短歌は誰もが知っている牧水の歌です。それを二十代の初めバックパッカーをしていた時、英国でロンドンからバーミンガムまでのヒッチハイクで、乗せてもらった車を運転していた、同年代の米国旅行者姉妹と、お互いの国の詩の交換をしようということになり、その歌を自分勝手に訳したのが下の英文です。その詩に答えて、米国の二人が、それはどこかで聞いたことがあると、歌い出し、それがその下の英文で、ノーベル文学賞を受けた有名なボブディランの「風に吹かれて」でした。

牧水の歌は実は失恋の歌として詠まれたものらしいのですが、その傷心を癒すのにいくつ山河を越えたらいいのだろう、としたことで、雄大で多くの共感を得られる歌になったようです。

この歌は中国の詩人、杜甫の「春望」の一節

“国破れて山河在り、城春にして草木深し、・・・・”。を引いていると思われます。

芭蕉の「奥の細道」にも衣川を「春望」から引いて解説した一節があり、そこで詠んだ、誰ものが知っている句が “夏草や兵どもが夢の跡” です。

「春望」が多くの人に好かれるのは、無力感に苛まされる者の背中をそっと押してくれる歌だからだと思われます。親の庇護のある家庭から、自立しようと社会に出始める二十代は、どう身を立てようかと、誰もがもがく時期です。根拠のない自信のまま、志というか、野心のようなものだけはあり、色々挑戦しては見るものの、思い通りにいくことは少なく、孤立し、打ちひしがれることが多い時期です。不安や迷いが多く、孤独です。戦いに敗れ、荒廃した山河を見て、それでも変わらず草木は茂る、その姿に、癒すでもなく、助言を示唆するでもなく、ただ黙って自らの力で、再び歩み直すことを促してくれるからだろうと思います。

ボブディランの「風に吹かれて」も反戦を訴える歌ながら、その思いが強ければ強いほど、己の無力感に打ちのめされ、その心情を“どれだけの道を越えて行ったら、自分は一人前の人間になれるのだろう・・・。と謳っています。二十代、誰もが自分の意味や居場所求め悩み、彷徨う、いわば自立するためのエニシエイションの時期なのかもしれません。

信州大学山岳会館(FSU工法)の塗装工事を終え、これから世に出る学生部員達の写真
信大学山岳部部室をOBの寄付でFSU工法で建築した時の現役生の外壁塗装終了時写真彼らもこれから社会に巣立って行きます

自分の場合、技量を高めるため色々な事務所で経験を積んでいた時で、身の立て方に確たる自信もないまま、3年ほど勤めた事務所を辞めて、たまたま大阪の先輩の手伝いに半年ほど行くことになりました。アパートに布団など生活用具一式を置き、先輩の新婚家庭の家に、奥様が出産で実家に帰られていることをいいことに、先輩に勧められるまま居候しながら手伝っていました。

その時、生活用具は助けにもなるが、足を引っ張るものでもある、と思ったものでした。田舎の実家に預かってもらうという手もあったのですが、実家は兄が継いでいて、当時の母親には郷里に戻って働かせようとする親心がありました。荷物が先に帰ると自動的に、その後Uターンする、という意思表明になります。将来を未だ決めかねていた自分には、それだけは避けたく、生活用具を気楽に置ける場所があると、決めかねて彷徨う者にはいいなあ、といういい加減な心情がありました。

また、当時武蔵野市周辺で、子供に親と共に演劇を見せて情緒を養おう、という活動をしていたお母さん方の団体がありました。若かった自分たち何人かも、友人を通して参加を請われ、友人への付き合いもあって、冒険広場というか、アスレチック公園のようなものをつくる手伝いをしていました。その時、地域コミュニティーの大切さは認識していても、自立を意識していた自分らには、その地縁や家の持つ息苦しさに、地縁に囚われないコミュニティーは作れないものか、と考えてもいました。 

そのため、手伝いに集まった数人の若いグループは、手伝いの話より、当時はまだシェアという言葉はなかった時、皆が自由に使える 共同 別荘 みたいなものがあるといいね、というような、たわいのない話をしていた気がします。当時は未だ地域には共同体的な絆が、鬱陶しい部分や封建的名残はあっても、それなりに存在していた気がします。それ故自立するモデルも見えていた気がします。

 

アスレチックならぬ冬の蓼科のツリーハウス等の冒険広場
アスレチックならぬ冬の蓼科のツリーハウス等の冒険広場

そんな状況にも若者は自立のためと、就活に余念がありません。そのせいか3年以内で転職する者が3割に達し、自分のスキルアップを目指す者も多くなってきたと聞きます。本来自立とは企業に雇用されることだけではなく、社会に通用する素養や技術を身に着け、社会的役割を自覚して自分の考えで、自信を持って社会の求めに応え、実践していくことです。
スキルアップを目指して転職する若者が多くなったのは、それが分かってきた兆候ではないかと思われます。

とはいうものの、今若い方が自立していくのは大変です。就職できても、どこの職場もデジタル化や過当競争で変換期にあり、新たなビジネスモデルを確立できず、生き残っていくのがやっとで、試行錯誤しながら維持している状況です。どうすればよい、というモデルがないのは若者の自立だけでなく企業も同じで、あってもそれがいつまで有効か分かりません。自らがそのモデルを作っていくしかありません。むしろそれこそが真の自立です。
若者にとって難しいのは、他者との共感や連帯を意識できる機会や経験が少なく、社会的関係性を構築できないまま、自分の能力に自信を持てず、社会的にも認めてもらえず孤立しがちだからです。これまでもその孤独に耐え切れず、新興宗教や変な詐欺集団に救いを求める人や、職を得てもそこで応えきれず、引きこもる、あるいは精神を病んでしまう人も多くいて、社会問題とされてきました。

しかし考えようによっては希望も見えなくもありません。
モデルがない変換期は若者にとってもチャンスかもしれません。試行錯誤はむしろ若者に許された特権です。オンラインで色んな事やものが得られる時代になり、これまでの慣習にとらわれず新しいことが始めやすいことも意味しています。
コロナ禍で日本も、リモート勤務という壮大な社会実験が行われました。その実験から導かれた方向性はまだ出ていません。勤務で家に居なかった働き手が、家にいる時間が多くなるということは、住まいや家庭のあり様を見直すチャンスでもあります。その兆候とも思える、働き方や暮らし方の新しい現象が、ある共同(シェア) 別荘 や住まいの運営のあり様に一端を伺うことができます。
その報告と、そこから見える風景は次回以降、物語の進行に合わせて紹介しようと思います。

峠の我が家記事

1.峠の我が家物語 はじめに
2.峠の我が家物語 暮らしてみたい土地
3.峠の我が家物語 別荘づくりのいい加減な動機
4.峠の我が家物語4 島流し的移住


馬込の家 上棟

「 馬込の家 」上棟 直後
「 馬込の家 」 上棟 直後(まだ垂木がない状態)

工事中の「 馬込の家 」が 上棟 しました。
道路と敷地の2.5m程の高低差を利用して、地下に車庫と玄関を設けます。
(土工事・基礎工事の様子は ➡馬込の家 土工事から基礎配筋検査 をご覧ください)

車庫と玄関がある地下はコンクリート造です。その上の1・2階は木造です。

「 馬込の家 」車庫・玄関前スペース
車庫・玄関前のスペース

車庫の前にもう1台駐車できるようにスペースをとっています。

「 馬込の家 」1階和室
1階和室

1階は、6帖と8帖の和室の続き間になります。
西は隣家が迫っています。南は庭。東は2m程下がったところに駐車場なので、開けています。

「 馬込の家 」2階のリビング・キッチン・ダイニング。屋根の垂木と断熱材パネルが入りました。
2階のリビング・キッチン・ダイニング。屋根の垂木と断熱材パネルが入りました。

リビングは2階です。左側にみえるコーナーは窓になります。東側隣地が駐車場なので、視線が抜けて開放感があります。
開口部の奥に見えるブルーシート部分は、デッキです。結設計では2階リビングの場合でも、なるべくリビングに続くデッキを設けています。


シェア別荘・峠の我が家物語2-暮らしてみたい土地

海が身近にある風景

悲しくなったときは 海をみに行く

古本屋の帰りも 海をみにいく

貴方が病気なら 海をみにいく

心貧しい朝も 海をみにいく 

・・・・・・・・・

という書き出しの寺山修司の詩のように、海辺など、どこかに住んでみようと思わせるきっかけのようなものはたくさんあります。特に山に囲まれて育った人には、最初に海にあこがれを抱き、逆に目立った山のないところで育った人はアルプス山脈の見える土地に憧れるのかもしれません。

町のどこからでも見える山のある風景

山に囲まれた盆地の盛岡市は、最近のニューヨークタイムズ紙で、ぜひ行くべき都市の世界ランクで、ロンドンの次の二番目にランクされたそうです。そんなところで育った自分でも、海への憧れがありました。高校受験勉強の真最中の中学三年の夏休みに、生徒5,6人だったかと思いますが、美術の先生に誘われて、三陸の宮古海岸の崖上に、二泊三日のキャンプに連れて行ってもらったことがあります。先生は片腕がないけど、軟式テニスのコーチもしていて、私の描いた足裏の鉛筆デッサンを評価してくれるような、世俗的常識や倫理観に囚われない方でした。何より印象深かったのは、寝泊りはテントではなく、四隅の木に吊るした、大きな蚊帳だったことです。今日、アウトドアキャンプが大流行ですが、あれ以来、蚊帳だけのテントは見たことがありません。

崖上の森から見た三陸海岸

三日間ほどの住まいでしたが、雨にも降られず、蚊さえ防げれば、寝袋にくるまり、星空を見ながら眠る、楽しく気持ちのいい居住空間でした。雨に降られたら、近くの民宿にでも駆け込むつもりだったのでしょうが、受験勉強中、何よりのリフレッシュになる、別荘の初体験でした。その時の印象もあり、海辺に住んでみたいという憧れが生まれたかもしれません。

このように誰にも他に住んでみたいと思う瞬間や場所、あるいは風景があり、それが移住や別荘の潜在的欲求の核になっているのかもしれません。


峠の我が家記事
1.峠の我が家物語 はじめに
2.峠の我が家物語 暮らしてみたい土地
3.峠の我が家物語 別荘づくりのいい加減な動機
4.峠の我が家物語4 島流し的移住


シェア別荘・峠の我が家物語1

グランピング施設

はじめに

最近、設計者仲間と 移住 研究会と称する集まりを重ねていて、そこでの話から、このタイトルのブログを始めてみようかと思いつきました。

「 移住 」は、移り住む、と書きます。そう考えると子供にとっての一時期、何らかの理由で祖父母の所で暮らすということも移住と考えることができます。そのように移住を広く捉えると、移る先の住まいも、通常の住宅だけでなく、寄宿舎、社宅、二世帯住宅、アパート、別荘、災害用仮設住宅、老人ホーム等、多岐に渡り、さらに生活形態も居候、下宿、病気療養での入院、車上生活、海外移住、移民、ホスピス等、多種多様です。人員の構成も、単身者世帯、シェアハウス、グループホームなど多様な人員で構成される形態も多くなってきました。移動距離も、交通機関の発達で距離感が薄れ、ハードルは低くなり、単なる転居と大差なくなり、かつてのような深刻さはなく、その数も頻度も増え、社会が流動化していることが改めて気づかされます。

このように多様な移住形態の社会では、住まいや暮らしのあり様を考える際、移住の一歩手前の、仮り住まい的な別荘、或いはリフレッシュのためのセカンドハウスを見てみると多くの示唆を与えてくれます。それは別荘を必要とする動機が状況や人それぞれで異なっていて、期待するものも違っており、考えるヒントが多く散見されるからです。

例えば、自分の身の立て方や生き方を探して試行錯誤する、結婚前後の二、三十代には、多様な社会を体験出来る、会員制の別荘を、また、自然の中で子供を遊ばせ、自分も趣味を満喫させたい子育て世代は、変化に対応し易く基地的使い方のできる別荘を、そして仕事は安定するも、忙しさが日常化し、ストレスが溜まり、リフレッシュする空間と時間が欲しい仕事中毒の世代には、非日常的な別荘を、今の仕事や生き方を変えて、次のステップやUターンJターンを考える壮年期世代には、目標に対応した別荘を、定年後を視野に、終活までを考える熟年世代には、癒され、使い易い終の棲家にもなる別荘を、等々のように、世代や状況で要望する内容が違ってきそうです。

このように、求める内容が世代や状況で大きく異なることから、「住む」ということは、もはや一様に捉えられないことが分かります。設計者は住まいを考える際、将来のあらゆる事態を想定した理想像から、その時の状況を優先した「住まい」や「暮らし方」を考えようとします。しかし理想像も、建築の仕方も時代により変化します。その時考える住まいだけで変化に対応しようとするより、空き家も増大していく社会にあっては、その活用も踏まえ、移住や転売も視野に入れて考える時代になっている気がします。そこで、その世代や状況によって求めるものが一様ではなかった別荘の変遷の“笑例”に、殆どが20代の独身だった21人が始めた、「峠の我が家」というシェア別荘とその仲間づくり及びそこでの体験の顛末を、反面教師的ですが、振り返って考えてみようと思います。そのために移住することになったきっかけや動機、そこに至る若い頃の心理的経緯も含めて、これから二拠点居住を考えている方にはもちろん、これから就職や自立し、自己を確立しようとする時期の若い方や、何となくもう少し違った暮らし方や働き方があるのでは、という疑問をもち始めてきた方々の、居住の参考になれば幸いです。

 

 

以前ブログで取り上げた家庭内キャンプも盛んのようです。


シェア別荘・峠の我が家記事

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馬込の家 土工事から基礎配筋検査

先日東京の大田区で現在工事中の「馬込の家」の地下コンクリート部分の配筋検査をしました。

設計事務所の監理では、設計図通りに施工されているか確認します。工務店の行う工事管理で確認しながら施工していますが、それをさらに監理者としてチェックしていきます。
配筋検査では、鉄筋径、ピッチ、かぶり厚さ、継ぎ手長さ・定着長さ、開口部補強などなど、確認。大きな問題なし。いくつか気になる部分の補強を指示。

「馬込の家」の敷地は、道路から見ると2.5m程の高低差があります。下の写真は、掘削前の敷地の様子。
この高低差を生かして、「善福寺の家」のように車庫と玄関を地下に設けます。

下の写真は、工事前と地盤掘削工事~配筋・型枠工事までの様子。

工事前の敷地 (道路から2.5m程高くなっています)
地下部分の地盤掘削
山留工事(土が崩れてくるのを防ぎます)
底盤及び壁配筋工事
1階床スラブ配筋と型枠工事(底盤のコンクリートは打設済)

この後、壁と上部スラブのコンクリートを打設します。
1階より上は、木造です。

構造材のプレカット図チェックも終わったので、構造材の加工が始まります。
上棟は、今のところ2月上旬の予定です。